歴史

知られていない日本の1920年代へタイムスリップ  歴史を深く考えさせられた日!

土曜日にセミナーがあり、小雨降るなかジャパン・ファンデーションに足を運んだ。

数日前の残暑はどこにやら、また豪雨がはじまりやっと秋に入ったシドニーである。

 

第一回「日本を考える」、元マッコリー大学日本学科長、日本教育研究センター長のチャオ埴原三鈴さんが、“日本近代史の忘れられた時代:1920年代の日本外交と後世への影響を探る”と題して、当時の知られていない日本の歴史を垣間見るセミナーであった。

 

セミナー・スピーカーの大伯父にあたる埴原正直氏は、"史上最も若い駐米全大使“として当時「排日移民法」のために闘った。彼女は「日米関係に尽くした外交官として米国の識者の間で記憶されながら、日本ではほとんど忘れられてしまった埴原の業績を探りたかった」と、調査と執筆をはじめ*本の出版に至った。

 

ベルサイユ会議(パリ講和会議1919年)出席という世界の大国の仲間入りをしていくことへの喜びを隠せない日本。その日のためにわざわざ東京から横浜港に電車線をひき、港には数多くの人々が集まりパリ講和会議使節団を見送った。

 

国際会議の場では、世界で初めて日本が「人種差別撤廃宣言」を提唱し、「これは日本人として誇りに思うべきことである」と述べる埴原先生。

 

会議では、米国と英国からの不平等な扱いを受け、日本の提案に賛成が11票、反対が5票であったのにもかかわらず、全員一致ではないからとの理由で否決される。

今でこそ、親日国であるオーストラリアではあるが、当時は白豪主義を唱え、この提案に大反対。そんな中、ある見識者は、この結果が後に大きく影響して太平洋上で戦争が起こることを予告していた。

 

第一次世界大戦では英国艦隊護衛艦として日本帝軍は30隻の艦隊を送り、オーストラリア軍やNZ軍を助けるために活躍した‘伊吹’。これはキャンベラ戦争記念館に今でも展示されている。

 

映画"オーストラリア“(2008)を観て「第2次世界大戦で日本がオーストラリア(ダーウィン)を襲撃したのをはじめて知ったわ!」とある友達は話していたが、それ以前に英国護衛艦として伊吹がオーストラリアを助けていたという事実はほとんど知られていないであろう。

 

この会議での屈辱が日本を第2次世界大戦への引き金へとなっていく。

 

歴史は好きではあったが、日頃の生活のなかであまり考えることもなく、たまにBBCなどの歴史ドキュメンタリー番組を観るぐらいの私である。

しかしこれらの解説は、きっと学校の教科書では教えてもらえず、また知られていない歴史の事実を学べたセミナーへの参加は実り多いものであった。

 

埴原先生は、現在はリタイヤされているが、過去長く大学で教鞭を取っており、解説がとてもわかりやすく、大学で眠気を誘われてしまう教授のようなタイプではない。日本語と英語セッションが設けられ、優しくそれでも歯切れが良い語りは、固い歴史のイメージを拭い去ってくれた。1920年代の潜んでいた事実や背景にどんどんと引き込まれていくようであり、あの当時の使節団の怒りが伝わってくるようでもあった。

 

また第2回が予定されており、老若男女を問わずシドニー在住の日本の方、また日本語を勉強したり、日本文化を研究しているオーストラリアの学生にも参加してもらうことを願うばかりだ。

 

 

*「排日移民法」と闘った外交官 チャオ埴原三鈴・中馬清福著   藤原書店

毎日新聞  

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