海外生活の心得

一ヶ月半のシドニーに戻り、車探しに翻弄!!!オーストラリアの中古車は高い!

 

去年の9月に引越し、10月~11月に娘の受験、我が家の騒動は止むことを知らず、12月には日本に飛んだ私達ですが、先週やっとシドニーに戻ってきました。

このブログもご無沙汰をしてしまい、すみませ~ん!!!

ところで、日本の寒さが一段と厳しくなったと感じた滞在でしたが、3℃の成田空港から33℃のシドニーへの帰還!は、ちょっときつかった。でも、相変わらずのんびりとした人々と、甘い空気が漂うシドニーに戻りほっと落ち着いたところです。

しかし、最初の難関がやってくる我が家なのです。

難関と言うと大袈裟ですが、来週の車の車検をひかえ、なんとしても車を変えたいと願っていたのですが、日本に居てなんのサーチもせずのんびりと構えていたツケがまわってきました。

日本の中古車事情は、あまり知りませんが、実家で新聞といっしょに入ってきていたチラシを見ると、お値打ちな中古車を探すのはあまり難しくはなさそうですよね。でも、ここオーストラリアでは、ほとんどが輸入車にあたり、中古車の値段は高いのが現状です。国で車を製造していないという不利な点を国民すべてが負っているのです。

今、自分の乗っている車は、92年ホンダ、アコードで、もう22万キロも走っています。日本、アメリカ、オーストラリアの3カ国でホンダ車に乗っており、ホンダはお気に入りの車でしたが、エアコンの修理に12万円かかると言われ、未修理のまま、いつ止まっても不思議ではなく、故障の度に修理費が高くつく状態なのです。

運よく、車の修理屋をしている友達が、お値打ちなトヨタを一週間で見つけてくれました。インターネットでのサーチもはじめていますが、お値打ちそうな車には走行距離を誤魔化してあったりするなど、素人では絶対にわからない落し穴がいっぱいあるのです。

つまり、中古車の購入は、割高のディーラーからか、もしくは、車に詳しい人に頼んで見てもらうなどをしなければ、危険な買い物になってしまうのです。もちろん、経済的な余裕があれば何も心配はありませんが、我が家の予算は限られているので、信用できる人の紹介でしか車を買うことができないのです。

結論は、トヨタ、カローラSci98年が32万円。娘が仮免中でいつ傷をつけてもいいわ!という気持ちで買うのですが、20万キロの走行距離にはちょっと抵抗があります。

でもシドニーに住んでいる以上、日本の中古車価格は望めないのが現実でしょう。

来週のアコードの車検には、保険も含め約10万円はかかるのです。

いや~~、まだ迷ってます。誰か良い知恵があったら教えて!

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シドニー住宅事情 捨てる神(大家)あれば拾う神あり?!       その2

前回からのつづき・・・

先週、突然送られてきた大家からの退去願いにより、まるでハリケーンに襲われたかのような我が家。目の前が真っ暗になり必死に考えた。

そして、娘の受験の最初の科目は10月の初旬であり、できたらそれが始まる前に引っ越すか、それとも、全科目が終わる11月の初旬まで、今の家にいて時間をかけて探すかのどちらかであった。

通常、オークションで家が売れても46週間は、その借りている場所に住むことができる。(契約しだいだが)また、もし次の大家が投資家であり、テナント(借りる人)を探すのなら、このままここに住んでも良いと不動産屋に言われた。

ただ、次の買い手が投資家である保障は一切ないし、隣の若者騒音にも嫌気がさしていたから、私としてはなんとしても9月中にすべてを終わらせたかった。

一箇所、ここなら良いなという物件が運よく見つかり、先週の土曜日にオープンハウスに娘と足を運んだ。同じ郊外内で、今の家からは車で7,8分の距離でとても便利であった。

その日は、9月に入りまだ春になったばかりのシドニーであるが、少々汗ばむような暑い日であった。

オープンハウスの時間はたったの30分間。まだ今借りている人が住んでいるので、ささっと見るだけである。それに驚くほど多くの人が押し寄せて来ていた。

物件は、古いサンドストーンで出来た家で、高天井、暖炉、2寝室とリビングルーム、トイレ・シャワー、小さな台所と小さなパントレースペース(台所用品や食品などを置けるスペース)であった。驚いたのは、すごく大きな庭が裏に広がっていたのだ。草がボウボウとしていたが、手入れをすれば綺麗な庭であり、野菜畑のスペースもちゃんとあったのだ。

車庫はなく路上駐車であるが、小さな台所を除いてはモンクのつけどころがない。家賃も今より下がるし、この郊外でこんなに良い物件は滅多に出ないだろうな!と思うと、どうしてもそこに住みたくなっていった。

もちろん、我が家の場合は、どんな物件でも見つかれば出ようと思っていたのであるが・・・

申し込み書を不動産屋に提出して、あとは連絡を待つのみであった。

申し込みが殺到した場合、テナントに選ばれる基準はよく知らないが、大切なことは、過去その人々が借りてきた歴史であろう。頻繁に家を変えている人は何か問題があるし、破産宣告なんか出していれば論外であり、もちろん職業や収入によっても決められることもある。

我が家は、自分ひとりの収入だから、供働きのカップルが来たら勝ち目はない。ただ、今借りている家は11年になるし、新しい物件は同じ不動産屋である。それに品行方正な私達は、大家の都合で追い出されるという条件付き。娘の受験時期の事情も知っているし、まああ、なんとかなるでしょ!と思うしかなかった。

しかし、正直言って返事を待つ数日間、夜もろくに眠れなかった。

そして世の中には自分達がどんなに努力してもコントロール範囲外のことがあるのだ!とつくづく思えたが、とにかく運を天に委ねるしかなかった。

そして火曜日、大家の了解を無事に得ることが出来、めでたく次の家が決まった。

このシドニーで、退去命令が出て一週間たらずで移転先が決まったのは奇跡のようである。いや、奇跡としか言えないかも、ほんとうに素晴らしいタイミングに恵まれたからである。

しかしこの引越し騒動は精神的にとても疲れたが、嬉しいこともたくさんあった。それは、多くの友達が、「うちに部屋が空いているから、見つかるまえ住んでいいから。」と言ってくれたのである。もちろん、荷物整理や引越しを手伝うからという声もたくさんあがった。

今まで、娘と2人だけでここに住んでいるという意識をずっと持っていたが、自分がこんなに多くの素晴らしい友に囲まれていたことに、今さらのように気づかされた思いであった。

この郊外に住んで11年になる。住めば都とはこういうことなんだろうな!

 

 

 

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シドニー住宅事情 災難は忘れた頃にやってくる!            その1

少し前に、隣にうるさい若者が引っ越してきたことをこのブログで書いたが、彼らは彼等なりに上手に法の目を潜り抜け、まだ隣に住んでいる。

何が問題かというと、夜遅くまで裏庭で大声で会話をつづけ、多くの若者が集まり違法ドラッグを吸っている。我が家は古い煉瓦造りのタウンハウスで2回建ての6軒がくっついているから、隣の騒音はとても良く聴こえる。まして裏庭で騒げば2階の寝室に響き、ドアをバタ~ンと閉める音が加わり、必ず夜中に起こされるのである。

通常、不動産屋から3通の警告通知を受け取るとアウトとなり退去命令となるのだが、まだ3通目は届いていないようだ。

先日、隣からの告知レターが我が家の郵便箱に入っていた。「O日にパーティをしますので迷惑をかけますが、よろしくお願いします」というものであった。

一応、近所に連絡してくるなんて、以前に比べればましだな!と思ったが、それは甘かった。

パーティは、ものすごい音楽をかけ、何十人もの人々が踊っているのか、床がきしむ音も聴こえてきた。さすがに11時には音楽は小さくなったが、2,3時くらいまで裏庭での大声とパーティ参加者の玄関での出入りの声は止まなかった。どうやら住人は音楽関係の仕事をしているようだが、若者の言葉使いが最悪であった。お酒やドラッグも手伝っているのか、若い女性は汚い言葉を連発して騒いでいた。

シドニーでは、若者が飲酒乱用で殺人や傷害事件が頻繁に起きている。まさしく、隣がそういうパブになっていた。

これでは私どころがまわりの人々からきっとモンクが殺到するだろうな~!と無視をした。

ところが、なんと先週、我が家に不動産屋から退去願いが届いたのである。我が家の場合は、一応良いテナント(借り人)であるから、隣とはケースは違う。大家がこの家を売りに出すことに決めたのである。9月中旬から、オープンハウス(一般の人に公開)を始めて、10月中旬にオークションという連絡であった。

不動産屋との契約により期間は違うが、だいたい通知を受けて4~6週間で家からでなければいけいない。まあ、大家の事情だから致し方ないが、時期が悪すぎるのだ。高校3年生の娘の受験がちょうど始まるからである。

不動産屋の手紙を受け取り、即会う約束を取り、オークションの時期を変えて欲しいと掛け合いに行ったが、大家は時期を変える意志はないとの冷たい返事であった。

最初は、ショックと途方にくれたが、そんな時間もない。とにかく新しい移転先を見つけて引越しするしかないのだ。

シドニーはどの郊外もマンションなどの建築ラッシュがここ7,8年つづいている。というのは、シドニーに人口が集中しているが、それに見合う賃貸住宅数が不足しているからである。交通網もラッシュ時は麻痺状態になっているから、人々は通勤や通学にバス・電車・フェリーを利用できる郊外に引越しをし始める。ただ、新しい巨大マンションなどの値段や借り賃は、どんどん上昇していて、地域にもよるが、中国系や韓国系の人々によりほとんど買占めされている。

シドニーに住んでいるのに、高級新築マンションの全フロアーが中国系?というイタリア系知人もいる。

さあああ、どうやってこの窮地を切り抜けようか!災難は忘れた頃にやってくるものなのですね。

つづく

 

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シドニー アマチュア養蜂家事情と美顔・お肌対策  ミツバチこぼれ話       その3

一昨日、一晩にして、このブログの“アインシュタイン説ミツバチの全滅が人類滅亡へと??ミツバチ減少話 その2”に1500人~の人が訪れてくれました。このブログにとっては快挙であり喜ばしいことなのですが、ちょっと驚いています。というわけで、最近耳にした、またまたミツバチの話を紹介します。

仕事先で知り合った人と話をしていたら、本職以外に、なんと養蜂家もどきをしていると言うのです。NSW州にあるアマチュア・ビーキーパー(養蜂家)協会に登録して、会員になれば、ネットで顔を覆う特別な帽子(豪$55)・蜂用の労働服($150)・手袋($30)・巣箱のキット($80)などなどを購入でき、養蜂家としてのトレーニングも受けれるそうです。

果たして、養蜂は、自家栽培?酪農になるのか?(なんて、どちらでもいいのですが)

このメンバーになれば、もちろん、とても美味しい自然なハチミツを家で食したり、多量に取れれば販売も可能となるよう。ただ、最初に購入する道具類や軌道に乗るまでには、経費がかさみ、ハチミツ一瓶数百ドルになってしまった!ということで、簡単にお値打ちで美味しいハチミツを口に入れるまでは忍耐が必要だそう。

また、このアマチュア養蜂家は、近所でちょっと危ないハチの群れを見つけたなどの通告があれば、協会から依頼を受けて、特別服を着込んで登場するという大切な役割もあります。

このハチの群れですが、家の近所で見つけた場合、一般の人々は2つの行動をとります。一つは、ペストコントロールに(害虫駆除をする会社)、もう一つは、この養蜂家グループに連絡を取ります。最初のペストコントロールに連絡されてしまえば、哀れ、ハチミツ軍団は全滅となり、この養蜂家グループなら、ハチミツ軍団は救助されて巣箱に回収され、どこか違う場所に移動されます。

ただでさえも、減っているハチミツですから、是非、後者に連絡を取ってもらいたいですね。

ちなみに、これがNSW州のアマチュア養蜂家のサイトです。ご興味のある方は、是非ご覧になってください。

http://www.beekeepers.asn.au/

 

美顔にも!!

もう一つ、耳寄りなお知らせが!(別に紹介料とかをもらっていませんけど・・・)

このアマチュア養蜂家の知人から聞いたのですが、クィーンビー・シークレットというハチのロイヤルゼリーなどから出来たスキンケア商品があるそうです。これは、自然でお肌に優しくて、この商品を紹介してくれた方も綺麗な肌の持ち主でした。また美顔ばかりか、湿疹や荒れた肌にも効果があるようで、私も今から注文してみます。(またこのブログで随時、使用結果を報告いたしますね)

お勧めはBee Radiant(29.50)だそう。日本からの注文も可能なようですから、一度お試しあれ。

http://www.queenbeesecrets.com.au/shop

 

ハチミツから受ける恩恵は、ほんとうにたくさんありますね。

日本でもこのハチミツ数の減少を社会的な問題として取り扱い、なんらかの対処をしていければ良いなと願っています。このブログを訪れてくれた皆様、ありがとうございます。

 

 

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日本から来ている生徒も私も通学に必死!  シドニーバス急停車にはご用心!

日本の夏休みの時期になると、休みを利用して英語研修に来る学生をシドニー市の中心部で多く見かける。だいたい日本の学生は制服を綺麗に着ているのですぐにわかるのだ。中国や韓国から来ている小中学生団体も何回か見かけたが、私服しかみたことがなく制服ではなかった。彼らはどちらかというと社会研修のような観光をかねている感じであり、日本の学生は修学旅行や高校での英語研修であるから、制服を着るのが義務付けられているのであろう。

震災やトリインフルエンザなどが流行った年は、シドニー観光に訪れる旅行者ばかりでなく、英語研修に来る学生数も激減したようだが、ここ数年また増えてきているようで、シドニーに所在する留学生を取り扱う代理店や各旅行社にとっては書入れ時といえよう。

そして、私自身も日本から地元の学校に来る生徒さんのコーディネーターの仕事に就き、季節労働者?として参加した。

今回、お世話をさせてもらった生徒は、オーストラリア家庭にホームステイをして、公共交通機関を利用して通学、地元の高校で英語の特別クラスを受けたり、地元の生徒にまじり授業を受けるシステムになっている。私は高校で待機して、ホームステイ先や学校で何か困ったことがないかなどを細かくチェックする業務に就くのである。

だいたい最初の数日は、通学の途中で迷ったり、バスや電車の乗り間違えをする生徒がいて、「みんな、ちゃんと来てね!」と秘かに願うのであるが、皆の元気そうに登校してくる顔をみるとホッとする毎日であった。今年は遅刻もほぼなく、みんなすっとシドニーの交通機関での通学に慣れていったようである。

シドニーの交通機関と言えば、バス、フェリー、電車である。車社会のロサンゼルスに比べればとても便利と言えるが・・・日本と比べると・・・まだまだ不便である。朝のラッシュ時の主要道路は、ひとつ事故でも起こったり、豪雨の日となれば大渋滞の大遅延となる。電車も日本の新幹線の爪の垢を飲ませたいほど、定刻通りに走らせるのは難しいようである。それに停車場所や駅のアナウンスがほとんど無い(主要な路線以外)。特にバスは、自分のバス停を覚えていないと乗り越してから降りて戻るというパターン。冬だから5時くらいでも暗い、似たような家が並ぶバス停では降り場がわからなくなって迷った生徒が過去何人もいたのだ。

ところが、今年、生徒の心配はともかく、自分が小さな災難に巻き込まれてしまった。

数日前の朝、久しぶりの雨であった。こんな日は早めに家を出なければいけないことをうっかり忘れて、いつもと同じ様に7時に家を出た。バス停まで歩いて5分ほどであるが、傘を片手に、後ろから来たバスを停めるのが遅れた。(シドニーでは、バス停で待っていても、手を上げて乗ります!という意志を示さないとバスは止まってくれません)

ちょっと焦り、次のバスを待つのだが、なんと渋滞が始まっていたのか、雨のせいか、予定より20分も遅れてやってきた。もちろん市中心部に向かう道路はすでに大渋滞、バス専用路線があっても、バスが団子状になっている。やっとタウンホール(市の中心でバスを乗り換える場所)に到着して、次のバスに乗車、日本の先生方やガイドさんには遅延を連絡したものの、生徒じゃなくて、自分が遅刻???なんてとんでもない。

そして、学校のバス停が近づき降りようと席を立ち歩いていった瞬間に、突然バスが急停車をしたのである。シドニーバスの急停車は頻繁であるが、今回のこれは尋常ではなかった。

ギャーという悲鳴とともに、運悪く立っていた私と地元学生の2人の体が衝撃で前に押されて行った。2人で必死に棒に摑まったのだが、なんと雨で床はツルツル、私の右足だけがズルズルと滑りだしていた・・・そしてふくらはぎと大腿筋をストレッチしてしまったのだ。今、思うと、あの時摑まっていなければ、転び、きっと体が前方に滑っていき、頭かどこかを打っていた可能性がある。だからこれだけで済んだのは不幸中の幸いであった。

同車していた地元高校の先生がすぐに助けに来てくれて、どうして急停車したのか?聞いたところ、人が横断歩道に飛び出して緊急ブレーキを踏んでいたようであった。

その後、なんとか歩けたので学校に行き、当日学校では日本文化発表会があり生徒に浴衣を着せて帯を結ぶ仕事があったので、そのまま残った。

しかし正直言って、その日の午後、どうやって帯を結んたのか?どうやって家に帰ったのか?など、自分の行動が部分的にしか思い出せない。きっと、気が動転していたのか、ショックだったのか、メマイと頭がボウとする症状は数日つづいた。

あとで医療費などがかかる懸念から運転手には自分の連絡先を告げ、シドニーバス会社にも事故レポートを提出したが、梨のつぶてである。

とんだハプニングが起こり、送別会には参加もできず生徒さんにお別れが言えなかったのが残念であった。

足を引きずって帰った私に、娘が一言「マム、あれほどバスが停まってからしか立っては駄目って言ったでしょう!」

その通りです、皆さんシドニーバスに乗るときはくれぐれもご注意を!!!!

 

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シドニー・アパート事情  うるさい隣人への対処法!

私が借りている家は、古いレンガ造りの2階建てタウンハウスが6軒がくっついている英国風長屋のような建物である。建築60年くらいで窓枠は木製、壁が薄いから隣の音はよく聞こえる。裏に小さな庭があり、そこでの話し声はなぜか響きわたり隣の建物にまでエコーしてしまう始末。従って隣人の騒音に関しては過去いろんな問題があった。

私はNo.5に8年ほど住んでいるが、一番ひどかったのはNo.1に住んでいたアイランダーの人々であった。アイランダーとは南太平洋の島々からオーストラリアに移住している人々である。借りていたのは子供連れの家族であったが、毎週末彼らは集い、飲み会、食事会、映画鑑賞を繰り返していた。故郷の習慣は理解できるが真夜中騒ぐのは、やはり新天地シドニーであることを忘れている。間に3軒の家をはさんでも、我が家に聞こえてくる騒ぎはひどく、何度かまわりの借人が不動産屋に通知して、半年後彼らは引っ越していった。警告は3通までと決まっているが、最初の1通、2通で少し静かになり、また忘れた頃に騒ぐというパターンとなるから、強制退去まで半年もかかるのである。

違う時期に、No.3に居たマオリ族(NZ)の奥さん、オージーの旦那さんと小さな女の子の家族は家庭内暴力のタイプであり、夜中に酔ってさわぐ旦那さんが奥さんに罵声、子供の悲鳴、奥さんの叫び声が聞こえるたびに戦慄が走るような感覚になった。真隣のNo.2に住んでいた女性は、その後Anxiety(心配症)に陥るが、きっとこういう騒音の影響は大きかったのだと思う。

私が引っ越してきた当初3年は、No.6に住むレズビアンカップルが不親切な人々であった。最初に知らずに駐車場に停めてしまったのがきっかけで、なにかとモンクを言ってきた。日曜の朝10時頃ですら掃除機をかけると、「自分たちは休んでいるからウルサイ」と言われた。「そりゃ、昨夜遅くまで騒いで飲んでいたら二日酔いでしょ?」と言いたかったが、ぐっと我慢した。夜勤のようで真夜中にバルコニーでおしゃべりをして洗濯物を干し、フットボール試合のある夜は、友達を集めて裏庭で大騒ぎでパーティをする。

「せめて真夜中の洗濯の際はもう少し静かにして欲しい」と頼んだら、「隣のために自分たちの生活習慣を変えるつもりはない」と言われた。目が点であった。人への迷惑を考える頭を持っていない身勝手な人々なのだ。

その後、大きな問題もなく平穏無事に住んでいたが・・・

ここ3ヶ月ほどNo.4隣は内装改修していたが、数週間前に若いカップルと男性が引っ越してきた。良い人々ならいいな~と思いつつ、見かけた時に挨拶をしてお互いに自己紹介をした。

ところが、引越しした当日から災難はやってきた。

どうやら3人で住むふりをして、実は3人ほど違う男性も出入りしていた。静かにしていれば誰も気づかないのだが、浅はかにも総勢6,7人が裏庭でタバコを頻繁に吸い始めたのだ。タバコだけならいいのだが夜中の1時くらいまで大きな声で話している。それにどうもタバコも普通ではなく麻薬系っぽい。裏庭に出入りするドアの開け閉めもうるさい。これが毎晩つづくのである。

「ちゃんと麻薬を吸っているという証拠を見つけたら警察署に通報するべきかな?」と年配のオージーの友達に相談したら、「一切関わるな!そのうち追い出されるから・・・」と言われた。家には娘もいるから、揉め事は可能な限り避けたほうがいいのである。

すぐに不動産屋にも連絡をしたが、「一応警告の手紙は出すが騒音問題の扱いは難しい」と言われた。

自分たちは悪いことをしていないのに、弱者が我慢するしかないのかと思えたが、耳栓をつけて寝たり自分の寝る部屋を変えて様子をみることにした。

たまたま昨日、半年に一回行われる家のインスペクションがあり、不動産屋の女性と隣の状況を話す機会があり、彼女曰く、私以外に被害を出している住人が数人いるようで、「彼らが麻薬を吸っていて、6,7人の若者が居る」と同じことを通知していたのだ。

音に関しては‘夜の何時以降は静かにしてください’ということを、手紙で警告を出すくらいしかできないようだが、借人の数が不動産屋の契約と違っていれば契約違反であり話は別である。

これなら弱者が泣き寝入りすることはないな!平和に静かに眠れる日が近いことを望むばかりであるが、またまた次の隣人はどんな人が来るのかな?と気になる。

ここでの隣人との騒音問題は、冷静に法的な対処を取るしかないようである。

隣人、近所への心遣いなんて言葉はなかなか見つからない他民族国家の悲しさとも言えよう。

 

 

 

 

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アンザック・ディ 戦没者追悼意識  日豪の違いを感じる日    April 25 in Sydney

アンザック・ディとは、オーストラリア国家の戦争記念日であり法定休日である。ANZACとは、Australian and New Zealand Army Corpsの略で、1915年*ガリポリの戦いの際にオーストラリアとNZ(ニュージーランド)両軍により編成された軍団の名称である。

毎年この日は、国内各地で日の出とともにDawn Serviceと呼ばれる戦没者追悼式、現時点でも戦地アフガニスタンに赴いている兵士への敬意を表する催しがある。今朝はブリスベン18万人、メルボルン4万4千人、シドニー中心地マーティン・プレイスにも多くの市民が押し寄せた。

このDawn Service式典の規模は大小様々である。私の身近なところでは、娘が小学校高学年時にガール・スカウトに参加していたが、やはりこのサービスがあり多くの子供達が参加していた。

朝のテレビ中継を観ていても、若い年代層や小さな子供を含んだ大勢の市民が日の出前から待機していた。そして大きな式典でさえも、政府や軍関係者のスピーチのみならず中高生などによる追悼の挨拶が含まれ、西オーストラリアでは小学生グループが参加している。過去の戦争で命を落とした兵士への追悼、また戦争は2度と繰り返してはいけないということを若い世代にしっかりと浸透させているのが伝わる。老若男女問わず国を挙げての記念日なのである。

午前中シドニー市の中心を走るジョージ・ストリートは、第一次&二次世界大戦、コリアン戦争、ベトナム戦争、パプア・ニューギニアでのボマナ戦争(パプアニューギニア軍に従事したオーストラリア兵士3000人死亡)、現在のアフガニスタン戦争(現時点オーストラリア兵士39人死亡)、兵士の遺族、元兵士、関連家族、水陸航空各軍,退役軍人のクラブによるパレードが華やかに開催され、バグパイプの音色やマーチング・バンドは圧巻であり、多くの見物人に囲まれ賑わう日となる。

また遠いガリポリにも8000人ほどのオーストラリア人が赴き式典が開催される予定である。

このアンザック・ディが近づくと各局ニュース番組では様々な戦争にまつわる話を一斉に流し出すが、そのうちの一つに特に胸が重く痛くなるのは、過酷な日本人キャンプからの生き残り兵士の話や画像である。

第二次世界大戦中日本軍が南東アジア諸国で猛威を震わしていた時、日本の捕虜収容所でのオーストラリア人兵士の数は2万2千人であった。痩せ細ったオーストラリア兵士が強行労使を虐げられている古い画像をテレビで観る度に戦慄が走る。過去の事実をしっかりと受け止め、無視して知らないでは済む問題ではなく、この事実をどれほどのオーストラリアを訪れる現代の日本の若者が知っているのかという疑問が浮かぶ。

歴史の事実を何も知らずに、日本の教科書からだけしか知識を持たないワーキング・ホリデーヴィザや学生ヴィザで渡豪している日本人の若者がいるかと思うとゾッとするのである。

いくら親日家のオージーであっても、暗い歴史を持ち日本人を嫌っている人もいるのは隠せない事実であるからだ。

日本の終戦記念日は、一部政府や平和団体により平和集会が開かれていると思われるが、終戦記念日に一般の日本人がどれだけ参加しているのであろうか?この国のアンザック・ディへの国民の戦争反対への意識度の高さや規模の大きさ、小学生がDawn Serviceに参加しているのをみると、雲泥の差を感じる。日本は平和ボケと言われても仕方がないようだ。

また海外に進出していく際に、様々な歴史の事実を知るのは必要不可欠なことである。

話はそれるが、元来お酒好きなオージーであり、この日は朝からパブでビールを飲み交わす人々が多くみられ、Two-up tipsと呼ばれるオーストラリアの伝統的なギャンブルがこの日だけ解禁される。これは一枚もしくは二,三枚のコインを空中に投げ、そのコインが同じ面を向けているかを賭けるものであり、第一次世界大戦中のオーストラリア兵(Digger)がこの賭けをしたことが由来である。

もしアンザック・ディにパブで飲んで騒ぎたい日本の若者がいるのなら、簡単な歴史の予習をしておき、また何か差別的な扱いを受けた際に対応できる英語力くらいは持っていてもらいたい。

 

*第一次世界大戦中19154月~19161月にかけ、トルコのガリポリ半島で起きた戦い。英仏連合軍がオスマン帝国の首都コンスタンチノーブルを奪還してロシアへの海路を確保しようと大規模な上陸作戦を展開したが失敗。

Wikipedia new.com.au ch 7, 9 ch 21

 

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1億4千万円!の欠陥マンションの顛末は?           シドニーの某郊外編

不動産屋で働いている友達からちょっと驚く話を耳にした。

彼の働く事務所は、シドニー中心地から電車で20分、車では40分(混雑時を除く)くらい、ここ7,8年、軒並みにマンションがたち始めている郊外である。話になったのは、住宅ローンの返済ができなくなったある物件が銀行に差し押さえられ、その物件を売りに出すというものであった。

この差し押さえになった建物は、地下に車2台分のガレージ、地階に15畳くらいのリビングスペースと台所と洗濯室、2階に3寝室とバスルーム(トイレとお風呂場がいっしょにある部屋)2つ、3階は広いバルコニーでジャクジ付き。寝室の部屋の大きさは8畳から10畳くらいの大きさらしい。

値段は、6年前新築で1億4千万円、なんと今は至るところに建築の欠陥がみられ、すべて直しても8500万円くらいで売れたら良いとのことであった。

何が驚きかと言うと、まずこの郊外で6年前にその物件がそんな値段もしたのか?そしてそんな高額でも売れている!という点。また6年しかたっていないのに、3階のバルコニーから水が漏れ2階の寝室の天井がカビていたり、壁が安物で朽ち落ちてきたりなど、とんでもない建築構造という点。そして窓からの景観は、まわりのマンション、その建物の合間に河川が流れているくらいであり、景色が良いわけでも自然に囲まれたわけでもなんでもない。増して、そのあたり外からみても魅力がある建物とは決して思えないのである。

営業妨害になるといけないので、一切建築会社や郊外の名前は書かないでおくが、その会社の欠陥建築は不動産屋では誰もが知っているそうだ。しかし仕事上、売りに出す物件は最悪の欠陥住宅ですよ!なんて言えないという代物なのである。また、今だから欠陥が見え出したが、6年前では知られていなかったかもしれない。

この郊外はアジア系移民の進出が年々増えている。アジア系の特に若い学生やカップルが多く、お金を持った親たちが祖国からお金を注ぎ込んでいるのか、彼らの乗っている車も高級車が多い。二十歳そこらの若い女の子がどうしてBMの新車に乗れるの?といつも不思議になるような地域だ。

もう一つ懸念されるのは、この郊外一一帯の交通状況である。建築ラッシュは止まるところを知らない、そのわりに電車のシステムは向上するわけでもなく、道路の混雑は悪化するのみ


来週から子供達がスクール・ホリデーに入るから、今日はなぜか朝からこの辺りは大渋滞になっていた。他州の車が遊びに訪れていたり、早めにシドニーを脱出してホリデーに向う家族などが道路になだれ込んでいたようだ。

交通システムの改善や向上には十年単位で時間を費やすものと予想される。今、いや5,6年前からでも、この交通状況を変えていかなければ、数年先のシドニー郊外は最悪になっていくであろう。定刻通りに走り、滅多に故障しない(自然災害時以外)日本の都市の電車網を羨ましく感じる日々である。

 

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気温46℃を初体験!6℃の東京から燃えるオーストラリア大陸へ! 

随分遅れましたが、

Happy New Year!!! 

いつもこのブログをのぞいてくださっている皆さま、今年もよろしくお願いします。

数日前に寒い寒い日本からシドニーに戻ってきた。オージーの友達から、先週シドニーの気温が40℃を超えたと聞いていたのだが、寒い日本の冬を3週間半ほど過ごした後だったので、夏?40℃?あまりピンとこない状態であった。

到着した朝は曇り空で18℃、気温が上昇しても27℃くらいだったので、ああ、これなら夏に戻っても大丈夫と思っていたのだが・・・・・・

天気予報では、17日メルボルン39℃、18日の今朝はついにシドニーが39℃とあった。山火事も猛威を奮いつづけており、いたるところで火気取り扱い禁止令が出されているのだが、気温上昇にともない新たな山火事発生は防ぎようがないようである。

ついに来たか!という感じで、まずは家の暑さ予防対策をはじめた。

我が家は古い煉瓦造りの2階建て、地階の床は古いタイル、また高天井ということもあり夏でもとても涼しい。ただ窓が異常に大きいのでブラインドをしっかりと閉め太陽光を一切シャットダウンする。2階は絨毯がひかれ下からの熱が上昇するので・・・あきらめ・・・窓やブラインドをすべて閉め必要がないかぎりは2階に行かないことにする。

午前中外出した後、午後はミーティングがあり、その人とどこか涼しいところに行こう!ということになり、スポーツ・ジムのラウンジに行った。そこではプールやフィットネス器具の並んだ部屋の横に大きなソファーがいくつか並び、メンバーや子供を水泳やテニスクラスに連れてきた親達がくつろぐことができるようになっている。カフェもあるので食事も飲み物も注文もできる。夏休みだから子供の楽しいクラスが開催され賑やかではあったが、ガラス越しにプールで泳ぐ人々の水しぶきを眺め、なんといっても冷房完備。これ以上良い場所はない。

3時ごろにはついに外の気温が46℃に達した。(シドニー中心から20kmの辺り)

シドニー観測所によると、‘午後25545.8℃を記録し、19391月の過去最高気温45.3℃を上まわる。2013年に入り40℃以上を記録したのは2日目、過去107年に一月で40℃を超えた日は4回しかない。’

試しに涼しい建物から外に一歩でてみたが、まさしくサウナ。日本の夏に比べ湿度が低いからベトベト感は一切ないが、暑い風は喉のあたりをムッとさせ、日頃感じたことが無い身体のまわりの空気を感じる。立っているだけでメマイがした。太陽は厚い雲に隠れていたからいつもの刺すような痛い熱は感じなかったがとにかく異様であった。また暑くても汗をかかないから水分補給は欠かせず、油断すると体内水分不足で頭痛が始まるので要注意である。思考能力も低下していきそうであった。

通常体温が36~37度くらいだから体温より10度高いことになる。生まれて初めて46℃を体験した。温泉の温度より少し高目であろうが比にはならない、不快感しかないのだから。

シドニーの鉄道網は記録的な暑さにより故障が続出、シティの中心を走るモノレールも夕方まで運行停止。

夕方から嵐になると予報されていたが、現時点(830シドニー時間)では、急に雨の混じる強い風が吹き始め、窓を開け風を入れ替えることが出来始めた。(今までは外からの熱が入ってくるので窓は開けられなかったのだ)

さあ、今年のシドニーの夏はどうなるのか?

週間予報によると、土曜は21~25℃、日曜は20~25℃だそう。だいたいこれがシドニーの夏の気温である。シドニーはオーストラリアの他の都市に比べると気候的には住みやすい場所であるはずだが、今日は随分違った。40℃を超える日が極力来ないことを願うばかりである。

 

情報源:Environment

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外国で友達をつくる難しさについて

 

最近ある催しに参加してから新しく人と出会う機会に恵まれている。

 

高校生の娘を抱える母親としては、娘の学校友達の家族、近所、仕事や自分の学校(就学中)関係くらいの小さな社会のみを生きており、新たに人と出会うという機会に恵まれるのはとても難しい。

 

 

 

シドニーに移ってからは、主に地元社会に密接であったから日本人と出会うこともなく。たまに近くのスーパーなどで日本人かなと思われる人と合っても、そこで話しかけて親しくなる確立は低かった。従って日本人の友達は無にちかかった。

 

 

 

今回この友達の輪は、あの東関東大震災の翌日に始まった。

 

時々ランチや朝食を食べに行くIKEA(大きなスエーデン製の家具屋さん)のカフェにいたら、うしろから日本語の会話が聞こえてきた。日本人女性が2人座ってお茶をしていた。

 

 

 

きっと普段なら恥ずかしいやら邪魔もしたくないので話しかけることはないが、その日は地震のショックが大きかったせいもあり、思わず

 

「日本のご家族は大丈夫でしたか?」と図々しく身も知らずの人々に話しかけていたのだ。

 

そして連絡先を交換してしまうほど話が打ち解けてしまった。

 

挨拶程度で終わり連絡先なんて滅多に聞かないから、これは稀な例である。

 

 

 

しかしそれを機に多くの色々なタイプで同年代の日本女性や母親がこの辺りにいらしたのですね!!と驚くほど、大きくこの輪がどんどん拡がっていく状態である。

 

 

 

異国人として外国に住む際に多くの困難があげられるが、その一つに‘友達つくり’がある。初めてアメリカに住んだ時、言葉、文化、国民性すべてに小さなカルチャーショックを受けつづけ精神的に参った時期があった。その時私を救ってくれたのは大学の図書館で偶然同じ机に座った日本女性であり、のちに彼女はベストフレンドの一人になった。

 

私が病気で寝込んだ時に彼女がお粥を炊いて梅干といっしょに届けてくれたことがあった。この時ほどアメリカンの旦那の不甲斐無さを感じたことはなかった。一生忘れられない思い出である。

 

いまだにアメリカ人やオージーの良き友より日本人の友の数が断然おおいのは自分が日本人であるからであろう。

 

 

 

あの地震の翌日に声をかけてよかったな!とつくづく思える毎日である。

 

実はあの地震で、一念発起して受けたある会社の採用が取り消しになるという悲しい出来事が私自身にはあったが、それとはまた違った新たな人間関係が生まれた。

 

友というお金では買えない素晴らしいものを手に入れたことに感謝である。

 

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