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2011年4月

音楽と美食?に囲まれたイースター・ホリデー 我が家的過ごし方!!  in Sydney    

411日からNSW州の学校はイースターホリデーに入った。

今年はイースターのGood Friday22日、Easter Mondayと*Anzac (オーストラリアとNZ陸軍部隊)Holiday25日に祝日が2日重なるので、26日の火曜が振り替え休日となり、なんと一般人は5連休となる。そして学校は28日から始まるので、学生は2週間半の休みとなる。

*詳細は下記のサイトで!

http://ja.wikipedia.org/wiki/ANZAC%E3%81%AE%E6%97%A5

学校が休みになると家族総出で、一週間ほどQueensland州(ゴールド・コースト)、セントラル・コースト(シドニーから北上1時間くらいの海岸街)、South Beaches(シドニーから南下した数々の海岸街)などを目指して移動、台所付きアパートを借りのんびり過ごすタイプ。また2000年に開催されたシドニー・オリンピック跡地で開かれているイースター・ショウに出掛けるタイプに別れるのが一般的シドニー・サイダーの過ごし方である。

娘は友達とイースター・ショウに行き、母親とは行きたくない。

ビーチハウスに一週間!なんて夢のようなホリデーを過ごしたい我が家であるが、そんなお金があったら次回の日本行き航空運賃にまわしたいのが本音である。

わたしのようにシドニーに残った地元民にとり何が一番嬉しいか?というと、いつもより道路が空いている!といったことくらいであろう。(イースター・ショウ付近を除いて)

しかしこんな我が家にとり、今年は大きなイベントがあった。

娘の音楽強化合宿が休みの第二週目に3日間あり、私はその飯炊きオバサンとして参加、親子共々合宿に通うことになったのである。

生徒、先生、アシスタントあわせて20人分のMorning Tea(朝のおやつ)、昼食、Afternoon Tea(3時のおやつ)を用意した。去年、アシスタントのような役割で手伝ったので、なんとか要領を得ていたが、今年はメインで任されることになり、合宿前日の週末は買い物と台所器具準備でてんてこ舞いであった。

メニューは、初日、カップケーキ&季節の果物、メキシカン料理、チェリー・ケーキ。2日目、バナナ・ケーキ、イタリアン料理、クッキー&果物。3日目、ブルーベリーと桃のデニッシュ、日本食、苺オハギ、ジャム・タルト。自分で言うのも気が引けるが、とても豪勢なグルメナメニューである。

昔、カリフォルニアに住んでいたから、メキシカンにかけてはこだわる自分であるし、日本食はもちろん本物である。(シドニーに出まわっている、まがい物日本食とは違います!!!)

もちろん独りでこれらすべての料理と準備は不可能であったので、もう一人のオージー女性と分担して用意をすることにした。

参加生徒の年齢は8歳から17歳、男女半々であった。女の子でおかわりに戻ってくる子は少なかったが、大きな男の子たちは、「Can I have a SecondShizuko?」(おかわりしていい、しずこさん?)とニコニコして妙に甘えた声で、空のお皿を手に取り頻繁に戻ってくる。

No」とも言えず、ああ、良かった余分に用意して!と胸をなでおろしたことが何度もあった。

学校内では、他の学生グループがミュージカルのリハーサル中、彼女等の美しい歌声が聞こえ、軽やかなピアノ演奏、それに加え娘のグループ、和太鼓の音色がドンドコと胸に響きつづけていた。音楽に包まれ、気分良く和やかに料理準備を楽しむことができた。

3日目メニュー日本食の前夜は、お稲荷さん、蕎麦サラダ、苺オハギの準備を娘や友達といっしょに遅くまでして体がクタクタ状態であった。腰痛も始まり頭空っぽ状態で3日目をむかえた。当日は手のあいた先生の一人プロ太鼓奏者に焼き鳥を焼いてもらい、なんとか無事終了に漕ぎつけたのだ。

最終日演奏会のあと、先生に紹介されて子供やご両親から拍手を受けたときは、安堵感と達成感が心中を走っていた。主催者からその日に来年の合宿食事準備依頼の手紙を受け取ったので、料理はきっと成功であったのであろう。

よほど緊張と疲労が溜まっていたのか、翌日から丸2日間寝込むはめになった私だが、一生の思い出に残る楽しいイースター・ホリデーであった。

お金では買えない大切なものを手に入れたような幸せに満たされた3日間であった。

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娘と映画’リオ‘3Dを堪能した夜 お子さまといっしょ映画に行ってますか?in Sydney

今週からイースター・ホリデーで2週間NSW州の学校は休みに入る。

オーストラリアの学校は1年間に4学期あり、その学期の間に2週間づつ休みが入る。(夏休みは1ヶ月半)親子共々、ちょうど疲れた頃に2週間の休みというのは、とても助かる。といっても私は働いているから自分が休みになるわけではないが、毎朝6時おきの弁当作りから解放されるだけで、妙にほっとするのである。

まわりは、海外やリゾート・ビーチ旅行に行く家族、様々なイベント行事に出掛ける親子等といろいろである。

我が家は、ホリデー中最低一日は、娘と2人で買い物か映画、または美術館めぐりをする!と決めてある。しかし今回の休みには、娘は多くのプロジェクト(宿題)を抱え、友達と出掛ける約束が多く、また来週は音楽活動の合宿が3日間と大忙しである。

そんな折り、「もう今日を逃すと行けなくなる!」と急遽二人で映画を観に出掛けることになった。

娘の選んだ映画は’リオ‘であった。

「え何これ、鳥のアニメなの?」とちょっと重い腰になったが、まあたまにはいいか!と思い映画館に向かった。

まだ娘が小さな頃、2人でポケモンの映画を観に行き、娘は大満足であったが、わたしは少々後悔した。‘トイ・ストリー’などは大人でもとても感動するのに、どうしてこれは?と深く疑問に思ったことがあった。きっと宮崎駿氏の映画なら良かったのかもしれない。

映画館に入り渡された眼鏡をみて「何この眼鏡?」

恥ずかしながら3D映画なるものを観たことがなかった私である。映画が始まる前に流れる他の映画紹介だけでも、3Dのあまりの美しさに大喜びで見入ってしまった。

日本では公開されていないかもしれないから、あまり内容にはふれないが、この’リオ‘はおススメ映画である。ぜひぜひお子様と映画館に足を運んでもらいたい!心がフワッと明るくなった。

舞台は、ミネソタ州(ほんの少し)とリオ・デ・ジャネイロ。街の景色、亜熱帯雨林、鮮やかな鳥たちがとにかく美しい。またサンバの音楽、鳥の歌や音色も楽しい。ストーリーはシンプルで、悪者と助けてくれる仲間が登場する。ちょっとハラハラするが軽快なコメディタッチで流れ、ハッピー・エンドで終わるのだ。行ったこともないのに、まるでリオに行ったような感覚になったほど。

私の小さい頃、ヨソイキに着替えて母といっしょにディズニー映画を観にいくのが、とても楽しみであった。娘にもこんな思い出を残してあげたいのだ。

だんだん生意気になってきている15歳の娘だが、まだまだ私と映画を観に行ってくれる。

13歳の誕生日に、「マム、ティーン・エイジャーになったから、もう公共の場ではマムとは手をつながないからね!」と断言したことがあった。

その時は、「あっそう!わかりました。」と知らん顔をしたが少々淋しかった。

そんな娘だが、最近また手をつないで、スクールバス乗り場までいっしょに歩いている。

いつまでわたしと手とつないでくれるのかしら?いつまで映画に誘われるのかしら?

そんなことを考えながら、一歩映画館の外にでると、薄ピンク色した夕焼けとビルの夜景が河にうつりキラキラとした光がそれは美しかった。

シドニーの秋は空気がさらに澄んでいる。こんな夜は星空がとても綺麗なのだ。

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語学習得法   知っておいたほうが良い心得のいくつか  その2

*3月11日その1からつづく

母国でない言語を学ぶ上で、苦労している人はとてつもなく多く、私もその一人である。 長く住んだからといって、その滞在年間が英語力に比例してくれればいいが、そんなオイシイ話はない。

自分の経験、また生徒を教えていく上で彼等をモルモットにして(ゴメンね)、語学習得法心得を追求していくことにした。

その1でわざと太字にした箇所は、この心得であり、また心構えでもある。 その1の太字をさらに深く掘り下げてみよう。

理由がないと始めないもの

これは語学に関わらず、人生すべてにいえることだ。 心の動機、やりたいという希望があったほうが何事もスムーズに流れていく。 

昔、日本で小、中学生に英語の家庭教師をしていた。ある生徒の父親は教育熱心で、小学6年の息子に1年間で中学3年間分の英語を叩き込むというものであった。彼はとても頭の良い子であり集中力が抜群であった。また本人がどうしても英語を学びたい!という強い意志を持っていた。これは教える側にとってはとてもやりやすい。父親との約束通り、1年間で中学3年分の英語を教え、それを息子はマスターした。ただこの時はあくまでも日本的な英語勉強法であり、会話重視ではない。つまり受験用の英語であった。

現在のシドニーの日本語勉強中の生徒3人は8月、また次回の日本訪問までにどうしても日本語を話せるようになりたい!という強い意志がある。この理由は教える側、学ぶ側、両者にとって大きく影響する。嫌いなことはつづかず無理強いはできないからだ!

良い耳が必要である (姿勢と努力)

耳というとオカシナ言い方であるが、ヒアリング能力というのは、人によって差があるのは事実である。同じ言葉を聞いてすぐに同様に発音できる人と出来ない人がいる。これは集中力の違いか?また耳の構造神経が各自異なるのか?生まれもった能力なら仕方がない。しかしどの国の幼児もヒアリング能力に関わらず、母国語を話せるようになる。それは親が繰り返し教えて、言葉を覚えていくからだ。ヒアリングの弱い人は、人一倍聞き、また他の勉強法を強化すればいいだけであり何も心配することはない。良い耳を持つ姿勢と努力が必要なだけだ。

また言語習得をスペリングや細かい文法から始めるより、各国の幼児のように音から入っていくほうが正解である。

語学に近道はない

これはいまさらわたしが言わなくても、皆様重々承知であると思われるが、やはり近道したくなる。 それでも何年かけて遠回りをしてもマスターできない人が多々いるのが普通。 近道というより、いかに要領よくコツを得た習得法を選ぶか否かにかかっているのだ。

毎日必ず聴く

これは聴くだけにかかわらず、毎日読む、使う!という事が必要となってくる。とにかくその言語に慣れるためである。

短期間で語学マスターなんて魔法はないのかもしれない

これは簡単に手短にマスターする魔法はない、ということである。 方法しだいでは短期間マスターも可能である。

ただ語学はとても深いものである。つまりどんなに会話が上手くて綺麗な英語を話せても、その人がその国の社会、文化、環境、人種をしっかりと把握していない限り、会話自体は味もそっけもないものとなる。 

これは英語を話せる=英語を理解しているという図式が成り立たないのだ。そういった意味で幅広い言語を考慮すると、短期間マスターは難しいのである。

すべてを英語環境にすること

数年前、我が家に姪がワーキング・ホリデーで来ていた。その時、我が家にいるとつい日本語がでてしまう、ということで、あるオージー家族に彼女を送った。たった2週間であったが、彼女の英語がとても上達して帰ってきた。やはり環境をその言語にするのが一番である。

英語を話す時に英語で思考する訓練をする

英語を話すときに頭の中で日本語で考えてから訳して話してはいけない!

これらは言うは易く、行うは難しである。また日本の英語教育(中、高校など)では、これは不可能に近い技のような気がする。

自分が通訳をしたての頃、異常に疲れたのは、やはり日本語と英語の切り替えであった。英語だけなら英語のみで会話したほうがとても楽であるからだ。それはきっと英語の脳しか使わず、両言語側通行にしていなからであると思われる。

これらが少しでも皆様の英語勉強の苦労を和らげていければ幸いである。

つづく

お断り:これはすべて私の体験談であり、人により、その人に合う習得課程が違うので、あくまでも参考程度に。

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契約書は事前に良く目を通すこと!正しい事は意見を主張しましょう! 留学者の心得

最近、知人に頼まれ,日本からシドニーへ留学を希望している人々の相談を受けることになった。2030代の女性が観光ビザ(3ヶ月滞在可能)でこちらの英語学校に入り英語の勉強や何かの資格を取得するというケースである。

シドニーにある英語学校の代理店が日本にあり、そこで学校紹介やホームステイ先を斡旋してくれるのである。まったく便利な世の中である。 

数年前に知人がこのシステムを使いシドニーに来た時、ある問題がもちあがった。

だから今回相談にのる人々が同じ間違いをおかさないか幾つか質問してみた。

すると似たようなことを繰り返そうとしていた。

数年前の知人の例をあげてみよう。

学校がシドニー市の中心地にあるのに、滞在先がバスで1時間以上かかる場所に位置していた。おまけにバスの本数は1時間に一本もなく、最終は夕方6時、週末はバスが運行しない。シドニーの家賃や住宅費が上昇しつづけるなか、ホームステイ先として、ゲストルームがある家はどうしても遠くなるのはわかるが、あまりにも不便すぎた。またバス停までも歩いて20分という、とんでもない場所にあった。

その時、一人はオーストラリア人家庭、一人はインド系移民家庭がホームステイ先であり、インド系家庭に滞在していた女性は、毎日インドカレーしか食卓にだされず、もうカレー漬けで胃の調子を壊していたほどであった。

二人ともまだ1ヶ月ほど学校生活が残っているが、もうこの滞在先にいるのも、また学校へ毎日時間をかけて通うのも嫌になっていた矢先、私にある友達を介して連絡があった。

「二人で一部屋でよければ家に来る?なんとかなるよ。」の一言に、二人は即「行きた~い!」と叫び、我が家でまとめて二人の面倒をみることになったのだ。この場合、先払いした滞在費は一切戻ってこなかった。これは代理店がすでに滞在先に払ってあり、返却は無理であった。

今回の日本にいる相談者達はすでに学校と滞在先を決めてありお金も納めてあった。

そして、やはり一人は滞在先が電車とバスを乗り継いで1時間かかる不便な場所にあるのを私がみつけたが、代理店も彼女も、そんな地理的なことを知るはずがない。

「我が家に来る?」「え、いいのですか?」ということになり、交通の不便さから、ホームステイを取り消ししたいと代理店に伝えると、出発前30日以内だから取り消し不可能といわれたそうだ。 それに加えて、たとえその紹介された滞在先を利用しなくてもホームステイ斡旋料(200ドル)や空港送迎料(200ドル)もすべて返却されないということであった。

食事付きで一人部屋だと一週間250ドル。それに高くて不便なバス代が加わる。

2か月分戻らないとなるとあまりにも大きな被害となる。

「毎日片道1時間なんて、大変だし、こんなに不便なこと知らなかったでしょ?、

それにまだシドニーにも到着してもいないのに、なんで空港送迎料を返却してもらえないの?こんなの変でしょ?ちゃんと代理店に話して返してもらいなさい。まだ日本を出てないし、一ヶ月も先の話なのに何が空港送迎料よ!!」

日本人生徒が何もシドニーのことを知らないと思っているのか、強気の代理店に少々腹が立ってきてきた。

しかしどの内容も契約書に記されていたようで、代理店の言い分が正しいことが判明。

それでも、とにかくこちらの言い分を主張しなさい!と相談者に押してみた。すると代理店はホームステイ費は返却してくれることになったが、斡旋料と送迎料はどうしても返却できないという結果であった。まあ、契約書をしっかり読まずしてお金を払ったのがいけないから仕方がない。

ただおかしいのは、そんな請求を当然のごとくする姿勢である。繰り返すが、まだ日本にいる学生!シドニー空港にも到着していないのに??どうして空港送迎料が返却できないのか????ホームステイ先が不便だから自分で探すといっているのに、どうして斡旋料を返却できないのか? 

こちらに来てからホームステイ先にモンクを言い、それを返せと言っているわけではない。まだ1ヶ月も先の話である。ホームステイ先がこの生徒のために他の生徒を断っていたのなら理解もできるが、斡旋をしなくてよくなった代理店が斡旋料は返却できないというのはおかしいのだ。

もう一人は違う代理店であったが、学校の寮へ入る予定を取り消したいと述べると、返却金不可能、その上、寮なのに斡旋料を取られ、空港送迎料も返却されないとのこと。

彼女にも、強くこちらの言い分をいいなさい!と連絡。彼女は寮滞在をするけど期間を減らし、また空港お迎え料金だけを徴収されるだけに話を持っていけた。残りの滞在は違う場所に行き、帰りの空港までは私が連れていくことにした。主張してみるものである。

今回、二人の相談者への忠告は、契約書をきちんと読むまではぜったいに署名やお金を払わないこと。また自分達は多額のお金を払っているお客様なのだから、少しでも腑に落ちない箇所があれば必ず質問し、一般常識から考えておかしいと思えることは主張するべき。この2点を強く説明したが、これらはきっと日本人の弱点かもしれない。

しかし彼女等が将来外国で住みたいという意思があるなら、これらはサバイバル上とても重要な事柄なのである。

こちらに来てから学校や滞在先を探したぼうが、少しは安くついたようだが、これも便利さ代を払ったようなものであるから致し方ない。

今後オーストラリアへ留学を考えていらっしゃる皆様、これらの点にはくれぐれもご注意のほど。

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15歳! あなたは将来何をしたいか決まっていましたか? シドニー高校生編 その2 

その1からつづきです。

「このWork Expereienceは大学生の後半に実施されるものとは違い、まだまだ将来どの道を進むかわからない高校生が初めて社会の現場に入り、それを体験するものである。だからその会社に行ったから、必ずその職種に就くと真剣に考える必要はない。せっかく学校から1週間解放されるのだから楽しまなければいけない。」 なるほどである。

「娘さんがプラマーに行ってみたいならさせたらいいよ。はっきりと自分の意思を持っているのはとても良いことであり、それは親として尊重するべき。ただ配管工は男性優先の職場であり、一応会社の人に合い信用できるかを調べるのが親の役目だ。」ごもっともであった。

また彼は、

「元勤めていたシドニーの法律事務所関係の知人や、いま東京で働いている某日本会社のシドニー事務所にきいてみようか。でも法律事務所は全然楽しくないよ。」と親切に言ってくれた。

その法律事務所では、彼が働いていたときに来ていた学生みんなが仕事を嫌がっていたそうだ。つまり弁護士業務が忙しすぎて困難であるから、1週間しかいない見学者的な学生にはカマっていられないのが会社側の本音であるのだ。

彼の友達のひとりは、熱気球を飛ばす会社にWork Expreienceに行き、その仕事が気に入り、就職して1年ほどそこで働いた人がいたそうだ。しかしその後、その人は別の道に進んだそうだ。

彼のこの説明はとても参考になった。親子ともども、ちょっと真剣に考えすぎていたようである。

そのあと娘と落ち着いて話し合い、何か他の職種に携わる私の友達を浮かべてみた。

会計士?ゴルファー?ラジオ局?MicrosoftPR課? すべて「NO!!」と言い張る娘。

「インテリア・デザイナーはどう?」という問いにやっと娘もにっこり!「Yes!

さっそく友達に電話をしてみた。

返事は、「じゃ、申込書送って!」と即決定。友達は数年前にやはりWorkExpreienceの高校生の世話をしたことがあり、いまではその学生がインテリア・デザイナーとして活躍しているそうだ。

これで娘の悩みは一件落着した。

いきなりプラマーになる!と言い出したときは驚いたが、きっとこれからも様々な紆余曲折を繰り返していくであろう。

親としてできることは、いつも彼女を信じて見守りながら、少し道から外れたら軌道修正することくらいだ。

子供の成長はあっという間である!

わたしを追い越す日もちかいかも。

その日を楽しみに、それまではいっしょに一歩一歩確実に歩んでいきたい。

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15歳! あなたは将来何をしたいか決まっていましたか? シドニー高校生編 その1

NSW州のハイ・スクールYear10(日本の高校1年生)になると、10月頃School Certificate(学校修了証)を取るために試験が実施され、それを取得して義務教育が終わる。 

そのあと生徒は、Year11,12のあと大学へ進学するか、高校を終え就職するか、また専門技術を学びたい若者は専門学校へとうつっていく。Year12で学年末に日本の大学共通一次試験と似たようなHSCという試験があり、その点数によりいける大学や学部が決定する。

いまYear10であるわが娘は11月にWork Expereience (仕事を経験する)できる会社を探している。しかしその受け入れ先がなかなかみつからず、それが彼女の最近の悩みであった。これは1週間のプログラムで、生徒が将来どんな仕事に就きたいか!という方向性を導きだすものであり、その期間は学校へ行かず会社に行き仕事を経験するものである。

勉強は好きではないがちゃんと宿題をこなし毎日の授業に集中しているのか、同級生の多くが塾に通いつづけるなか、娘は一度も塾に行ったことがない。それでも成績は良いので、学校のことは滅多に口をだしたことはなかった。

ところがこのWork Expereience11月に控え、どんどん受け入れ先会社が決まっていく友達に囲まれ、何十通の電子メールで連絡を取っても、思うところが決まらず、娘は焦り始めていたようだ。わたしには何も言わないから何も知らなかったのだ。

少し前に、考古学研究所のようなところから受け入れ了解の手紙をいただいたが、それはどこでもいいからと無理やり送ったメールの一社のようで、なんの興味もない考古学関係にお世話になるのは申し訳なくて辞退したようだ。

「なんで断ったの?あれにしておけば良かっのに!考古学、なんておもしろそうなの、私が行きたいわ!」と言えば、「じゃあ、マミィ行けばいいでしょ!」の一言。

第一希望は心理学者か心理カウンセラーといった職種であり、学校とともに連絡を取っていたようだが、ずっと断られていたようだ。

カウンセリングという職種自体、患者のプライバシーを守る仕事であるから、いくら経験したくても、高校生を診察室に入れるわけにはいかない。きっとこういう理由から断られても仕方がないのだと思えるのだ。

「じゃあ、何か他の仕事はどうなの?」と聞くと、「事務職は嫌だ!」と言い張る。コンピューターのグラフィック・デザイン関係が好きだから(特に任天堂ゲーム)、「CGデザイン会社は?」と聞くと、「マム、何千、何万とグラフィックの上手な人はいるのよ、そんな仕事に将来私が就けるわけないでしょ?」と言い張る。まったく難しいティーン・エイジなのだ!!

そしてやっと一通受け入れ先了解の連絡がきた。

それは同じ郊外にあるプラマー(上下水道配管工)の事務所であった。きっと彼女の頭の中で、配管工代が高い=給料が良いという単純図式、家の近所、また手先が器用となり、「マミィ、私プラマーになりたい!」と言い出したのだ。 

ええええ、我が家の家計のことを心配してくれるのは有り難いが、なんで?いきなりプラマーに? 一度言い出すと曲げない娘であったから、これはなんとかしないと!とついに口を挟むことになったのだ。

まず、いままで一度も女性の配管工に合ったことがないことから、いかに配管工が重労働であるかを説明するが、「私、マミィより力あるから。」といいだす。そういう問題ではない!まったく’ああ言えばこう言う’である。

「そんなに配管工が希望なら、もう大学行かないで、Year10で高校を終了して技術職の専門課程に進みなさい!」もうこの時は腹が立ち、2人は険悪ムードになっていた。

たまたま日本の大震災でシドニーへ一時帰国していた友達にこぼしたら、彼の経験上からの高校生の考え方と親として知っておくべき事を説明してくれることになった。

つづき

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Sydeny的土曜日午後の過ごし方 フリーマーケットで歌って踊れば一石二鳥??!!   

オーストラリアの秋は345月である。 今年のシドニーはサイクローンの被害はなかったが、異常熱波7日間連続記録に達し猛暑猛暑が続いた夏であった。 3月にはいり暦の上では秋になっても256度を越える暑い日がつづいていたが、先週末から急に気温がさがった。油断もできない、体調をくずしやすいのだ。

週末はJazz歌手である私のお師匠さんがある蚤の市で歌っていたので、それを聴きに行くことにした。 風が強い寒い日で、しまい込んであったジャケットをだしブーツを履いて出掛けた。 このマーケットは毎週開かれており、骨董品、洋服、靴、食べ物、本、CDDVDなどいろんな物が売られており、地元シドニーサイダーで賑わう庶民的な憩いの場である。

先生はJazz歌手であるが、ここマーケットで深くしんみり味わいのあるジャズは好まれないのか、どちらかというと大衆向けで誰もが口ずさむようなお馴染みナンバーを歌っていた。「どう歌う?」と聞かれたが、まだ見習いの立場だからちょっと遠慮して、バックコーラスやマラカスを振ることにした。演奏最後の曲’アロハオエ‘をウクレレ片手の彼女とギターリストにつづき、わたしはマラカスを振りハモリ?踊りながら(簡単に)マーケット内を歩き回った。「アンコール」の声が響く中、なんともすがすがしく気分爽快になり幕は閉じた。

そんな最中、「なにやってるの?」と私のファミリー・ドクターが驚いた顔で話しかけきたのだ。我が家から少し離れたマーケットであったので誰も知っている人には会わないだろうとたかをくくっていたが、ふと我にかえり少々恥ずかしくなった。

そしてドクターは、自分はウクレレを弾けるんだ!と参加したそうな雰囲気。 「それなら次回は私が歌い、ドクターはウクレレお願いします。」と冗談を交わし大笑いのひとときとなった。

そして昨日、娘が高熱、喉イタ、頭痛ということで診療所にいくことになる。

このマーケットで合ったドクターとは、娘が小さい時から8年来のおつきあいである。

いつも病気のときに合っていたから私的なことは一切話したことがなかった。

去年12月に私が扁桃腺炎をこじらせたとき、彼は2月に北海道へスキー旅行へ行く予定であり、銀座(宿泊予定)近辺や日本旅行時の注意事項を尋ねられ説明をしたことがあり、その時に初めて病気以外の会話をしたくらいであった。

娘の診療が終わるや否や、ドクターは’待ってました!‘とばかりに北海道の美しい写真を私達にみせはじめた。どうやら日本を異常に気に入ったようで、「再び日本に戻りたいから日本語が話せるようになりたい」と言い出す。「私でよければ教えますよ」と、いきなり生徒が一人増えた。

次にマーケットの話になり、ウクレレは2番目に得意な楽器であり、実は彼はギター奏者、CDを出したことがあるというプロ並みの腕前のようだ。

「僕がギターを弾くから歌いたい曲名を教えてくれ。」と言い出したのだ。

不謹慎にも診療所内で歌を歌いだす私!娘が横で、‘マムやめて!’とでも言いたそうな困惑顔をした。

これを一石二鳥とでも言うのか?(Just kidding!) 

あのマーケットで脳天気+無邪気にマラカス振って踊っていたおかげで、日本語生徒と自分の専属ギター奏者までみつけてしまった。それもこんなに近くにいた人であった。 

なんだか不思議な思いで、娘の病気のことも忘れほくそ笑んで診療所を去ったのだ。

5月はシドニーのベスト・シーズンとなる。 その頃までに歌のレパートリーを増やさないとな!と少々焦るわたしであった。

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