スポーツ

2016年パラリンピック開会式!!たくさんの感動と涙をありがとう! 

朝、いつも通り娘のお弁当を作っていたら、ニュースでパラリンピックの開会式のことを知りました。オリンピックが終わり、パラリンピックはいつ始まるのかしらと思いつつ、ぜったいにパラリンピックを観たいと願っていた矢先だったのです。

今年のオリンピック・パラリンピックの開催地リオの夕方は、シドニーの朝方にあたります。オリンピックの開会式は、週末の朝の買い物のゴタゴタで前半を見逃し、選手の行進から後半を観れただけでした。それでも日本選手が画面に映りだすと娘と二人で、「JapanYeah!!!」と歓声を上げました。2000年シドニー・オリンピックの時は、テレビの前で待ちに待った日本選手の行進が始まると、なんと?コマーシャルに入ったのです。どう考えても意図的に日本の選手登場をカットされたようで・・・チャンネル9(豪テレビ局)に怒りの手紙を書いたくらいでした。

本題のパラリンピックの開会式も選手の行進からの後半しか観れませんでしたが、感動と涙をいただきました。パラリンピックですから選手の皆さんは、車椅子や杖を使ったり人の助けを借りたりして行進します。みんな笑みを満面にたたえて堂々と登場する姿がとても美しく感じました。

行進はもとより、私が感動したハイライトをいくつか紹介します。

行進と挨拶が終わった後、ブロンドの美しいダンサーが現れました。遠目では気づかなかったのですがクローズアップされると両足が義足です。途中から大きなロボットが登場して彼女の踊りに参加します。Kukaと呼ばれるロボット君は彼女を持ち上げたり、どこか愛嬌のある踊りを見せてくれました。ダンサーは義足とは思えない軽やかな美しい踊りを披露してくれ、義足だからといって制限されることは何もないように思わさせてくれました。

次にオリンピックの旗を8人の男性が運んで入場してきたのですが、よ~く見ると彼らの体の前に大きなポケットのような服を着ていて、その中に子供が入っていました。子供たちはなんらかの障害を持っていて自分たちの足では歩けず、お父さんの足の中に自分達の足を入れていっしょに歩ける仕組みになっていました。子供達の嬉しそうな顔は言うまでもありません。きっと今までの移動は車椅子に座るのみ、自分の足で立って歩くことはとても稀だと思われます。途中、日本の選手団の横を通ったとき、車椅子に乗っていた日本人選手と一人の男の子がハイ・ファイブをしていました。ジィ~ンと胸が熱くなりました。

最後の涙と感動は、聖火を運んでくる選手の様子です。過去に金・銀・銅メダルを取ったブラジルのパラリンピック選手四人による聖火のリレーでした。

最初は右前腕のない選手、二人目は歩幅がふつうの半歩にも満たず杖をついてゆっくりと歩く選手、三人目は18歳のときに視力が通常の10%にまで落ちてしまった女性(横にはアシストする人が付いています)、四人目は車椅子の水泳選手でした。

二人目の杖をついた女性選手が聖火を運ぶ頃から大粒の雨が降り出しはじめ、それにすべってしまったのか、彼女は転んで聖火を落としてしまいました。すぐに関係者が彼女を起こしに行き、転がってしまった聖火を渡します。彼女は転んでもまた気丈に立ち上がり、聖火を持ってゆっくりと歩きはじめます。会場からは大歓声が沸き上がりました。誰もが心で頑張って立ち上がれと思ったことでしょう。

彼女の人生で転ぶことはきっと何千回も起きていて、そのたびに立ち上がり歩き続けてきたことでしょう。パラリンピックの大舞台で転ぶことなんかは大したことではないのです。大切なのは起き上がって聖火を運びつづけることでした。

四人目の水泳選手が高くそびえ立つ聖火台の前の階段の下に車椅子でたどり着きました。え、どうやって上るの?って思っていたら、階段が移動してちゃんとジグザグのスロープが出来あがり、彼はスロープを上り聖火台に無事に火を灯しました。

パラリンピックは、日ごろ私達が忘れている「五体満足がどれほど幸運なことである」という大切なメッセージを伝えてくれます。

オリンピック・パラリンピックの開催される時こそ日本に居たい!といつも思います。まあ、仕事をしていればどこの国に居てもなかなか競技を観るのは難しいのですが。それでも、日本選手の活躍がどうしても観たいと思う自分は日本人なのですね。20数年海外に住んでいてもこればかりは変わりません。

さあ、パラリンピックを観るぞ!!

 

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史上初女性ジョッキーが2015年メルボルンカップの王冠を手にする!!

毎年11月の第一火曜日は、オーストラリア中の老若男女がテレビの画面に釘付けになると言っても過言ではないほどの大きな競馬レースが催されます。お隣のビクトリア州では、この日は祝日となり、前日にパレードがあったり、当日は背広やドレスを着込んだ人々がレース場に押しかけたりしてお祭り騒ぎとなります。このオシャレな帽子をかぶるのが習わしであり、競馬場に行かなくても、このあたりのパブなどでレース中継を観る人々も素敵な帽子をかぶっていたりして、見かけるだけで楽しくなります。

毎年、メインのレースは3時にスタートします。娘が小学校の頃は、いつも迎えに行く時間と重なり見逃していましたが、そんな迎えもなくなり、ここ数年はテレビの前にかぶりつき。

2014年のレースは、このブログでも紹介しましたが(競馬レースの馬は酷使され過ぎ? 豪メルボルンカップのレース後に日本馬が死亡!2014年、豪メルボルンカップの結果が大きな波紋を呼ぶオーストラリアその2)、参加した日本馬がレース後に死んでしまうという悲しい結末でした。今年も日本から参加していたFame Game馬が優勝候補にあげられていましたが、残念ながら13位に終わりました。

去年の悲しいレースと比べて今年はちょっと嬉しい結果となりました。

なんと、史上初、女性ジョッキーが勝利を手にしたのです。

競馬のジョッキーと言えばどこの国でも男性がほとんどを占めている中、こんなに大きな競馬レースであるメルボルンカップで女性ジョッキーが優勝したというのは快挙であります。

レース後の可愛らしい声のインタビューを聞いていると、こんなすごい世界でよく頂点に立てたな!と感心します。そして、どんな分野においても、女性だからできないとか勝てないなんてことはどんどん無くなっていくのではないのかしらと大きな勇気をもらえたような気になりました。

競馬レースと言うと、ギャンブル、そして馬への酷使には抵抗がありますが、女性ジョッキー勝利という、今年はちょっと嬉しくなる結果でした。

 

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オージーが自国選手を応援しない理由!             Australian Open2013

1月中旬メルボルンで開催されているオーストラリア・オープンは、フレンチ・オープン、ウィンブルドン、USオープンと並ぶグランド・スラムと呼ばれる国際テニス大会の一つである。

昨夜(19日)、オーストラリアの若手選手Bernard Tomic20歳)が、世界ランキング第二位(201212月現在)過去同大会を4回制覇しているRoger Federerと戦った。

前日、おもしろいコメントや世論調査を耳にした。

対戦前に某TV局が地元の人々に調査をしたところ、なんと55%の人々が自国の選手にもかかわらず、‘Bernardを負かしてFederer(スイス国籍)に勝ってほしい’という結果が出たのである。

31歳になっても世界のトップを保つFedererの人気は十分に理解できるが、スポーツ大国のオーストラリアとしてはテニス界でオージーが活躍してくれることを望んでいるはずなのでは?と思えたが、いくつか記事を読んでみると、なるほどと思える箇所がこのBernard選手にはみえてきた。

tennis bad boy’テニス界の悪小僧、’party boy’パーティ大好き青年、‘a young Australian with a lengthy wingspan and even bigger ego’長い翼幅(手足)を持ち、その上自尊心を大きく持つ若手オーストラリアン、‘Big-talking Australian’偉そうなことをいうオーストラリアン、‘Federerに毒舌を吐いている’などBernardを称する記事は悪いことばかり。

試合前日は‘Federerとの対戦を楽しみにしており、この最強テニスプレイヤーを間違いなく打ちのめす’と自信満々に述べている。

それだけではない、私生活でも問題児の彼は高級車を乗り回し交通違反を犯し、警察に捕まった時‘いったい誰を捕まえたのか知っているのか?’と豪語している。

去年12月には、Bernard選手はテニス・オーストラリア協会から資金の提供が切られ、2月のデビスカップに出場することも禁じられた。またオーストラリア・オープンでの選手の言動や規律に関しては厳しく言われていたようだが、これらの良薬は彼の口には苦くなかったようである。

昨夜の試合は6-4,7-6,6-1、自分の力を過信して有名人であると思い込んだ青年には痛い結果となった。

今後、Bernard選手が国民的な英雄になるのかは彼しだいといえよう。オーストラリアは寛大な心を持つ国である。彼が真剣に心から立ち直れば、それを温かく迎えてくれる国である。そんな立ち直ったBernard選手をみたいものである。

 

情報源:The Express Tribune Yahoo Sports The Daily Beast Ch7

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ツール・ド・フランスでついに優勝 自転車少年の夢を果たした日!

 

Cadel Evansがツール・ド・フランスで優勝したニュースは、今朝のオーストラリア中の新聞のフロント・ぺージを大々的に飾った。

 

ツール・ド・フランスとは‘毎年7月に23日間の日程で行われるステージ・レースで距離にして3300km、講高低差2000m以上という起伏にとんだコースを走りぬく’過酷な自転車のレースである。

 

108年の歴史を持つこのレースでオーストラリア人が優勝したのは、100年ぶりの快挙であり、この誇らしいニュースは国民に大きな喜びを与えた。

 

 

 

レース始まって以来最年長の優勝者となった彼が、ここにたどるまでの道のりは長かった。ツール・ド・フランスに2005年にデビューした時は8位、2006年は4位、そして2007年と2008年とつづけて2位であった。目の前の勝利を2回逃しており、今年の優勝は、年齢の限界へと近づいていく彼にはどうしても達成したいものであったであろう。

 

 

 

ノーザン・テリトリー(北部特別地域)の田舎街で生まれたカデルは、小さい頃、水泳、サッカー、クリケットなどオーストラリア特有の学校でのスポーツが得意ではなかったそうだ。他になにもすることがなく自転車を毎日乗り回していた。

 

そんな幼少時代から‘肉体的にプロのスポーツ選手になることは不思議である’と本人は言っている。

 

 

 

幾つか新聞に彼の隠れた支援者のことが載っていたので紹介したい。

 

 

 

その一人、去年12月に脳腫瘍で亡くなった彼のトレイナーAldoSassi氏は、彼の良き友であり恩師であった。

 

‘最も大きく名声の高いツアー、ツール・ド・フランスで勝てば、この世代で最も完結したサイクリストになれる。必ず勝てる’という恩師の言葉は、’私自身より、わたしのことをより信じてくれていた人‘とカデルは述べている。

 

きっとAlso氏に今日の晴れ姿を見せたかったことであろう。Aldo氏の話になるとカデルは涙を隠すことができなかった。

 

 

 

もう一人はピアニストで音楽の先生であるイタリアンの奥様(Chiara Passerini)。

 

彼女は、彼が彼女にプロポーズをした地であるゴール地点で、彼の無事到着を待ち望んでいた。Twitterでは、“Come what may, I will love you until my dying day”とトゥィティングしたそうだ。これはあの二コール・キッドマン主演の映画ムーラン・ルージュの歌の詞である。訳:なにがおころうと死ぬまであなたを愛すわ!

 

なんとも可愛らしい!

 

 

 

体力また精神力の限界に挑むスポーツ勝利者の栄光の裏舞台を支えている人々の喜びもまたひとしおであろう。

 

 

 

Congratulations Cadel!!!!

 

 

 

 

 

情報源:Sun Morning Herald Herald Sun Wikipedia

 

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なでしこチーム 優勝おめでとう!!! 一杯の元気をくれてありがとう!in Sydney

 

シドニー時間、朝4時にサッカー世界大会の決勝戦は始まった。

 

2週間の冬休みもあと残すところあと1日。娘はテレビの前に毛布やクッションを並べ試合鑑賞体勢に。私は6時半ごろ目が覚め、あれ?まだ終わっていないの?と、娘の毛布にくるまり2人で延長戦を観ることになった。

 

 

 

数日前に決勝戦の相手がアメリカと知ったときは、

 

「日本(母方)とアメリカ(父方)のどちらを応援するの?」と娘にきいた。

 

「もちろん日本でしょ、マム!」との言葉になんだかホッとした。

 

 

 

シドニーのスポーツ誌やスポーツ・コメンテーターは一様に、‘日本には勝ち目がない’という雰囲気であったから、‘いいのよ、ここまでよくやったよね!あんな大きなアメリカ女性相手に決勝まできたなでしこ軍団は偉い!!!’と心中で思いつつ試合をみつづけた。

 

 

 

延長戦の前に選手が輪になってコーチの話しを聞きているアメリカンチーム。

 

それに比べて日本選手側は足のストレッチやマッサージなどに時間を費やしていた。

 

試合が長くなるほど体力の持続が大きく響くから、身体をいたわることは大切なのだ。

 

 

 

そして延長戦でアメリカのゴール・キーパーの足の不調を訴えを観たときは、ほらね、あの身体をいたわる日本人チームが正解だ!と思えた。

 

これで少し流れが変わったようであった。うん、日本は勝てる!と感じだした。

 

そして見事にPK戦で勝利を遂げたのだ。もう嬉しくて嬉しくて娘と2人で抱き合い大喜びであった。

 

 

 

運よく決勝戦の日が日本では海の日の休日であった。

 

だから時間が少々早くても、きっと多くの日本の人々がテレビを通して応援していたことであろう。みんなの思いや意思が遠いドイツに伝わっていたのかもしれない。

 

また彼女等の活躍、健闘、勝利は、一般の日本人のみならず、地震で被害を受けた人々や避難所で生活苦を虐げられている人々にも大きな喜びや将来への希望を与えてくれたことであろう。

 

 

 

試合後、SBS(オーストラリアの国営テレビ局)のコメンテーターは、日本選手をずっと褒め称えつづけた。

 

‘大柄で力強いアメリカチームに反して小柄だけど技術的に優れた日本チーム。このまったく異なる2チームが素晴らしい試合を世界中に繰り広げてくれた。これはワールドカップ始まって以来、歴史に残る大きな試合の一つになる’

 

‘最初は緊張のせいかなかなか上手く動けなかった日本チームであるが、おおきな精神的なハードルを乗り越えて勝利に導いたのはすばらしい’

 

‘日本での大震災という悲劇が忍耐、持続などの力を彼女等に与えたのであろう’

 

 

 

ほんとうによく頑張った。そして観ている私達ファンにも歓喜を与えてくれたなでしこチームにただただ感謝である。

 

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スポーツダイスキ派、Sydney通常観光にあきた人のために!

世界中でこんな贅沢な公営プールはきっとSydneyにしかないのでは?と思えるほどの素晴らしいプールを紹介したい。 

場所はCity側からハーバーブリッジを渡ったすぐ横にある。 橋の渡り方は電車、バス、歩き、またはサーキュラーキイからフェリーに乗りミルソン・ポイントで降りれば到着。

なにがすごいのか?というと、とにかくロケーション、景色、そして歴史ある建物。 

屋外の海水50mプールからはドカンと大きなハーバーブリッジをほとんど真上に見ることができる。 sun日光浴ができるサンデッキがあり、ここからのCity、ブリッジ、オペラハウス、シドニー湾の景色は絶品、高級ホテルに滞在する必要なし!!!

客席になっている階段をのぼった屋内温室25mプール、サウナ室、ジャクジからのお勧めはCityとブリッジのshine夜景である。 また大きなピエロの顔のゲートでお馴染み、ルナパーク(遊園地)の夜景と乗り物に興じる人々の悲鳴が聞こえてきて、それも楽しい。

1936年に建築されたアート・デコスタイルは美しく、86個の世界記録が出された水泳大国Australiaならではのプールである。

入場料は大人$6.10、小中学生$3、学生$4.90と公営だからお値打ちである。 

こんなシドニーの一等地に公営プールというのが庶民にとっては嬉しいのである。 東京やNYの一等地にまず公営プールはないであろう。

もう一つのボーナスは夏休み(12月末から1月末)になると、このあたりの地元民がゴールド・コースト、タスマニアなどの他州へ休暇に出かけ、またwaveマンリーやボンダイなどのビーチに行ってしまうので、このプールがすいているのである。 東京あたりの芋の子を洗うプール状態に比べたら、ここは天国のようである。

一度は泳いでもらいたいプールであるのだ。

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