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2016年9月

クリーン&グリーンを推奨、風力・ソーラー発電が40%以上を占めるサウス・オーストラリア州豪アデレードで9万世帯が大停電に!

9月28日、サウス・オーストラリア(SA)州にスーパー・ストームが襲来、午後から一晩中停電がつづき167万の住民に影響を及ぼし、その間公共のバスや電車が麻痺、空港閉鎖、すべてがシャット・ダウンする事態が起きました。 翌日のニュースでは、この停電の原因は、50年に一度くらいにやって来ると言われるストームの規模の大きさからなのか、それとも再生エネルギーを大きく推奨しているSA州のインフラの失敗なのかで意見が大きく分かれ、州首相、連邦エネルギー大臣や専門家のあいだで賛否両論がかもし出されました。

風を利用するはずの風力発電がスーパー・ストームで停止?!

風力タービンは風が強すぎると止まってしまう!! 風力発電は、風を利用して発電するから風が強ければ強いほど発電力が高まるのかと思いがちですが、実は風力発電に使われるタービンは、大きな嵐などの強風時には故障を避けるために停止するようです。さらにこのスーパー・ストームは、20以上の送電線を破壊、電力を運ぶ発電網、グリッドなどに影響を及ぼし、機械故障を避ける安全装置が働き電力の供給を停止させたのです。

クリーン&グリーンを推奨、風力・ソーラー発電が全体の40%以上を占めるサウス・オーストラリア州は大丈夫なのか?

SA州は、風力・太陽光・ガスなどの再生エネルギーを利用して、オーストラリアの他州に比べ環境を重視したエネルギー源を使っています。ガスによる発電は、石炭による発電より50%も地球環境に優しいと言われていて、今年5月、石炭による発電所を閉鎖したばかり。この閉鎖により緊急時やピーク時のバックアップができるエネルギー源が少なくなったとも言われています。

再生エネルギー見直しよりも、現存する送電網やインフラの見直しが必要

今回のスーパー・ストームによる大停電の原因は、SA州が風力発電に頼りすぎたことが悪いケースのお手本のように説明する人がいます。でも気候変動にともない大きなストームの襲来は増加していくことでしょう。50年に一度ばかりか、今後は毎年やって来ることも考えられます。

地球温暖化や気候変動を防ぐために再生エネルギーが大きく見直されていますが、エネルギー源ばかりではなく送電システムやインフラの見直しが追求されているのではないでしょうか?

一日も早いSA州の復興を祈りつつ。


情報源:

http://www.abc.net.au/news/2016-09-28/sa-weather-'serious-questions'-must-be-answered-frydenberg-says/7886262

http://www.abc.net.au/news/2016-09-29/sa-weather:-no-link-between-blackout-and-renewables-expert-says/7887052



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世界初、先住民による光のフェスティバルがアリススプリングスで開幕、大規模なアート・ショーに注目!

世界で2番目に大きな一枚岩、3億年の歴史を持つウルル(エアーズロック)は、皆さまにおなじみの観光スポットですね。このウルルへ行く際に交通の拠点となるアリススプリングスで光の祭典が開幕しました。

開催期間:923日~102
場所:アリススプリングス・デザート・パーク LarapintaDrive, Alice Springs
セッション:6:308:30 8:3010:30 希望時間をオンラインにて登録必要
      歩いて45分ほどでライトアップを楽しめます。
コスト:無料

3億年前に生まれた岩々をキャンバス地に最新技術を駆使した光の祭典フェスティバル・イン・ライトの開催される10日間、毎晩2.5kmに及ぶマクドネル・レンジに光り輝くアートが飾られます。光と音楽により表現された地元芸術家の織りなすコンテンポラリーと伝統的なアボリジニのアートは一見の価値あり。

そしてこの時期は、光の祭典ばかりでなく、ワイルドフラワーも咲き誇る季節だったのです。

砂漠であり真っ赤な大地が広がるアリススプリングスのワイルドフラワーは、9月から10月初旬に開花のピークを迎えます。
この時期は、光の祭典ばかりでなく、花好きな人に必見の価値あるワイルド・フラワーが満喫できるというボーナスがあるのです。

アリススプリングスを訪れるのに良い時期は

準乾燥気候と言われるこの地域は、夏と冬には過酷な気候となり、ウルルやアリススプリングスを訪れるのなら秋・春がベストです。もちろん南半球ですから日本の季節とは逆になり、ここオーストラリアでは、9月~11月が春、3月~5月が秋になります。

日本でも数多くの美しく鮮やかな光の催しが行われていますが、オーストラリアの砂漠や岩々に囲まれた光の祭典は、地球との一体化を感じ、感動もひとしお違ったものとなることでしょう。

巨大一枚岩のウルルへの登山は、アボリジニの聖地であることから快くみられず、豪政府は、過去数回登山禁止の措置をとりました。しかし、この地域の国立公園入園料が地元アボリジニの人々にとり大きな収入源となることから、現在は登山が可能となっています。

登るか登らないかは個人の判断に任せて・・・時間帯により一枚岩に映される不思議な色々を目の当たりに楽しむだけでも足を運ぶ価値のあるウルルです。

今回のフェスティバル・イン・ライトを見逃しても、次回の旅のプランに入れてみてはいかがでしょう

情報源:http://parrtjimaaustralia.com.au

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誕生日に卒業式に出席!? 無事に高校を終えたことへの喜びと寂しさ!

ここ何年か地元の高校生に日本語を教えていますが、一人の生徒のご両親が海外に出かけていて卒業式に出席できないと聞き、それなら私がかわりに出席しましょうとなりました。 その時、ちゃんと日程を聞かずに返事をしてしまったのですが、なんと卒業式が自分の誕生日とわかり、ちょっと迷ったものの、今まで教えてきて親しみのある生徒達でしたから、これも何かの縁なのかと思いつつ、昨日、某ハイスクールの卒業式に出かけました。 オーストラリアでは南半球に位置することから季節が日本とは逆になり、北半球の学校とは違う時期に学期が始まります。 NSW州ではだいたい9月後半に高校12年生の卒業式が行われ、10月に日本のセンター試験と同様のHSC*High School Certificateと呼ばれる大学入試の試験があります。試験の前に卒業というのは日本とはちょっと違いますね。 卒業式は、学校の生徒数により時間帯が異なり、大きな高校は通常午前に7年生から12年生の生徒だけで式を行い、夕方くらいから卒業生の両親や親せきが参加する式を行います。 今回私が出席した高校は生徒数が少ないからか、午前中に全校生徒と卒業生の親や親せき、友達をまとめていっしょに式を行いました。 まず最初にオーストラリア国家斉唱、次に校長先生や12年生のスクール・アドバイザーと呼ばれる先生方の挨拶。次に日本で言う生徒会長、スクールキャプテン、副キャプテン男女の挨拶、音楽クラスの演奏や歌、翌年のスクール・キャプテン達の交代式、卒業証書授与とつづきます。 スクール・キャプテン,副キャプテンは男子・女子一人づついますが、どの生徒も必ず親へのお礼の言葉を言っているのが印象的でした。そのうちの男子キャプテンは、いろんな高校6年間の想い出を語った後、彼の母親へのお礼の言葉を述べたのですが、 「お母さんの助けや支えがなければ、僕はここまでやってこれませんでした・・・」と話しているうちに声がつまり泣き出してしまいました。 会場のみんながしぃーんとなり、まわりにいた副キャプテン達がティッシュを探したり、ハグしたり、この時は、一見するとみんな大人びてみえる18歳の生徒たちがとても可愛く感じました。 私の日本語を教えている生徒は、数年前にスクールバスの中で同校の荒れたグループ達にからまれて殴られたりしたこともあったので、ちょっとコワイ生徒がいるのかしらと思っていましたが、卒業式の全校生徒の前で母親にお礼を言って涙するキャプテン、彼に声援を送る生徒達などの光景を目の当たりにして、みんないい子なんだな~と胸が熱くなりました。 私の他の日本語を教えている生徒がバンドを組んで楽しそうに嬉しそうに楽器を弾くのを聴きながら、横に座っていたその生徒の母親がポツリと・・・ 「去年突然学校を止めると言いだしてね、あの時はほんとうに困ったの」と話しだしました。 私のところには毎週明るく勉強に来ていたので、そんなことがあったとはまったく知らず驚きでした。 子供も親たちもみんないろいろ乗り越え卒業式を無事に迎えることができ、どの親御さんも嬉しさはひとしおでしょう。 子育てはほんとうに難しく大変な時もありますが、もう学校への送迎もお弁当作りもなく、嬉しいような悲しいような心にぽっかりと穴があいたような気分になるでしょう。 私も長年可愛がってきた生徒の卒業式に参加して、自分の子供たちが巣立っていくようなちょっと寂しくなる春の一日でした。

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カンタス機内で不思議なドイツ人男子の騒動に巻き込まれた空の旅! こんなことがあっていいの?を連続して体験!人への親切はほどほどにするべきなのか? その2

前回の帰国の際、カンタス航空でシドニー‐羽田間を飛んだ時になんだか変なことに巻き込まれてしまいました。

3人シートの窓側に私、その横には誰もいなくて、通路側に日本人のビジネスマンらしき男性が座っていました。私の前も同じように窓際に一人、真ん中をあけて通路側に男性がいました。

何がきっかけだったのかうる覚えですが、私の前にいた若者がいきなり振り向いて何かを尋ねてきました。横に座った人と話すことはふつうにありますが、夜の便でほぼまわりの人は眠りはじめかけ、なんでこの人わざわざ振り向くの?とちょっと不思議に思いましたがあまり気にせず簡単な会話をしました。

そして、真夜中すっかり眠りについたとき、この若者が、今度は私の頭をトントンとたたいて「iPad iPhoneの充電コードを持っていないか?」と起こすのです。

ええ、なんで眠っている人を起こしてまできくの?と思い、「持っていない」とだけ答えてまた眠りに戻りました。

その後、CAが外国人入国カードを渡しているとき、また若者が振り向いて「記入の仕方がわからないから助けてくれる?」ときいてきました。「どこがわからないの?」と言うと、「隣に座っていいか?」と言い出し、あっという間に私の隣に座り込んでしまったのです。ニコニコと笑い感じも良かったので、まあいいか!くらいにしか思わず記入を手伝いし始めました。

そのうち、ドイツのパスポートを持っているのに自分は難民だ!とか、日本での滞在先がまだ決まっていないから私の滞在先を書いてくれ、などとちょっと変なことを言い始めたのです。

私の滞在先なら実家となる、この人に実家を知られたくない、「ホテルとか予約してないの?そこを書きなさいよ」と言いつつ、このあたりから、だんだんおかしいことに気づき、若者に親切にするのはここまでだな!と感じました。「もう税関で教えてもらって」とやさしく突き放しました。彼はしぶしぶ自分の席に戻り、前の空いていた真ん中の席に座り、通路側にいた男性にいろいろと話しかけていました。

やれやれと思ったのもつかの間、なんと今度は、その通路側にいた男性が私の方に振り向き、空いていた隣に座っていいかときいてきたのです。???なんでこの人までここに来るのと思いましたが、切羽詰まった気配があったので、その男性にOKと言い、彼がさっと私の横に座ると、前の若者が「どうして僕から逃げるの?」と言い出し、後ろの私達に手を伸ばしてきました。この時点で、これ何?こんなことがあっていいの?状態の私。

慌ててCAを呼び出すボタンを押し続けても着陸準備で大忙しのCAは誰も来てくれません。その間、ドイツの若者の伸びてくる腕を抑えつつ、通路側から逃げてきた男性と話すと。

彼はシドニー在住のアメリカ人会計士。ドイツの若者が彼に近寄り身体を触ろうとした言うのです。パニック寸前の私は、腕を伸ばす若者をなだめつつ、少し後ろにいたCAに目で「Help」と合図。異変に気づいて駆け寄ってきたCAに「前にいる若者が触ろうとしたりおかしいので助けて」と報告。CAも真っ青、やっとこの変な事態にきづくと、まず最初に隣にいたアメリカ人会計士を前の少し離れた席に移動させ、私も数分後に前に移動。でも飛行機は着陸中、シートベルト着用サインが点灯、乗務員も座らなければいけない中、CAといっしょに走って必死で移動したのでした。

羽田空港に着陸してからは、セキュリティーがドイツ人若者を連行するまで乗客は立つことも許されず、ただただ待たされました。その間、CAが「何が起こったのか説明をしてください」、「この件に関して訴訟を起こしたいですか?」などの質問攻め、私と会計士は「大丈夫です」と言い、一件落着となったのです。

今だから笑えるような話ですが、ドイツの若者が乱暴な人でなかったのは救いです。

これも私の親切心がとんだ展開になった事件でした。人助けもほどほどにしなければいけない世の中なのでしょうか?ちょっと考えさせられる空の旅でした。

 

 

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こんなことがあっていいの?を連続して体験!人への親切はほどほどにするべきなのか? その1

人に親切にしたり、まわりで困っている人がいたら出来る範囲で助けるのは、一般的にごくごく普通の行為だと思われますが、ここ数カ月内にこの親切な行為に待った!をかけなければいけないのかと思えることがつづいて起こりました。

最初に「親切にするなら相手を選べ!」と感じたのは、我が家の一部屋が短期間空き、そこにステイしてくれる人を探すために地元の新聞に載せたときのことです。

数件連絡がありましたが、見に来ると言っていても来なかったり、あまりマナーの良さも感じなかったり、まあ、誰かいい人が来てくれればいいなと思っていた矢先。とても丁寧な口調の女性から電話がかかってきました。日本から来たばかりでまだ空港近辺のホテルに滞在中、何軒かほかにレントの問い合わせをしても上手く見つかっていないとのこと。困っていたので「ホテル代は高いでしょう、いつからでもいいですよ」と話したら、翌日即来ることが決定しました。

過去、我が家にステイしたのはすべて日本の友達の知人か親戚などであり、見知らぬ人に住んでもらうのは初めてでした。ほんとうは一度直接会って話して感じをみてからと思っていましたが、この女性は雰囲気や言葉使いもしっかりとしていたし、困っていたので電話だけの会話で決めてしまったのです。

翌日、大きな荷物を抱えてやってきた女性は、一見すると感じが良く、話してみたら日本でも長く仕事に就きちゃんとした大人だったので、ああ、この人なら良かったと思っていました。

ところが数日も経たないうちに幻聴や被害妄想、体調が悪いと言いだし、一歩も外に出たがらず、眠れないと言い夜中もずっと起きているのです。今回は、我が家をシェアーするレントで食事は込みではないので、台所の使い方を説明したり、近くのスーパーなどを教えてあげたりしたのですが、外に一歩も行きたがりません。

それでも、食事の際に自分が一人で食べるのも気まづくて、ついつい体調が良くなるまでならと食事も作ってあげていました。

それでも、2週間ずっと食事を世話したり、夜中に眠れないからとおこされたり、夜中、緊急に連れて行って!と叫び出し、私の友達に頼んで緊急に行ってもらい朝の4時まで待たされるということが起きたのです。

挙句の果ては、部屋を散らかしたまま荷物すべてを家に置き去り、とつぜん姿を消してしまいました。どうしたものかと思っていたら、空港近辺のホテルにいて、今から日本に帰ると言うのです。「荷物はどうするの?お願いだから荷物だけ取りに来て!」と頼むと、「また取りに戻ります、レント*家賃も払いますから」と言い帰国してしまいました。

この時は、目が点に・・・テレビのドラマであるまいし、こんなことが実社会で起こっていいの?と愕然としました。

数か月間のメールでの交渉後、この女性は、ごくごくふつうに何もなかったように荷物を取りに戻ってきました。もちろん、レントは振り込まれていません。

統合失調症と診断を受けて薬を飲みだしたと話していましたが、一見するとふつうに戻っていました。でも薬は嫌いだから、医者の許可なしにだんだん減らしている、親にはすぐに帰国すると言って来たけどこのままシドニーで仕事を探して残るなどなど、耳を疑うようなことばかりを言っていました。

すべてを病のせいにしてしまうのはどうなのでしょうか?ご両親や家族は、どこまで彼女の病状に責任を持つのでしょうか?30歳でも自分の行いに責任が持てないのなら、家族がなんらかの防御をするべきなのではないでしょうか?

すぐに人を信じて誰にでも親切にしてしまう私の性格への警告だったのでしょうか?

どうも腑に落ちないこの女性との出会いは、人に親切にするなら相手を選ばないと!と神様から言われているかのようでした。

つづく

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食品模型の生みの親のひとり岩崎氏の生誕121年を記念して、Googleのロゴがとっても可愛い和食文字に?!

 

今朝、PCを開けたらGoogleのロゴが和食のおもちゃ?みたいでちょっと気になりいろいろと調べてみました。

Googleのロゴがおもしろく変わるのは皆さまご存知ですよね。今度はどんなロゴだろうと楽しみにしている人も多いと思われます。

これらはDoodlesと呼ばれ、たとえば感謝祭ならターキーのお料理、クリスマスならツリーやサンタなど、ホリデーをお祝いしたり、歴史の先駆者をはじめ映画界、芸術や科学などの著名人の生誕を記念したりしてデザインが決められるようです。

Doodleを訳すと「いたずら書き」、まさしくデザインの遊び心をそのままにロゴにした感じです

今回のDoodleは、日本の食品模型の生みの親である岩崎瀧三氏の生誕121周年をお祝いして和食サンプルがロゴに選ばれました。

天丼・天ぷら蕎麦・オムレツ・お弁当箱・クリームソーダ・ホットケーキが並べられて、ちょっとGoogleって読みにくいかな!というものですが、とっても可愛いからモンクなしです。
今回は、オーストラリア・ハンガリー・アイスランド・インドネシア・日本・ポルトガル・シンガポール・韓国・スエーデン・台湾の国々のGoogleのページでこのロゴが使われているようです

この生誕121周年をお祝いする岐阜県郡上八幡出身の実業家岩崎瀧三氏は、当時流行りだしていた食品模型の事業化に初めて成功した人であり、奥さんの作ったオムレツが最初の模型作品だったそう。
食品模型の発祥は、岩崎氏以外に白木屋の飲食物の見本を作った須藤勉氏や京都にある模型製造業者の土田氏と西尾氏などがウィキペディアに上げられています。

これらの先駆者によって製作された食品模型は、大正時代から昭和初期にかけて考案された手法であったようで、料理店やレストランに入る前に本物そっくりなメニューが陳列されていたのは当時きっと画期的なアイデアであったことでしょう

日本にいるとお店に入る前に食品サンプルを見るのは当たり前のことですが、海外ではめったに見たことがありません。ここ近年、シドニーでも和食レストラン などではサンプルを見かけることもありますが、まだまだオーストラリアン、イタリアンなど他国籍の料理店では一度も見たことがありません。
通常、黒板やメニューに文字で書かれていますが、読むのが大変というのが本音。

数か月前、イタリアのベニスやフランスのディジョンの小さなレストランに入った時、もちろんメニューはイタリア語かフランス語のみで翻訳機で必死に訳してオーダー。日本で陳列されている模型、せめて写真でもあったらな~とどれだけ思ったことでしょう。

海外から日本に訪れた外国人がレストランの前でサンプルを見てお店や食事を選べるのはとても便利なことです。それにあんなに巧妙にできたサンプルに大いに食欲を誘われるのは言うまでもありませんね。

海外での日本食ブームはずっとつづいていますが、小さな和食のおもちゃをはじめお寿司の消しゴムやキィホルダーなど、まわりの子供達には大人気になってきました。
今後、このサンプル産業が海外に向けて大きく飛躍するのがとても楽しみです

情報源:https://www.google.com/doodles/about

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9F%E5%93%81%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AB

 

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Facebookに救われた日、セントラル駅で失くしたお財布が戻ってきた!!

ここ最近、シドニーで電車に乗るたびに、多くの乗客のマナーの悪さに閉口していたところ、豪シドニーでもまだまだいい人はいたのですね!とホッと胸をなでおろす出来事が起きました。

 夜にパーティがあり、友達の家で泊まった娘を近くの駅まで迎えに行ったところ、真っ青で泣きそうな顔をして降りてきました。何事かと思いきや・・・なんと 不覚にもお財布を駅か電車に落としたかも?と言うのです。「中味は?」ときくと、クレジットカード、学生証、免許書、オパールカード(日本のSuica ようなカード)おまけに家の鍵まで入っているとのこと

クレジットカードはすぐに連絡して使用を停止したとしても、免許書には住所が載っています。悪い人が拾ったら・・・家に来て鍵を使って忍び込むこともできてしまうかも?!
「え~夜コワイ~、家の鍵を替えないと!」などと、悪いことを考え出したらどんどん恐怖のどん底に落ちていく母と娘でした

「なんで落とすの?」と怒りがこみあげつつ、ここで叱っても解決にはなりません。
落ち込む娘には、「大丈夫よ、シドニーだっていい人がいるんだから。とにかく駅の落とし物係りに連絡しよう!」と言いつつもほぼあきらめ状態の母親でした

困ったときの神頼み!です。「お願いだからどなたか親切な人が拾ってくれますように」と願いつづけ数時間したところ、娘のFacebookのアカウントに見知らぬ人から友達リクエストが届きました。
なんとその見知らぬ人は、セントラル駅の駅員さんでありました

すぐに電話で連絡をしたところ、どなたか親切な人が娘の財布をセントラル駅構内で拾って駅に届けてくれたそうです。駅員さんは、中身をチェックして連絡先をさがしたようですが、免許書や学生証には電話番号は載っていません。
そこで、Facebookを使って名前を探して娘に友達リクエストで連絡してきたのです。
救われたのは娘が自分の名前をアカウント名にしていたことです。

もちろん、娘はすぐにセントラル駅まで取りに行き無事に財布は戻ってきました

この出来事をとおして感じたのは、Facebookの迅速な便利さです。

学生証が入っていたので駅員さんが大学に問い合わせをすれば娘のもとに財布は戻ってきたことでしょう。それでも今日は日曜で大学事務局はあいていなかったし、その過程を考えると、きっと時間を要して眠れない夜がつづいたかもしれません。
お財布を落して数時間で手元に戻ったという結果は、インターネット、Facebookという即効性のある現代社会の利器のおかげでした。

そして、シドニーもまだまだまんざらではありません。こんなに親切な人がいたのは大きな喜びでもあります。
残念なのは、あの広いセントラル駅構内でお財布を拾いわざわず駅員に届けてくれた人がいったい誰かわからないことです。日本なら拾い主などを控えておいてくれそうですが・・・。

この親切だった人がこのブログを読んでいるとは思えませんが、この場を借りてお礼を申し上げます。

ほんとうにありがとうございました

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2016年パラリンピック開会式!!たくさんの感動と涙をありがとう! 

朝、いつも通り娘のお弁当を作っていたら、ニュースでパラリンピックの開会式のことを知りました。オリンピックが終わり、パラリンピックはいつ始まるのかしらと思いつつ、ぜったいにパラリンピックを観たいと願っていた矢先だったのです。

今年のオリンピック・パラリンピックの開催地リオの夕方は、シドニーの朝方にあたります。オリンピックの開会式は、週末の朝の買い物のゴタゴタで前半を見逃し、選手の行進から後半を観れただけでした。それでも日本選手が画面に映りだすと娘と二人で、「JapanYeah!!!」と歓声を上げました。2000年シドニー・オリンピックの時は、テレビの前で待ちに待った日本選手の行進が始まると、なんと?コマーシャルに入ったのです。どう考えても意図的に日本の選手登場をカットされたようで・・・チャンネル9(豪テレビ局)に怒りの手紙を書いたくらいでした。

本題のパラリンピックの開会式も選手の行進からの後半しか観れませんでしたが、感動と涙をいただきました。パラリンピックですから選手の皆さんは、車椅子や杖を使ったり人の助けを借りたりして行進します。みんな笑みを満面にたたえて堂々と登場する姿がとても美しく感じました。

行進はもとより、私が感動したハイライトをいくつか紹介します。

行進と挨拶が終わった後、ブロンドの美しいダンサーが現れました。遠目では気づかなかったのですがクローズアップされると両足が義足です。途中から大きなロボットが登場して彼女の踊りに参加します。Kukaと呼ばれるロボット君は彼女を持ち上げたり、どこか愛嬌のある踊りを見せてくれました。ダンサーは義足とは思えない軽やかな美しい踊りを披露してくれ、義足だからといって制限されることは何もないように思わさせてくれました。

次にオリンピックの旗を8人の男性が運んで入場してきたのですが、よ~く見ると彼らの体の前に大きなポケットのような服を着ていて、その中に子供が入っていました。子供たちはなんらかの障害を持っていて自分たちの足では歩けず、お父さんの足の中に自分達の足を入れていっしょに歩ける仕組みになっていました。子供達の嬉しそうな顔は言うまでもありません。きっと今までの移動は車椅子に座るのみ、自分の足で立って歩くことはとても稀だと思われます。途中、日本の選手団の横を通ったとき、車椅子に乗っていた日本人選手と一人の男の子がハイ・ファイブをしていました。ジィ~ンと胸が熱くなりました。

最後の涙と感動は、聖火を運んでくる選手の様子です。過去に金・銀・銅メダルを取ったブラジルのパラリンピック選手四人による聖火のリレーでした。

最初は右前腕のない選手、二人目は歩幅がふつうの半歩にも満たず杖をついてゆっくりと歩く選手、三人目は18歳のときに視力が通常の10%にまで落ちてしまった女性(横にはアシストする人が付いています)、四人目は車椅子の水泳選手でした。

二人目の杖をついた女性選手が聖火を運ぶ頃から大粒の雨が降り出しはじめ、それにすべってしまったのか、彼女は転んで聖火を落としてしまいました。すぐに関係者が彼女を起こしに行き、転がってしまった聖火を渡します。彼女は転んでもまた気丈に立ち上がり、聖火を持ってゆっくりと歩きはじめます。会場からは大歓声が沸き上がりました。誰もが心で頑張って立ち上がれと思ったことでしょう。

彼女の人生で転ぶことはきっと何千回も起きていて、そのたびに立ち上がり歩き続けてきたことでしょう。パラリンピックの大舞台で転ぶことなんかは大したことではないのです。大切なのは起き上がって聖火を運びつづけることでした。

四人目の水泳選手が高くそびえ立つ聖火台の前の階段の下に車椅子でたどり着きました。え、どうやって上るの?って思っていたら、階段が移動してちゃんとジグザグのスロープが出来あがり、彼はスロープを上り聖火台に無事に火を灯しました。

パラリンピックは、日ごろ私達が忘れている「五体満足がどれほど幸運なことである」という大切なメッセージを伝えてくれます。

オリンピック・パラリンピックの開催される時こそ日本に居たい!といつも思います。まあ、仕事をしていればどこの国に居てもなかなか競技を観るのは難しいのですが。それでも、日本選手の活躍がどうしても観たいと思う自分は日本人なのですね。20数年海外に住んでいてもこればかりは変わりません。

さあ、パラリンピックを観るぞ!!

 

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