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2012年1月

2012年シドニーのとんだ夏模様! ビーチに行く機会もなく夏休みが終わる!

 

オーストラリアの暦上の夏は12月から2月であるが、この夏はちっとも夏らしくないシドニーである。12月に入り日本の梅雨のような長雨(それも豪雨や雷雨)がつづき、日本へ帰国していた数週間に30度を超える日は数日くらいしかなかったようであった。

 

1月の中旬以降も雨が多く涼しい。これではビーチに行く気も起こらない日がつづいたが、今日は突然30度以上に気温が上昇した。

 

 

 

12月後半から夏休みに入り、今日からNSW州ではほとんどの子供達が学校へ戻る。

 

「どうして新学期の初日に急にこんなに暑くなるの?」とこぼしながら娘が帰ってきた。

 

毎日28度から30度がつづいていれば、それなりに体も慣れているはずだが、ずっと20度少しと涼しかったから、きっとよけいに暑く感じるのだ。

 

 

 

ここ2週間ほどの天気予報は雲、雨、風、太陽と、どの天気マークも並び、傘持参は必須の日々がつづいていた。

 

しかし不思議だったのは、夏らしくないのはどうやらシドニーだけのようであり、パースやアデレイドは天気図でみる限り、40度や38度に気温が達っしている。

 

もう一つ不思議なことは、通常、パースやアデレイドで気温が40度に達すると必ずその熱波がシドニーに流れてきて、数日後にはシドニーも40度に気温が上がるのだが、今年はその傾向がほとんどないのだ。

 

 

 

案の定、この最高気温40度がつづき、パースでは山火事が昨日から発生している。

 

 

 

そして去年大水害に悩まされたQueensland州とNSW州北部の幾つかの地域がまたこの止まない大雨の影響で浸水し始めるという災害に見舞われだしたのだ。まだ大きなサイクローンが来ていないのは幸いであるが、2年連続して住宅や町が浸水してしまうのはまったくの災難である。

 

 

 

今週のシドニーの予報は今日は最高気温が30度、明日は28度、水曜は23度、木曜は24度と、週の後半には気温が下がり、雲、太陽、雨マークすべてが毎日並んでいる。

 

今日は久しぶりに真っ青に突き抜ける空を拝めたが、湿度が異常に高く不快であり、あのいつもの乾燥した夏はどこに?という感じであり、明日からはまた雨が予想される。

 

 

 

山火事の心配がいらず涼しい夏は大歓迎であるが、日照りの関係からきっと農作物に影響が出て、今後の野菜や果物の値段の高騰が懸念される。

 

ただ去年の観測記録史上初最高気温40度以上の熱波日7日間連続がないから、今のところこの夏は過ごし易いと言えよう。

 

 

 

毎年このブログで書いているが、このシドニーの夏のパターンが半年後の日本の夏のパターンと似ていると感じている。ということは2012年の日本の夏は雨が多い冷夏になり、水害の心配も懸念される。特に去年被害のあった箇所は地盤を固めるなり、なんらかの予備対策が必要かもしれない。

 

 

 

今後はNSW州北部とQueensland州は去年の大洪水の繰り返しにならないことを願うばかりである。

 

 

 

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古き良き日本に戻りつつ!?        日本帰国つぶやき編 その2

 

12月の暮れ、日本海には寒波が押し寄せ、名古屋でも雪が降り、東京も異常に冷え込んでいた。帰国翌日、用事があり浅草へ向かった。

 

 

 

浅草に行って最初に感じたのは、外国人旅行客が減っている?いてもアジア系が多いのかしら?であった。

 

あの東日本大震災後、在住していた外国人が祖国に戻り、また福島第一原発事故の放射能汚染への不安からか海外からの旅行客足が落ちているのであろう。

 

数年前に明治神宮に参拝に行ったときはほとんど日本人がいなかった記憶があるが、今回はほぼ日本人で外国人らしき参拝客は少なかった。

 

 

 

当初の予定は浅草から水上バスに乗り浜離宮にいくはずであったが、とにかく寒い。水上バスなんてとんでもない。浜離宮は心残りだったがフェリーならシドニーでもいつも乗れるからと、急遽原宿方面に買い物に行くことに変更。

 

しかし明治神宮を歩きだした頃から体に異変を感じ始めていた。体の芯が冷え、どんなに歩いてもちっとも体が温まってこないのであった。案の定、翌日喉の痛みがひどく熱が出始めた。

 

 

 

今回帰国を決め東京にいる家族に連絡をしたら、私はともかく娘のことを心配して、「なにもこんな時に帰ってこなくても!」と言われた。地震への心配が尽きることがないのは理解できるが、そんなに放射線汚染はひどいのであろうか?

 

 

 

情報を正確かつ明確に入手するのはどうしたらいいのか?

 

汚染に関連した地域で作られたものを食べなければ安全なのか?

 

異常に不安したり心配するべきではないが、皆目見等がつかない。

 

小さな子供を抱えた一般市民はいったいどうしているのか?

 

また情報が入手できたとしても様々な話しが飛び交うなか、いったい何を信じたらいいのであろう?

 

 

 

テレビでは被災地の仮設住宅の様子、復興へと全力を向け闘っている地元の人々、自腹を切ってでも被災地に訪れボランティアをつづけている一般市民、被災地を励ましつづける芸能人や歌手の番組を多く観た。

 

またこの震災から学び一時非難所を設けようと動いている区、市町村、民間人。ある番組では、緊急時に電車が止まり帰宅できなくなった人々のためにシェルター的な準備をしているマンションの紹介もしていた。

 

 

 

これらを観ていたら心に熱いものが込みあがると同時に日本人の忍耐強さや他人を思いやる姿勢にただただ感心させられた。

 

 

 

その反面、あの多くの国から寄せられた膨大な寄付金はいったいどのように活用されているのか?また迅速に親身になって対応している政治家はどこにいるのか?という疑問がわく。

 

 

 

帰国のたびにどこか変っていく日本が残念に思える場面に遭遇したが、今回は昔の良き日本に戻りつつあるのかな?という思いにかられた。

 

 

 

オーストラリアは他民族国家、様々な人種が集まりなんとか共存しようと生きているが、宗教がらみのいがいみあいや人種差別はまだまだ根強い。

 

それに比べ日本は単一民族国家にちかく、一般常識、意識、食生活、文化など、地方の違いはあるもののこの国ほどの差はあまりない。

 

だいたいまわりの人々が何を思い考え行動するのかが予想できるのである。

 

これは生活していく上でとても便利であり、また楽ともいえよう。

 

 

 

‘古き良き日本’、震災という大きな代償を払ったのは遺憾ではあるが、これが取り戻せるのは喜ばしいことであるような気がする。

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

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A Happy New Year!             日本帰国つぶやき編 その1

 

今頃?A Happy New Year!なんて、ずいぶん遅れましたけど、昨日やっとシドニーに戻りました。いつもいつもこんな勝手な独り言ブログを読んでくださっている皆様、今年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

今回の日本帰国は12年ぶりの冬とお正月をのんびりと体験するのが目的。

 

通常この時期は飛行機代がとても上がり、その上寒いからいつも春か秋を選び、なかなか帰っていなかったのに、偶然Jetstar航空(ジェット・スター)のサイトでなぜかクリスマス当日がとても安くなっていて即チケットを購入したのでありました。

 

‘思い立ったが吉日’、経由便であろうが同時期の直行便(カンタスやJAL)よりずっと安い、見逃せないものだったのです。

 

 

 

クリスマスはいつもご馳走とプレゼントの山に囲まれのんびりムードの我が家ですが、日本帰国決定にはしゃいだのも束の間、この格安チケットの落し穴をじりじりと知ることに。

 

最初にチケットを購入して2ヶ月で行きの朝シドニー7時発の便を6時発に、3ヶ月したら帰りのゴールド・コースト9時発を10時発に!とだんだん不便な時間へと乗り換え便が変えられた。その後、新しいE-チケットが発行されて、それを良く見るとすでに払ってあるシート代がまた加算されている。

 

もともとすでに購入済で予約してあるはずの席や便なのにどうして変更されるの?それに会社の都合で変更され、どうしてそれを払うの?と怒り気味に電話をすると、向こう側の加算間違えが判明。皆様要チェックです!!!

 

これが安物買いの銭失い!とでも言うのでしょうか?ちょっと変よね。

 

 

 

そして行きのケアンズ空港の乗り換えのきつかったこと。

 

 

 

去年12月前半は夏なのに涼しい(豪雨と嵐)気候がつづいたシドニー、朝4時起きで準備、長袖シャツで心地良い18度くらいであったのに到着したケアンズは30度。

 

国内線から国際線まで炎天下をスーツケースをゴロゴロところがし国際線に辿り着く頃には日本の冬支度をしていた私達は汗ばみ、国際線での次のチェックインには長蛇の列。同じような時間帯に出発する大阪行きと成田行き両便の搭乗客がたった3つか4つくらいのカウンターの対応に我慢強く待つはめになっていた。

 

カウンター手続きの時間になってもカウンターには人っ子一人いない。10分位して一人、二人と仕事を始めたが、待っている搭乗客の痛い視線はまったく無視。

 

クリスマス勤務だから、ちゃんと特別手当がでているはずなのに、スタッフの仕事さばきは日本では考えられないものでありました。

 

そして極めつけは、オーストラリアではクリスマスが祭日のせいなのか、通関後のケアンズ空港の中にあるレストランは開いてなく、小さなカフェで食べ物を買うしかない。

 

 

 

格安チケットといっても、荷物代、毛布代、映画を鑑賞代、食事代などを付ければドンドンと値段は加算されていくシステムである。せっかく格安チケットを見つけたのだからと、一切なにも付けずに(荷物料や手数料以外)、空港で飲み物や食べ物を買い持ち込もう!という安易な私の考えが甘かったのでありました。

 

味はなんとか良かったが、高価なサンドイッチを朝食に、またまたその高価なサンドイッチを機内へ持ち込むという、悲惨なクリスマスの食事となってしまった。

 

 

 

ある友達が「クリスマスに飛行機で旅するなんて素敵よね、きっと機内食はチキンとシャンペーン?」と言っていたが、その時、そうか日本人の発想はクリスマス=チキン(丸ごと)か?我が家のクリスマス料理はシーフードやラム・ローストだよな~!などと考えていた光景は見事に消えていた。もちろん20~30ドル加算してもたいした機内食は望めないから、食事は空港で食べたり、持ち込むことに決めたのです。 

 

 

 

そして日中の便でも暗くして眠らされる機内。

ツアーを堪能した日本人観光客軍団はグウグウと眠っていたが、眠りにもつけず、ひたすら久しぶりの日本、どこにいこうか?と無理矢理案を練るわたしでありました。

 

 

 

そして到着した成田空港は風が冷たく、気温は3度。シドニーの冬もわりと気温は下がり寒くなり朝夕は0度になることも稀にあるが、湿った寒さの日本の冬は体を凍てつかせ、気温の差についていくのが必死。

 

 

 

日本の冬ってこんなに寒かったの?

 

翌日、浅草観光や買い物で原宿近辺を歩き回ったが、凍てつく寒さにホトホトまいり始めている自分でありました。(まだ到着して数日なのに)

 

 

 

つづく

 

 

 

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