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2011年8月

心の小さな壁を破った日   自分の敵は自分?    atフリー・マーケット

 

娘が高校生になり少し自分の時間に余裕がでてきたこともあり大好きな歌のレッスンを受け始めた。好きな歌のジャンルはJazz、ボサノバ、シャンソン、オペラといろいろあるが、ジャズの先生からボイス・トレーニングを習い始めた。

 

好みはDiana KrallCole Porter、‘オペラ座の怪人’も大好きでありいつかは日本でも人気のあるサラ・ブライトマンのようなあんなソプラノが歌いたいとも願っている。

 

*11月の‘知らなかった自分発見の旅はじまりの日  Voice training in Sydney’に詳細

 

 

 

しかし様々な用事に流され思うようにレッスンを受けることもできずにいるのが現実でもあった。

 

「ある程度のレベルまでいけば、うちの生徒は必ず外で歌ってもらうようにします。歌を習うからにはいつかステージに立ち人前で歌えるようにしましょうね。」というのが先生の教えのひとつであり、これを聞いたとき「いや私はいいですよ。歌いませんよ。」絶対に歌えない、人には聞かせれない!と決めつける否定的な自分であったが、なんとその日がついにやってきてしまった。

 

そして否定的な自分が人前で歌えるようになったのには、あるひとつの大きな要因があった。

 

 

 

1週間前に友達の家で、ある指圧ヒーラーなる女性と突然出会い少し会話をしたときにある言葉が心に残った。

 

それは深い心の傷を癒したり治す方法の話を簡単にしたときに、「心の中で自分で自分に課しているブロックをはずしていくこと」というものであった。

 

もちろん深い心的な様々な病を治していけるのはこれだけではない。また自分しだいで物事は変わっていくものであるのはどこかで理解はしていても実行できずにいた。

 

しかしこのヒーラーの‘ブロックを解除していく’というどこか説得力のある言葉がとても気になり、いったい自分のブロックは何かを考え、少しづつブロックを解除してみようと思考を転換し始めたのだ。

 

 

 

今回は‘人前で歌うのは無理’というブロックを解除することに努めてみた。‘歌えない’を‘いや歌える’に心を置き換えてみることにした。

 

 

 

たった10ヶ月ほどでレッスン回数5,6回という時間的にはお粗末なものであったが、先生の教えの上手さと家での必死の練習を重ねた成果か、歌った骨董市場では何人かの人々が集まってきてくださり拍手までいただいた。

 

小さな会場の小さなデビューであったが、この一歩は私の心のなかの大きな達成感となったのである。

 

 

 

歌い終わり先生が、「Please keep singing!(歌い続けましょうね)今度はXXのレストランにいらっしゃい、そこで歌いましょう!もっと音響がいいからね。」と言ってくれた。

 

 

 

人生にはいろんな山や谷がある。辛い悲しい体験などがあるとすっかり自信と自身を見失ってしまう。それらがすべての可能性をブロックしていたのかもしれない。

 

 

 

もう歳だから、英語が母国語ではないから、自信がないから、母子家庭だからなんていうブロックはすべて解除することに決めよう。自分の敵は、案外自分だったのかもしれないのだ。

 

 

 

 

 

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4歳の命を奪った闘犬用ピット・ブルは神様の意思?   in Melbourne

 

大型犬に襲われて怪我を負ったり命を失うという事件をよく耳にするオーストラリアである。昨夜(17日)メルボルンでまた犬にまつわる悲しい事件が起きた。

 

 

 

4歳の女の子が従姉妹と庭で遊んでいるところへ近所のピット・ブル犬が侵入、女の子は家の中に逃げ込んだ。犬は後ろを追いかけその子を襲いだし、それを止めようとした母親は足を噛まれた。また犬を追い払おうと力を尽くした従姉妹たち(31歳と5歳)も重症を負う。2次救命処置の救急車がかけつけたが、4歳の女の子の命の蘇生はできなかった。この子供の家族は先月火事にあい、従姉妹の家に滞在している最中であった。’

 

 

 

’同じ通りに住む犬の持ち主は30歳の男性であり、どうして犬を放置したのか取調べをうけている。‘

 

 

 

このPit Bullはアメリカで闘犬用としてつくられたテリアであり、飼い主は責任を持って飼うはずであるのだが?

 

‘ビクトリア州ではこの犬を飼う時は去勢と地方自治体に申請する義務がある。’

 

 

 

それにしても痛々しいニュースである。

 

テレビのニュースでは‘このケースだと2年の刑期と55000ドルの罰金くらい’という数字を出していたが、もし飼い主が犬の管理責任を怠ったのなら、過失致死事件に相当するのではないのか?あまりにの罰が軽くないだろうか?

 

 

 

この家族は、より良い暮らしを求めてスーダンから難民として、2004年に新天地オーストラリアへやってきた。平和で豊かな生活を過ごせるはずのこの国で娘を犬に襲われて亡くすという事実は想像すらしていなかったことであろう。

 

 

 

家族のインタービューの言葉が心に残る。

 

「確かにひどい襲われ方であった。こんなことが起こるなんて誰にも予想できなかったことだ。それでも、結局は神様の意思なんだ。」

 

 

 

今朝のニュースで国民の怒りが高まっている。あるコメンテーターは、‘こういう闘犬飼育をすべて禁止しろ’とまで叫んでいた。

 

なんとかこの闘犬の規制をさらに厳しくできないものか?

 

ほんとうに神様の意思であるのなら、彼女の死を繰り返してはいけないという戒めとして、政府や地方自治体は迅速な行動にでるべきではないか。

 

 

 

参考までに最近起こったピット・ブル犬の事件をあげてみました。

 

2011

 

5月:ダーウィンで53歳の男性が左腿をひどく噛まれ攻撃される。

 

3月:ヴィクトリア州で67歳の女性が腕がちぎれそうになるまで、家族の飼っていた犬に噛まれる。

 

2月:サンシャイン・コーストで84歳の女性が不法の2匹に襲われ、一匹はその場に駆けつけた警官に撃ち殺された。彼女は顔面を噛まれ、顔の一部は引き裂かれ、片目を損傷。

 

 

 

情報源:http://www.news.com.au/national/child-killed-in-dog-attack-at-st-albans/story-e6frfkvr-1226117002241#ixzz1VK7KwPG1

 

 

 

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ザトウ鯨の赤ちゃん 一人旅の行き先は?            ゴールド・コースト

 

8日の朝のニュースで、生後一週間1500Kgのザトウ鯨の赤ちゃんが、ゴールド・コースト海岸の浜辺に乗り上げてしまった映像を流していた。体が乾かないように濡れた布をかぶせられ、砂浜で身動きとれずにじっと横たわっている赤ちゃん鯨は、なんとも痛々しかった。そして‘50人の救助隊により砂浜からなんとか海水に戻せたが、またその途中にあった鮫対策用の網に引っかかってしまう始末。今度は1時間半ほどかけてシー・ワールドの海洋科学者達がその網を切り、やっと深い海に戻って行くことができた。しかしその時点で赤ちゃんは弱っていて、どこにいるかわからない母鯨と一日も早く交信を取る必要があった。母乳がなくても5日ほど生存は可能であるがお母さん鯨に会わなければ、この子の命の保障はない。もし母鯨が20~30Km範囲の場所にいれば交信は可能であるがそれは居場所は定かではないし、また赤ちゃん鯨が海岸に戻ってきてしまうことも懸念された。’

 

 

 

9日のニュースでは、鯨の母子が仲良く泳いでいる姿が発見されたが、それは同じ鯨ではないことが判明された。

 

 

 

この鯨のニュースの度に、‘お母さんと会えたかな?’と気になっていた。悲しみと喜びが波のように交互にやって来る赤ちゃん鯨のニュースであった。

 

 

 

そして10日、ちょうど6時間前に悲しい記事を読む結果となってしまう。

 

救助隊チームの心配していた通り、また赤ちゃん鯨は海岸に戻ってきてしまったのだ。

 

‘サウス・クイーンズランド・コーストのMoreton Islandの浜辺に乗り上げてしまい、安楽死をさせる結果になる。’

 

 

 

この救助隊の一人の言葉が心に残る。

 

「こういった動物は母親といることが必要とされ、まるでベルクロー・ファスナーのようにいつもくっついて並び、それは美しく素晴らしい心のふれあいであるのです。」

 

 

 

最後はとても残念な赤ちゃん鯨の一人旅になってしまった。

 

捕鯨を止めない日本と一匹の赤ちゃん鯨を必死になって助けたオーストラリア。

 

歴史、文化、お国柄、背景が違うと言えばそれまでだが、あまりの違いに愕然としてしまう。

 

 

 

 

 

Sydney Morning Herald The Australians CH9 Today

 

 

 

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シドニーの冬模様はこんな風です!         2011年8月

 

シドニーに住むようになって12年たつ。

 

アメリカから引っ越してきたばかりの当初は、南カリフォルニアの乾燥した温暖な砂漠的な気候との違いに戸惑った。四季があり湿度もある。これはとても嬉しかった。

 

最初の数年は、78月(冬)の降雨量が多く、家のまわりに林立していたユーカリの大木の樹皮を大量の雨水が流れていくさまが珍しく見入ったこともあった。

 

夜中に大粒の雨が降り、朝になると何事もなかったようにカラっと晴れ上がる冬が多かった。5,6年前はその冬の大雨もほとんどなく干害の被害に襲われた。

 

 

 

そして今年の冬はまた例年とは違う。

 

7月は数十年ぶりに、日中最高気温が16度以下という寒い日がつづいた。そんな7月末から8月初旬にかけては、一気に気温が上がり、日曜日(7日)に気温が下がったが、もし20度を超えていたら、10日間連続日中の最高気温が20度を超えるという記録を更新するところであった。

 

そして今朝、最低気温は9度、予想されている最高気温は18度である。

 

この極端な気温差に体がついていくのがとてもきつい。

 

娘は先週風邪が治ったと思っていたのに、今朝またぶりかえした。わたしは咳にやられ、軽い気管支炎になっている。

 

(シドニーと一言で書いてしまっているが、観光名所のブルー・マウンテンの最低は4度であるから、場所によって多少の差あり)

 

 

 

それでもお隣りキャンベラに比べれば、気候に恵まれたシドニーである。

 

キャンベラは高地に位置しているせいなのか、オーストラリア中で一番寒い。今週は最低気温が-1℃、1℃,2℃である。去年娘がキャンベラに遠足に行き、日中最高気温が4℃という最悪な博物館めぐり日を体験した。

 

 

 

前からよくこのブログで書いてきているが、シドニー・オーストラリアでの気象状況が半年あとでやってくる日本の気象傾向ととても似ていると感じている時がある。

 

 

 

前回の夏、オーストラリアでは豪雨・嵐・強風・サイクローンがつづいた。シドニーでは熱波日7日間連続という160年の気候記録史上初の記録となった。

 

まさに今年の日本の夏が似たような状況になっている気がする。

 

 

 

タイトルは覚えていないが、10年ほど前に観た未来を想定したある映画のワンシーンに、NYで7月なのに雪が降るというのがあった。なんだかこれはもう映画だけのシーンではなくなっていくかもしれない。

 

 

 

昨日、ロンドンでの暴動、またアメリカ軍のヘリコプターがタリバンに打ち落とされ尊い命がいとも簡単に消えていった。

 

地球温暖化や異常気象から、天災という強敵が人間界を襲いつつある最中、こんなことがあっていいのかと首をかしげてしまう。

 

 

 

今、我々がしなければいけないことは、異常気象や天災への備えと対処ではないのだろうか?

 

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大学生になったオバサンのため息! 嵐のあとはひたすら勉強        その1

 

7月があっというまに過ぎてしまった。日中最高気温が数十年ぶりに最低を記録する日があったり、シドニーってこんなに寒かったかしら?と思わせる日々がつづいた。

 

 

 

シドニー空模様ではないが、サイクローンとまで呼べないちいさな嵐が我がやを吹き巡った月でもあった。 8月に入りいつものシドニーの青空(完璧に美しい冬)が戻るとともに、わたしも自分なりの時間を取り戻しつつ、やっとペンを取りこのブログにもどってきた感である。

 

 

 

この嵐とは、「日本へ行くからそれまでになんとか日本語を勉強したい!」というグループに日本語強化訓練をしたこと、それと自分が突然学生に戻り、今学期からカレッジで翻訳コースを取りはじめたのである。

 

 

 

数年前に同じカレッジで通訳コースを取り免許を取得した。 その時は、夜間に翻訳クラスも取っており、合間に仕事と子育て、家事全般というハリケーンを体験した。 半年間、鼠が籠のなかの玩具をクルクルまわるように全力疾走をして心身ともに憔悴した挙句、試験の日は胃痙攣をおこしたくらいだ。

 

それでも今ふりかえると、苦しかったけど充実していて楽しい思い出である。

 

その時いっしょに勉強した同級生の一人は生涯の友になった。

 

 

 

日本でも大人やシニアの大学クラスや市民講座などがきっと増えていると思われるが、ここオーストラリアも同様、歳に関係なく勉強できる環境がしっかり整っている。

 

 

 

この初心者向け翻訳コースは、オーストラリアでは始めての試みであり、カレッジの語学コーディネーターは力を入れている。 中国語と日本語とあり、日本語の先生陣は、修士号を数年前に取得したばかりの若い日本人とオーストラリア人である。 彼女等は一生懸命情熱を持って教えてくださる。 生徒は7人と小規模クラスで、年齢層は日本からの学生20代から地元で退職された方まで様々である。

 

 

 

机に座って勉強をするのは数年ぶり、初日は頭脳が‘もうこれ以上作動しません!’というくらいギュウギュウに翻訳をつづけ、いったいどうなるものか?と不安であった。

 

それでも3週目に入る頃から、きついけどなんとか脳が軌道開始したようである。

 

もちろん、いままでの自分の英語はいったい何だったの?という落胆も大きかったが、落ち込んでいる時間はない。この勉強時間を与えられた環境にただただ感謝の日々である。

 

 

 

週末必死に宿題をやっている私を横目に娘が、

 

「マムもこれでやっと私の気持ちがわかるでしょ?」とニタニタしていた。

 

お母さんが一生懸命にやっている姿というのは、子供にとって嬉しいようだ。

 

8月は南からの強風が吹き荒れるシドニーであるが、我が家には柔らかな風が流れてもらいたいものだ。

 

 

 

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