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2012年4月

物が捨てられない・貯め込んでしまう・買い溜め行為は危険信号の一つかもしれない!

ひきこもりは日本ならではの精神的障害の一種であるが、日本でこういう症候群があるのであろうか?あるアメリカの番組を観てショックを受けた。

番組名は‘HOARDING. BURIED ALIVE’、訳せば’蓄積や貯蔵をしつづけ生き埋めになる’という言う感じである。人生上の劇的な何かによるトラウマにより、物を捨てることができなくなり、物に埋もれて生活をすることにより安心感を得たり、また買い溜めに走り、必要以上のものを買い込んでしまう。金銭的な打撃、また生活に支障をきたし救いを求める様子、精神科医とこういう症状に悩む人々を救援する団体が参加して解決していく内容である。

最初に物を溜め込み過ぎて普通の生活すら出来なくなっている家や部屋が画像に流れるが、ただただ驚きの一言である。大切なコレクションならともかく、洋服、靴、ピザの空箱、空瓶、買い物の紙袋などあらゆるものが一面に部屋中に散らかり足の踏み場もない。洗面所や台所のシンクにもお皿が山積みの場合もある。精神上ばかりでなく衛生面からも限界状態になっている。

このような貯蔵症候群の人々は一般的に扉を閉ざしてしまい、まわりの家族や友人はどうすることも出来なくなるようである。この番組に登場する人々は、医者であれ団体であれ誰かに救いを求めるという行為に出ることにより解決の灯りが点るようだ。また人に救いを求めるという行為が大切であり、そこにすら行けない人も多くいるようである。

精神科医の登場により、どうしてこういう状況になってしまったのか原因を探っていく。この症候群は心の病であり、単に掃除ができないとか綺麗好きではないというものではないからである。

ある女性は5歳の時に母親を亡くし伯父の家に引き取られ育てられた。そこでは小さい頃から物を貯蔵することを禁止され、彼女の玩具や学校の物、洋服すべて用が済めば、庭にあるドラム缶に入れられ、目の前で燃やされたそうだ。この時の心の傷が大人に成長していく際に無意識のうちにこのHoardingという貯蔵行為になる。

違う女性は、目の前で最愛の夫が自殺を図り、ある男性は最愛の娘を7歳のときに大事故で失う。思い出の品が捨てられなくなる行為から始まる。こういう突然の悲劇が引き金となっているのを観ているとただただ心が痛む。

番組の最後には綺麗に片付いた部屋や家が映し出されるが、そこに至るまでの医者と関係団体の人々はとてつもない時間と労力をかけている。そして当人達の嬉しそうな喜びに満ちた顔を観るとほっとするのだ。

過去悲劇に遭遇した人誰もがこういう症状になるわけではないが、日本でもこういう人々が増えてもおかしくない社会であるとも言える。

物が捨てられなくなり、足の踏み場も無いほど部屋が片付けられなくなったら、手遅れになる前に早めになんらかの対応をするべきであろう。

情報源:TLC Discovery Company

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人生の喜びと楽しみはお金で買える物質だけでしょうか?

天使に関する本を2冊だしているLorna Byrneというアイルランド出身の女性がいる。彼女は小さい頃から天使や妖精などがみえ、子供の頃まわりの人々には決してみえない天使の話をしたことにより、知的障害があると特別な子として扱われてしまう。本の内容は彼女の体験からくるものである。

日本でもスピルチュアル的な事柄が押し寄せてきているが、これは世界どこの国でも同様の現象である。どの古代文明を振り返っても、ほんとうは普通一般の現象であったのに、それを語れば特別視されるからと蓋をされたきたようである。科学的に証明できないからといって無視したり非難したりせず、もっと親しみ見直していくべき事柄であるように私は感じる。

天使の存在を信じようが信じまいが個人の自由意志や選択であるから、ここでは触れないが、彼女の発行するニュースレターの一部を紹介したい。

Lornaは‘人々は忙しすぎて、毎日起こっている小さな喜びを楽しむことを忘れている。生活にいろんな事を詰め込みすぎて、大切なことはいったい何かを忘れている。多くの人々がお金や物質を重視しすぎている。お金は必要ではあるが、人間死ぬときは、思い出や地球上で感じたすべての愛情を持っていけるだけでお金は持っていけない。’と語り、ある老女との出会いについてふれていた。

ショッピング・モールで、ある老女がLornaをテレビ番組で観た!と急に話しかけてきた。どうやらこの老女はLornaのセミナーや言葉を聞いてから、生き方を少し変えたようだ。それは人生の見方や過ごし方の角度を少し変えてみることであった。

「近所の人をお茶に招待したり、バスに乗ったら誰か話しかけても良さそうな人の横に座ったりして人生を楽しむことにしたの。お金が無くても人生を楽しむことができるわ。一つだけ後悔しているのは、100%フルに人生を楽しむことせずに時間を過ごしてしまったこと。20年前に天使の声を聞いていたらどんなに良かったかしら。」これが老女の言葉であった。

‘毎日の普通の暮らしの中には山ほど小さなことが詰っている、だからこそ人生は素晴らしい。もしそれらの事柄を些細なことだからと無視したり消してしまったら、人生を見逃していることになるのです。真から大切なことを経験しなっかったりします。

人生は時として苦労があり、そんな時は人生を楽しむなんて思いもつかないでしょう。しかしそんな時ですら、いつも心を休め楽しむことができる瞬間はあるのです。人生とは神様からの貴重な贈り物であり、神様は出来る限りすべての人々にこの人生を100%楽しんでもらいたいのです。‘ (ニュースレターの一部より)

これを読んで、贅沢品を食べたり、お金、ブランド品、新車が私の人生の楽しみです!という人もいることでしょう。それか、どんなに小さなことでも、人とのふれあいやまわりの花々や自然の美しさから喜びを得るのが人生の楽しみです!という人もきっといることでしょう。

どちらがいいのかは、きっと歳を老いてから気づいたりするものなのでしょうが、この老女の言うように、少しでも早いうちにこの違いに気づくことが大切なのではないでしょうか。

物質実利主義の世の中より、人生にはお金では買えない大切な喜びがたくさんあることに気づくことにより社会や心が豊かになるように感じるのです。

http://www.lornabyrne.com/ Angels in my hair

 

 

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音楽は心の栄養剤!  小さい頃から慣れ親しんでみよう!

オーストラリアの歴史はまだまだ浅く日本のような伝統文化もほとんどない。また多国からの移民を受け入れ多文化を奨励しているため、文化が分散してしまいオーストラリアの文化はいったい何かな?と考えさせられることがある。

しかし、芸術や音楽を楽しめる機会は数多くあり、老若何女を問わず誰にでも門が開け放たれている点では素晴らしい環境だと思える。

音楽を例にとると、通常どの小学校にもスクール・バンドがあり、3年生から入団できる。また1年に一回は必ず、プロの音楽家やグループが学校に来て演奏会やワーク・ショップなどを開き、音楽に慣れ親しむ時間を設けている。

娘は3年生からサックスフォーンを習い始め、スクール・バンドで演奏をした。イースターやクリスマスには必ずコンサートがあり、音が少々外れていようが子供達が一生懸命に楽器を弾く姿は、会場にいる他生徒や親たちに音楽の喜びと楽しさを教えてくれた。

娘が高校に入ると(オーストラリアは中学と高校が一環)ちょっと驚いたことがあった。学校により違いはあるだろうが、彼女の高校には以下のように多くのバンドが用意されていた。

初心者用バンド・ウインド・アンサンブル(木管、金管、打楽器奏者を基本)・コンサートバンド(ウインドアンサンブルの上級者)・ストリング・アンサンブル(弦楽器奏者による合奏団)・ウインド・オーケストラ(高校シニア11年と12年生)・シンホニー・オーケストラ(上級弦楽器奏者と上級木管、金管、打楽器奏者)・カメラータ(弦楽奏者、室内管弦楽団を希望する奏者)・ビッグ・バンド(ジャズ合奏団)・アカペラ・ゴスペル・合唱団

また学校のバンド以外に、郊外により青少年オーケストラがある。これは10歳から入団が可能であり、ある程度の音楽レベルであれば(オーディションあり)入団できる。そして大人になれば、シティ・バンドがあるのだ。

娘は、高校入学時に、学校以外で和太鼓とドラムを習い始めていたので、高校のバンドには入らなかったが、現在はある郊外の青少年オーケストラに打楽器奏者として所属している。

先週、この青少年オーケストラと和太鼓青少年グループ(TaikOz Youth Group)のコラボレーション・コンサートがあった。オーケストラと和太鼓グループが数曲づつ演奏した後、最後の曲は両グループの協演で幕を閉じた。ドンドンと胸に響く力強い太鼓の音が交響曲のクライマックスに響き渡ったとき、会場にいる誰もが楽しんでいるのが伝わってきた。小学校の体育館での小さなコンサートではあったが、楽団員の家族ばかりでなく街の人々が聴衆に加わり子供達の演奏を大いに満喫したといえよう。

コンサートというと美しいコンサート・ホールで有名な演奏家によるものという概念がある人もいるであろう。もちろんシドニーならオペラ・ハウスに行けば、それを簡単に味わうことはできる。

しかし、こういった小さな街角コンサートも見逃せない。どんな音楽でも人の心を豊かにしてくれるのは間違いがないからだ。

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あなたは心のホーム・タウンに住んでいますか? 

友達とメールのやりとりをしていて「そういえば似たような会話を最近違う人ともしたな」とふと思えることがあった。それは自分にとってのホーム・タウン、人それぞれが思い描く故郷、心地よい街、快適な土地みたいな場所のことであった。

長いつきあいのあるそのメール友達は、数年前に旦那さんを病気で亡くした。亡くなる前の数ヶ月間は自宅で過酷な闘病生活がつづき、看取った後、彼女は精神的打撃からその家に独りで住むことができなくなった。

その後、息子さんの住んでいる遠い新しい土地へと引っ越しを決めた。1年の月日が流れたが、彼女にとってその地がほんとうにホーム・タウンなのか、また行く末はホーム・タウンになる可能性があるのかがわからないという内容であった。

そして先月、アメリカから遠い親戚が訪ねてきたときにも同じ会話をしたのだ。

親類は11年前に旦那さんを亡くした。彼女と旦那さんは、お互い再婚同士であり歳の差もあったがとても仲の良い夫婦であった。彼女もまた思い出が多すぎて、彼の他界後は独りで家に住むことができず家を出た。その後数年間は仲の良い女友達の家で間借りをしていたが、息子夫婦が住む土地に新しい家を購入し引っ越した。カリフォルニア州からネバダ州への移動による気候や風土、土地の人間性などの違いは気にはならないそうだが、彼女は「いまだに自分にとってのホーム・タウンがみつからない」と悲しそうに話していた。

その時、彼女に「どこがあなたのホーム・タウンだと思う?」と聞かれたが、返事に困った。

私は父親の仕事の関係で子供時代もよく転校を繰り返し住居を変えた。大人になってからも国を住みかえている。オーストラリアでは13年の月日が流れたが、ここが私のホーム・タウンなのか、またいったいどこが自分の心の拠所の土地であるのかがわからないのである。シドニーは大好きであるが、ここでこれから一生暮らすのか?と聞かれると、「はい、そうです!」とはっきり答えることができないのである。

子供の頃、転校する度に「住めば都だから、大丈夫」と母に言い聞かせられたが、これは真実なのだろうか?

彼女等の話を耳にすると、心のホーム・タウンとは国、州、県や市だけの問題ではないように感じるのである。もちろん土地柄、風土、気候、国民性などの精神面への影響は多々あるが、大切なのは自分のまわりにいる身内や人々、つまり夫なり子供なり親友なのではないのであろうか?

無条件に愛し愛される人々に囲まれて暮らせれば、それがその人の心のホーム・タウンになるのではないのだろうか?

最愛のホーム・タウンである伴侶を亡くした人々はいったいどうすればいいのだろう?

 

 

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飛行機内で赤ちゃんが泣いたらどうする?  日豪ママの対処法の違い

今朝のニュース番組で、「マレーシア航空は12歳未満の子供のファーストクラスへの搭乗を禁じる」というのを聞き、前回帰国した時のある光景を思い出した。

ご存知の方も多いであろうが、通常エコノミークラスの最前列には前の壁に赤ちゃん用ベッドを備え付けられるようになっていて、赤ちゃん連れ乗客がその辺りの席へと優先されている。

乗った飛行機はクリスマス・ホリデー時期で満席であり、私と娘は前から7列目くらいに座った。

最前列には3組の子連れ夫婦が座っていた。勝手な推測(違っていたらゴメン!)だが、右側2席には日本人の駐在員タイプ夫婦、真ん中にはオーストラリアン夫婦と5,6歳の男の子、左側2席は日本人とオーストラリア人国際結婚夫婦、3組とも赤ちゃん連れであった。

乗り込んであたりの状況をうかがいながら、うわ~~、赤ちゃん3人が並ばされて大丈夫かしらと思えた。というのは、赤ちゃんは飛行機発着の際に耳がキイーンとなっても大人のように唾を飲み込んだりするような対処をしらない。ましてや発着の際は親がしっかりと抱かれざるを得ないから苦痛となり泣くのは当たり前であろう。そして一人が泣けばつられて他の子も泣きやすい。

さらに、飛行中にぐっすり眠りについたとしても、3人のうち1人の赤ちゃんが横で泣いてしまえば、その声で他の赤ちゃんが起こされてしまう場合がある。

だから赤ちゃん連れは離して座らせたほうがいいのにと思うのだが、大きな飛行機以外は備え付けベッド用の壁も多く無いから仕方がないのであろう。

数時間がたち乗客はランチも終わり、さあのんびり映画、読書、昼寝と落ち着こうとし始めた頃、真ん中のオージー赤ちゃんが大声で泣き出し始め、それが延々と10分ほどつづいた。ちょっと気になり観察していると目が点になるような状況を発見した。

なんとそのオージーママ、自分はイヤホーンと映画スクリーンのセットを購入して、赤ちゃんをベットに放り込み、映画を観ているのである。父親はお兄ちゃんの世話に忙しいのか赤ちゃんを抱こうともしない。たまにそのママは赤ちゃんに話しかけるようにしていたが、火がついたように泣いている子がそんな会話なんかで止まるわけがないのである。

自分の家で赤ちゃんを一人で寝かそうと泣かしたままにして疲れて寝させてしまうというようなテクニックならわからないでもないが、ここは個室なんかではなく飛行機の中だ。

迷惑なのはまわりに座っている人々である。赤ちゃん列の真後ろにはオージーの十代くらいの若者がズラ~と座っていたが、だんだん怒りの顔になり、いったいこの親何してるの?という態度で覗き始めていた。

それでもそのオージーママは無視、赤ちゃんは泣きつづけた。

そしてあまりにも泣き声が大きくなったのと回りの刺すような痛い視線に気づいたのであろうか、やっとオージーママは抱っこしたのだ。もちろん赤ちゃんはすぐに泣き止んだのである。

なんでもっと早く抱っこしてあげないの?赤ちゃんの泣き声より、そういう身勝手な母親に私は腹が立ち始めた。

それに迷惑なのは一般乗客ばかりではない。横で赤ちゃんを連れている夫婦たちである。

国際結婚夫婦は「せっかく寝たのだからお願いだから起きないで」とも言わんばかりに夫婦が交代で立ち上がり抱っこしていた。

駐在員風夫婦の母は、ほとんど立ちっぱなしでずっと抱っこしつづけていた。

え、父親はどこ?どうして手伝わないの?とも思ったが、この日本人母には脱帽であった。もちろん結果としては、その赤ちゃんはほとんど泣いていなかったのである。

20116月末のCNNの記事によると、‘同航空会社ボウイング7474400機への赤ちゃんのファーストクラスへの搭乗禁止が決定され、それにつづいてエアバスA380 スーパージャンボのファーストクラスにも同様に赤ちゃん搭乗を禁じる予定’と載っていた。

4月3日のオーストラリアン誌には、同航空会社はエアバスA380の上階を(ビジネスクラスでなくエコノミークラスのキャビンですら)キッズフリー・ゾーンにする発表が載っていた。

ファーストクラスやビジネスクラスで高い料金を払っているビジネスマンが泣き声やうるさい子供の声に悩まされるのは確かにおかしい。

なにかの疾患があるのなら話は別だが、赤ちゃんの世話や子供の躾すらできない、いや、したくないような、そんな母親は公共の乗り物に子供を連れてくるのはどうかと思う。

赤ちゃんや子供といっしょに旅行するのなら、きちんとした対処や躾ができてからにしたらどうであろう?

*私自身、毎年娘と過去16年、数十回以上飛行機に乗ってきたので、子連れ旅行の大変さは重々承知してます。子供が嫌いだからこれを書いたわけではないので誤解のないように。

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