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2011年7月

ツール・ド・フランスでついに優勝 自転車少年の夢を果たした日!

 

Cadel Evansがツール・ド・フランスで優勝したニュースは、今朝のオーストラリア中の新聞のフロント・ぺージを大々的に飾った。

 

ツール・ド・フランスとは‘毎年7月に23日間の日程で行われるステージ・レースで距離にして3300km、講高低差2000m以上という起伏にとんだコースを走りぬく’過酷な自転車のレースである。

 

108年の歴史を持つこのレースでオーストラリア人が優勝したのは、100年ぶりの快挙であり、この誇らしいニュースは国民に大きな喜びを与えた。

 

 

 

レース始まって以来最年長の優勝者となった彼が、ここにたどるまでの道のりは長かった。ツール・ド・フランスに2005年にデビューした時は8位、2006年は4位、そして2007年と2008年とつづけて2位であった。目の前の勝利を2回逃しており、今年の優勝は、年齢の限界へと近づいていく彼にはどうしても達成したいものであったであろう。

 

 

 

ノーザン・テリトリー(北部特別地域)の田舎街で生まれたカデルは、小さい頃、水泳、サッカー、クリケットなどオーストラリア特有の学校でのスポーツが得意ではなかったそうだ。他になにもすることがなく自転車を毎日乗り回していた。

 

そんな幼少時代から‘肉体的にプロのスポーツ選手になることは不思議である’と本人は言っている。

 

 

 

幾つか新聞に彼の隠れた支援者のことが載っていたので紹介したい。

 

 

 

その一人、去年12月に脳腫瘍で亡くなった彼のトレイナーAldoSassi氏は、彼の良き友であり恩師であった。

 

‘最も大きく名声の高いツアー、ツール・ド・フランスで勝てば、この世代で最も完結したサイクリストになれる。必ず勝てる’という恩師の言葉は、’私自身より、わたしのことをより信じてくれていた人‘とカデルは述べている。

 

きっとAlso氏に今日の晴れ姿を見せたかったことであろう。Aldo氏の話になるとカデルは涙を隠すことができなかった。

 

 

 

もう一人はピアニストで音楽の先生であるイタリアンの奥様(Chiara Passerini)。

 

彼女は、彼が彼女にプロポーズをした地であるゴール地点で、彼の無事到着を待ち望んでいた。Twitterでは、“Come what may, I will love you until my dying day”とトゥィティングしたそうだ。これはあの二コール・キッドマン主演の映画ムーラン・ルージュの歌の詞である。訳:なにがおころうと死ぬまであなたを愛すわ!

 

なんとも可愛らしい!

 

 

 

体力また精神力の限界に挑むスポーツ勝利者の栄光の裏舞台を支えている人々の喜びもまたひとしおであろう。

 

 

 

Congratulations Cadel!!!!

 

 

 

 

 

情報源:Sun Morning Herald Herald Sun Wikipedia

 

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メール詐欺? に気づかなかった愚かなわたし      in Sydney

 

先週不可解な電子メールを受け取った。といっても最初は無意識になんとかしなければ!と思わせるものであった。

 

ここ最近会っていないシドニーに住んでいる日本人の友達からのものである。

 

1通目は、‘いま家族とアイルランドに旅行に来ています。ところが昨夜コンサートの帰りに銃をもった男性に襲われ、クレジット・カードをはじめ持っていたものすべてを渡す羽目になりました。中略 今夜の便でシドニーへ戻るのですが、現金がまったくありません。すべての手続きが終わるまで現金を借りたいのですが~’という英文のメールであった。

 

朝早く頭が回転してないせいか(いい訳?)、

 

え、OOさんアイルランドに行っていたのね、でも大変な目にあったんだ!と思い、

 

‘いくら必要ですか?連絡くれればいつでも渡すようにするから’と日本語で返信をしておいた。

 

それでも心のどこかではいくつかの疑問が浮かんでいた。

 

彼女がアイルランドに行きたがっていたのは知らなかったな、きっと日本のご両親といっしょに行ったのかしら?彼女がコンサート?いつも日本語で打っていたのにどうして英文かな?でもアイルランドでは日本語打てないよね。それにしても、この英語上手いな?

 

 

 

その後、起きてきた娘に、「ねえ、OOさん大変だったみたいよ、これちょっと読んでみて。」とみせた。

 

「マム、落ち着いてよ、これ詐欺でしょ?まさかこっちの詳細とか送ってないよね?」と一言いわれてポカンとしてしまった。

 

「もう気をつけてよ。まずこれ彼女の英語じゃないよ!どうしてわからないの?」

 

「えええ、お金渡すからってメール返信したけど、どうしよう!」

 

「別に銀行の詳細とかパスワードさえ渡さなければ問題ないよ!」とあっさりであった。

 

 

 

さすが現代っ子である。こういうことには慣れているというか、私なんかよりよく諸事情を知っているのだ。

 

 

 

その後、内心では半信半疑になりつつ‘そうか詐欺だったのか~!でも日本語で返信したから大丈夫だ。きっと文字化けになっているか、もしくは読めるわけ無いもの’と高を括っていた。

 

そして翌日、なんと日本語で彼女のアドレスから再度メールが届いた。今度は、外国送金によく使われるウエスターン・ユニオンでお金を送ってくれというものであった。

 

ここで完璧に怪しかったのは、まずその日本語の文章がいかにも翻訳ソフトを使用して訳しました的日本語であった。そして最初は現金を借りたいといっていたのに、1400ポンドを貸してくれになっていた。シドニーに戻っているはずだからポンドなんて必要はない。この時点でやっと、そうかほんとうに詐欺だ、と理解した自分。

 

「どうする?警察に行ったほうがいいの?それに向こうは私のメール・アドレス知ってるよ、どうしよう?」と心配になると、

 

「こんなこと頻繁に起きてるから、いちいち警察が話し聞くわけないでしょう。無視しておけば大丈夫よ。」と娘に言われた。

 

 

 

なんともお粗末な私の思考回路には情けなくなった。

 

日本でおきているお年寄り相手の‘俺俺詐欺’のニュースを聞き、‘どうして騙されるの?’なんて思っていたが、まさに自分もこの被害者になりえるのである。

 

 

 

皆様、お気をつけあそばせ!

 

 

 

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なでしこチーム 優勝おめでとう!!! 一杯の元気をくれてありがとう!in Sydney

 

シドニー時間、朝4時にサッカー世界大会の決勝戦は始まった。

 

2週間の冬休みもあと残すところあと1日。娘はテレビの前に毛布やクッションを並べ試合鑑賞体勢に。私は6時半ごろ目が覚め、あれ?まだ終わっていないの?と、娘の毛布にくるまり2人で延長戦を観ることになった。

 

 

 

数日前に決勝戦の相手がアメリカと知ったときは、

 

「日本(母方)とアメリカ(父方)のどちらを応援するの?」と娘にきいた。

 

「もちろん日本でしょ、マム!」との言葉になんだかホッとした。

 

 

 

シドニーのスポーツ誌やスポーツ・コメンテーターは一様に、‘日本には勝ち目がない’という雰囲気であったから、‘いいのよ、ここまでよくやったよね!あんな大きなアメリカ女性相手に決勝まできたなでしこ軍団は偉い!!!’と心中で思いつつ試合をみつづけた。

 

 

 

延長戦の前に選手が輪になってコーチの話しを聞きているアメリカンチーム。

 

それに比べて日本選手側は足のストレッチやマッサージなどに時間を費やしていた。

 

試合が長くなるほど体力の持続が大きく響くから、身体をいたわることは大切なのだ。

 

 

 

そして延長戦でアメリカのゴール・キーパーの足の不調を訴えを観たときは、ほらね、あの身体をいたわる日本人チームが正解だ!と思えた。

 

これで少し流れが変わったようであった。うん、日本は勝てる!と感じだした。

 

そして見事にPK戦で勝利を遂げたのだ。もう嬉しくて嬉しくて娘と2人で抱き合い大喜びであった。

 

 

 

運よく決勝戦の日が日本では海の日の休日であった。

 

だから時間が少々早くても、きっと多くの日本の人々がテレビを通して応援していたことであろう。みんなの思いや意思が遠いドイツに伝わっていたのかもしれない。

 

また彼女等の活躍、健闘、勝利は、一般の日本人のみならず、地震で被害を受けた人々や避難所で生活苦を虐げられている人々にも大きな喜びや将来への希望を与えてくれたことであろう。

 

 

 

試合後、SBS(オーストラリアの国営テレビ局)のコメンテーターは、日本選手をずっと褒め称えつづけた。

 

‘大柄で力強いアメリカチームに反して小柄だけど技術的に優れた日本チーム。このまったく異なる2チームが素晴らしい試合を世界中に繰り広げてくれた。これはワールドカップ始まって以来、歴史に残る大きな試合の一つになる’

 

‘最初は緊張のせいかなかなか上手く動けなかった日本チームであるが、おおきな精神的なハードルを乗り越えて勝利に導いたのはすばらしい’

 

‘日本での大震災という悲劇が忍耐、持続などの力を彼女等に与えたのであろう’

 

 

 

ほんとうによく頑張った。そして観ている私達ファンにも歓喜を与えてくれたなでしこチームにただただ感謝である。

 

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「3週間で日本語を話したい!」 難題?!に挑戦の日々      その1

 

冬真っ只中のシドニーである。今日はシドニーではめずらしくどんよりとしたロンドンのような曇り空で最高気温が15度と寒い日となった。娘の冬休みもあと一週間あるから少しはのんびりできると思っていた矢先、とつぜん娘の習っている和太鼓の先生達から’3週間後に日本に行くので、少しでも簡単な会話が理解できるように日本語を教えてください‘と頼まれた。

 

 

 

もう!日本行きはずっと前から予定していたのだから、もっと前から勉強を始めておけばいいのに!とも思ったが、彼等の日本滞在をなんとか楽しいものにしてあげたい。

 

‘やるだけやってみましょう!’と返事した。

 

 

 

性格上引き受けたからにはどうしてもその思いを叶えてあげたい!とつい力が入ってしまう。ただ3週間という短期間でいったいどこまで会話可能になるのか?

 

英語と日本語のみではあるが、いままでずっとこの2つの言語の間をさまよっている自分である。教師は本職ではないが、日本では英語の家庭教師、アメリカにいた時や、最近はシドニーでまわりの学生や友達に教えている。今回は彼等をモルモットにして(ごめんね)どこまでできるか試してみようか!日本語短期間マスター・トライアルに挑戦してみることにしたのである。

 

 

 

彼等3人のレベルは、昔高校時代に少し日本語を勉強した人、日本に数回訪れて一般会話から単語を拾える人、学生時代に日本語の文法と読み書きを練習したけど嫌になりやめた人。まるっきりの初心者ではないが、3人まとめてとなるとレベルの違いが少々心配であった。

 

 

 

最初のレッスンは数の数え方、月、曜日、自己紹介や簡単な挨拶から始めることにした。

 

大の大人が指を折って一生懸命に数をかぞえて答える姿は微笑ましいやら可笑しいやら。笑ってはいけないがレッスン中笑いが止まらないわたしであった。

 

‘ひとつ ふたつ みっつ’の数え方は、居酒屋でどうやってビールやお惣菜を頼むか?を例にだしてみた。みんな目をキラキラさせて必死に話し出す。こういうのが一番覚えやすいのであろう。特にビールやお酒のたのみ方になるとしっかりとノートに書き込みはじめていた。

 

“レッスンは楽しくなければいけない!”をモットーにしている。

 

退屈であったり嫌いになってしまう語学勉強法というのは時間とお金の無駄である。 

 

彼等の場合は、日本旅行中で困ったときのやりとりや興味のあることに密着すれば必ず覚えると確信している。(まあ、短期間だから文法や書き方読み方などの時間がないのが本音であるが)

 

また彼等の目的は和太鼓の修行でもあるから、どうしても日本人と話しをしたいし、日本を理解したいという願望が大きくある。

 

このやる気は教える側にとってもとても有利であるのだ。

 

 

 

海外在住歴20年であるが、英語は私にとって母国語にはまだなっていない。

 

生活に困らず意見を言えるし意思は伝わるが、やはり専門分野の会話になるとまだまだ未熟な自分である。語学の壁はとてつもなく厚く、ある程度のレベルになっても難関が次から次へと必ず現れるからだ。

 

 

 

少しでも彼等の最初の壁を打ち破る力になれたら!と願いつつレッスンをつづけてみよう。

 

 

 

 

 

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オーストラリア 冬の代表料理に挑戦! オージー・ラムも見逃せない!

 

数年前にNZに旅行に行った時にあるホテルで子羊のスネ肉料理を初めて食べた。付け合せはマッシュド・ポテトと緑の温野菜。デミグラ・ソースで長時間煮込みとろけるように柔らかくなった羊の美味に感激した。

 

 

 

それ以来、一度は作ってみたい料理の一つであったが、なかなかスネ肉がスーパーでみつからなかった。LambShank(ラム・シャンク)と呼ばれるこの骨付きスネ肉が冬になると店頭に並ぶのは、きっとこの煮込み料理がオーストラリアでは冬の代表料理であるからであろう。最近スーパーで手頃な値段で手に入ったので挑戦することにした。

 

(1kgあたり8ドルくらい)

 

 

 

羊といえば、日本ではマトンがお馴染みだが、どうもニオイが!という人も多いと察する。北海道で新鮮なマトンなら美味しそうだが、羊にはあまり良い印象はないかもしれない。

 

もしくは高級フランス・レストランでなら舌包を打ったことがある方もいるであろう。

 

カリフォルニアではラムはどちらかというと高級料理という感じで、一般家庭ではあまり口にすることはなかった。

 

 

 

わたしがラムの美味しさを知ったのはオーストラリアに来てからである。

 

日本からお客さんや友達が来るたびにラム料理を作り、みんなのラムに対する抵抗感や違和感をなくしてきたと自負している。ほんとうに美味しいのである!

 

 

 

さて、このラム・シャンク(骨付き子羊スネ肉)料理法はいたって簡単。

 

スネ肉を油をひいたフライパンで炒め、少し茶色くなったらソースを入れて数時間煮込むだけである。好みでニンニク、玉葱や野菜を入れればいいだけ。ソースはトマト味、和風、デミグラ・ソースなど。

 

 

 

‘1991年に日本が海外からの牛肉輸入を自由化したのをきっかけに、日本の食卓にオーストラリアの牛肉があがるようになった。友達のおじさんがあの‘オージー・ビーフ’のきっかけになったそうだが、’オージー・ラム‘も日本に拡がればいいのに!と思う。

 

 

 

牛肉やラムを海外に輸出する会社を経営する友達に聞いたところ、‘日本へのラム輸出はしていないし考えたこともない’とのことであった。

 

きっとラムの需要が少なく牛肉のほうが一般的であろう。

 

ラムのほんとうの美味しさを知っている日本人が少なく、敬遠されているから新しく開拓しなければならない茨の道なのかもしれない。

 

 

 

今夜のお手製ラム・シャンクはNZのレストランのように口のなかでとろけた。寒い日にはもってこいの献立である。

 

この美味しいラムを日本の皆さんが手軽に味わってもらえる日が来ることを待ち望むわたしである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Wikipedia

 

http://www.taste.com.au/recipes/1116/slow+cooked+lamb+shanks

 

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15歳の娘が男の子にデートに誘われたときの対処法は?? in Sydney

 

数年前、とつぜん娘に「マム、いくつになったらボーイ・フレンドつくっていいの?」と聞かれ、即座になんて答えていいかわからず「18歳かな?」と適当な返事をしたことがあった。お酒やタバコじゃあるまいし、まったくいい加減な答えであった。

 

その時は通学バスでいっしょになる他校の男子から映画に誘われたのだ。

 

結局2人だけでは駄目ということにして、仲の良い女友達を道連れに行かせたことがあった。その後つきあうまでは発展せず、なんだ!こんなに悩むことはなかったのかな?という小さな出来事があった。

 

 

 

女子高校に通う娘はもうすぐ16歳になる。男友達がいるのかいないのか?まったく知らないが出掛けるのはいつも女友達ばかり。きっとFacebookやテキスト友達くらいはいるだろうがデートには出掛けていないから、当分大丈夫だろうと高を括っていた。

 

まわりの私立高校や女子高校の生徒が化粧をばっちりして男子生徒とベッタリくっついているのを横目に、まだうちの子の仲良しグループは大丈夫!なんて思っていた。

 

 

 

ところが災難!?は忘れた頃にやってきたのだ。

 

今週からNSW州は冬休みに入った。休みは2週間あり娘は小まめに計画を練りだした。

 

「マム、火曜日はマギーと買い物、水曜日はサムに誘われたからランチ、木曜日はジャッキーと映画に行くから!」とさりげなく言い出した。

 

連なる女子の名前はいつもあっている子だけど、え、サムって誰だった?ドコの子?

 

その時はあいまいに「いいよ」と言ってしまったが、頭の中でいろんなことがグルグルまわりだした。男の子と2人でランチ!初めてのことだ!どうしよう!

 

 

 

翌日、「ねぇ、サムとのランチだけど、もうOKって言ったの?お母さんに聞いてから返事するとか言わなかったの。どこの子なの?」と聞いてみた。

 

「もちろんお母さんに聞いてからって言ったよ。小学時代の同級生でしょ!すごくいい子だよ、それに私を信用しないの?」と少しムッとして娘が答えた。

 

「あなたのことは信用してるわよ、でも、私はサムのことをよく知らないから、信用もできないでしょ。とにかく行く場所、帰ってくる時間などを教えね。」とだけ言った。

 

 

 

昨日、すっかり大人になった娘を持っている大先輩とランチをすることになり、こういう時はどうやって対処したらいいの?と尋ねてみた。

 

Be a cool mum!!!」(訳:話のわかるカッコいいお母さんに徹しなさい)

 

「自分の15歳のときに当てはめるといいわよ。私はすっごく反抗してたから、自分の親とは違う子育てを実践したわ!厳しくすればするほど子供は親に何も言わなくなるし、歪んだ方向に行ってしまうもの。親として時間や場所を規制するのは当然だけど、子供を縛りつけることはできないし、ある程度の自由を与えないと。子供も経験からいろいろと学んでいくのよ。」子育て歴30年の彼女の言葉には納得!確かにその通りである。

 

 

 

もう一つおもしろい答えは、

 

「その子がフォーマルの相手になるかどうかもチェックしておくべきね。良い男の子をみつけるのは難しいのよ!」

 

 

 

このフォーマルとは高校10年生の終わりにあるパーティで娘はとても楽しみにしている。

 

普通は男子が女子を誘うが、彼女は女子高だから、彼女の高校でパーティが開催される場合は彼女が男子生徒を選べるそうである。

 

日本の高校時代にはフォーマルなんてなかったからなにも知らなかったのだ。

 

 

 

娘は靴とドレスはもう用意してあるから、あとはいっしょに連れて行く男子選びだけである。良いパートナーを探す意味では、今から少しづつデートをしておくのも悪くないアイデアなのだ。

 

 

 

いくつになっても心配の絶えない子育てだが、子育てを通じて自分も子供といっしょに育っている。

 

ここ数日南風が強く吹き荒れるシドニーのように私の心にも木枯らしが吹き荒れたが、先輩の言葉を聞き、不安な風はどこかへ飛んでいってしまった。

 

‘案ずるより産むが易し’なのかな?

 

 

 

 

 

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