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2010年11月

Free RangeEggs(放し飼い鶏卵)&採れたて苺の売り子になった日曜日in Mangrove Mt.

Sydneyの中心から1時間半ほど北上した山に住んでいる友達から、人手が突然必要になったから手伝いに来てほしいと連絡がきた。 生粋のシドニー子である彼女の本職はインテリア・デザイナー。 10年前、精神分析医のご主人とシドニーの都会生活から離れ山の奥に広い敷地と家を購入して移った。 今回はその地域の農業活性化のために地元で市場(Market)を開催する手助けを彼女が始めた。 多くの農家は後継ぎがいなくなり人手不足、また異常気象、干ばつなどから経営不振に陥っている。 そんな状況を黙ってみていられず、この活性化事業の一役を彼女が買って出たようだ。

彼女のスタンドは苺と放し飼い鶏卵の売り場、またその新鮮な卵でオムレツを作って販売。 突然の招待ではあったがこんな楽しい企画にNoを言うのはもったいない。 土曜の午後、娘と電車に乗り込んで久しぶりのミニ旅行に出掛けることにした。

2時間弱で到着した彼女の家は建築関係の雑誌に出てくる、まさしくモデルハウスのような家であった。 私達は少し離れたCottage(小別荘)で泊まり、これがまた可愛い内装でBed&Breakfast(朝食付きのホテル)気分。 空気の甘さ、まわり一面ひろがる眩い緑、隣には放し飼いにされた牛たち、広い庭ではカンガルーがピョンピュン跳ねている。 シドニーから1時間半なの?!と感慨にふけってしまった。 

翌日販売するオムレツの中味の準備をした。 中味はスイス・マッシュルーム(茶色)をバターで炒め生クリームで和えた物、フェッタ・チーズ、無農薬野菜ラタテュの3種類。これに無農薬野菜サラダとサワドウ・ブレッド(パン)をつけて$7.50。 オムレツなんて家でたまにしか作ったことがないから、ちゃんと作れるかしら?と少し心配であった。 

夕食は、前菜は庭から採ってきたズッキィニーの花にフェッタ・チーズを入れた天ぷら(これは私が作った)、美味しいモロッコ風ラム(子羊)&レンテル・ビーンズ、手作りチョコレート&ナッツ・ケーキ&苺のデザートと豪華レストラン感覚。 友達の本職はデザイナーではあるが、数多くのケータリングを仕事にもしているのでお料理の腕前はプロである。 

Cottageに戻る途中、見上げると空は星で埋め尽くされていた。 こんなに満点の星空をみるのはカリフォルニアでキャンプに行ったとき以来である。 首が痛くなるほど見入ってしまった。 

日曜はユーカリの木々に囲まれた林の中でお手伝いをした。 お客さんは、昔からその地に住んでいる地元の人々、また都会から離れ自然に囲まれて住んでいる芸術家やヒッピィタイプ、ツーリングをしているライダーなど様々な人がやってきた。

心配したオムレツは作るたびになんとか上手くなっていき、お客さんは満足気で再会を約束して帰っていった。

東京とシドニーでの時間の流れる速度の違いはいつも感じていたが、ここでの時間はさらにのんびりと流れているようである。

採れたて蜂蜜、手作りケーキ、苺、放し飼い鶏卵を買い込み家路についた。 いつも綺麗と感じていたシドニーの空気がちょっと濁って感じたのは、あの山にいたからであろう。

久しぶりに心が洗われた週末であった。 たまには田舎と自然にどっぷり浸るのもいいものである。

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ホワイト・リボン・デイ 女性への暴力行為撲滅になるか?  In Sydney

ピンク・リボン・デイは乳癌への知識や早期検診受診を推進する運動であり、レッド・リボン・デイはエイズへの(HIV/AIDS)知識や認識、また患者を援助する運動である。今日初めてホワイト・リボン・デイという言葉を耳にした。

これは‘女性に対する暴力は許されるものではなく阻止しよう’という運動である。

‘オーストラリアでは3人に1人の女性はなんらかの形で脅迫、暴行、レイプ、虐待を受けたことがある。 被害者は私達の母、妻、娘、同僚、友達であり、どうしてこんな事実を放置しておくのか?‘この新聞記事はちょっとショックであった。

このキャンペーンでは、‘暴力からの保護、そして暴力に対して、その行為、黙秘、弁解を一切しないことを男性に宣誓してもらう‘というメッセージを国内中に送り、そのシンボルとして白いリボンやリストバンドをするものである。

行事を設けその資金は、家庭内暴力を受けている女性への支援、また高校でこういう暴力行為を許さないということを認識させるプログラムにあてられるようである。

幼児虐待や若者の飲酒による暴力行為も大きな問題であるオーストラリアであり、その上、3人に1人の女性がなんらかの暴行を受けているという数の多さには驚くばかりである。 

ある友達が小さな家庭内暴力を受けていることを知っている。 いつも彼女には医者に行くなり、写真を撮っておくなど証拠を残しておきなさい、また「彼がひどくなったら、いつでも逃げてきなさい。」と言っている。 現実面から考えると彼の行為は異常であるが、彼女の生活がかかっているから、無下に別れて家を出なさい、とも言えない。 こういうパターンでは、彼女はどんどん自分が悪いから彼が暴力を振るうという思いになっていく。 日々の暮らしは怯えて自分を誤魔化して生きているようだ。

彼の人間性に問題があり、彼女は決して悪いとは思えないが、夫婦のことは夫婦にしかわからないから、彼を激怒させる要因を彼女が持っていることもありえる。

しかし弱者への暴力という行為は許されてはいけないものである。 親が子供に、夫が妻に暴力を振るという行為は決して起こってはいけないものである。 肉体的打撃はもとより精神面で深い傷を与えるからだ。

このホワイト・デイにより、社会の家庭内暴力への認識が大きくなり、少しでも

多くの男性に宣誓してもらうことは大切ではある。 ただこの宣誓をわざわざしてくれる男性は、きっと最初から女性に暴力行為などをしないタイプの人々であろう。 今現在起こっている事実にはどう対処したら良いのか。 学校のいじめも同様である。 

弱肉強食は動物の世界だけではないようだ。 人として生まれた以上、もっと人らしき行為をしてほしいものである。

提供元:Southeren Highland News

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素敵な出会いは魂の肥やしに!出会いを大切にしていますか?             

11月中旬になるとシドニーのあちらこちらに紫色の絨毯がひろがる。 ジャカランダ(南米産)の大樹が明るい紫の花で満面おおわれるのである。 そしてその花びらが春の嵐とともに舞い散り路上にひろがる。 なんとも美しい光景であり、日本の桜の季節を思い出す。

最近ちょっとウキウキすることがあった。

10月日本に帰国したとき、古い友達とある神社を訪ねた。 地元の神社で若い頃は初詣、また毎年帰国の度に必ず訪ねる地である。 友達が神社の宮司さんと知り合いという縁から、今回は神社境内すべてを案内してもらい、またお茶室でお茶と和菓子をいただき、簡単な茶道の歴史や作法を教えてもらった。 茶道は娘にとり初めての体験であり、普段私が教えていない日本の美の一つである。 それに彼女が触れられとても有り難かった。

シドニーに戻り、その時いっしょに撮った写真とお礼の言葉を添えたカードを宮司さんに送ることにした。 季節の挨拶の言葉をインターネットで探し、久しぶりに持つペンに緊張。いかに普段ペンを持ってものを書いていないか!ということに今更ながら驚いた。

20年数年前、初めて編集の仕事を始めたとき、原稿用紙に鉛筆と消しゴムが必需品であった。 その後すぐにワープロ、コンピューターが出始め、最初はキイ・ボードで文章を打つという作業が慣れなくて苦労した。 もちろん今は書き直すのが面倒くさいから、コンピューターの画面を見ながら書くのが一番楽になってしまっている。

お礼の手書きカードを送った翌週すぐに宮司さんからお返事をいただいた。

彼の手紙は神社の和紙の便箋に筆で書かれた達筆なものであり、なんとも心引き締まる思いになった。

便利な世の中であるから、遠くに住む友とのやりとりはコンピューターでの電子メールや電子電話が当たり前となっている。 そんな折、この手書きの手紙交換はとても新鮮であり心がウキウキとした。 大袈裟かもしれないが、手書きの手紙には心がこもり、書く側も受け取る取る側もほっと心が温かくなる。

もう一つ嬉しかったのは彼との出会いであった。 大きな神社の宮司さんであり、きっと偉い方なのに気さくで硬い話を柔らかく、また禅の言葉も茶道の心得もわかりやすく話してくれた。 こういう素晴らしい人との出会いは魂の肥やしになる。

せちがない世の中、ストレスだらけで疲れきっている人も多いであろう。 しかしいつどこで誰と出会うかは予測できない。 心のアンテナをいつもピッと立て素敵な出会いを逃さず、それを保持することが大切であると思う。

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ピザの正式な食べ方は? 早食い競争そろそろ止めたら? 

今朝、シドニーのあるテレビ局のニュースショーであまり観たくないシーンを観た。

ホット・ドッグ早食い世界一日本人男性がピザ早食いに挑戦していた。ギネスブックの記録に挑戦!?ニューヨーク市のイベント!?まだこんな大会があるのかしら?という思いであった。

ニュースショーの司会者はピザをナイフとフォークで食べて(大会のルール)

いたのを異常に取り「イタリア人が観たらどう思う?」などと述べていた。

ここである小さな疑問が浮かんだ。ピザはどう食べるのが正式なのであろうか?

さっとインターネットで調べたら、

“ナイフとフォークといっしょに出されたら、それを使う。”

“スライス1枚をナプキンといっしょに出されたら、そのまま手で食べる。”

“レストランならナイフとフォークを使う。ラフな店なら手で食べる。”

“イタリアの伝統的な食べ方は、クラストの片方の端を親指、もう片方の端を他の指でもち、真ん中を折るようにして、尖ったほうから食べる。”

“ピザの種類による。具の柔らかいものはナイフとフォークで。”

“パスタをフォークで切って食べるのは決してしてはいけない事だが、ピザはどちらもOK.”などいろんな意見があった。

このパスタをナイフで切って食べるというのは日本人には馴染みがないかもしれないが、私はこうして食べるオージーとカナダ人を知っている。まるでお母さんが小さい子供に切って食べさせるような感じで私は好きではない。まああ、ズルズルとお蕎麦やラーメン感覚で、音を立ててパスタを食べている日本人よりはいいのだが。

私個人としては、確かに具の柔らかいピザであれば、家で食べるときでもナイフとフォークを使っているし、サラミや野菜、トマト系ならレストランでも手で食べている。美味しい物を食べるときは楽しんで食べたいから、エチケットから外れなければあまり気にせずに食べたらいいのだろう。

しかし、この記録に挑戦、話題を集める、番組の視聴率を上げるなどという大食い早食い競争的なイベントや番組はもういい加減やめたら!としみじみ思う。

帰国したとき、大食い大会やお笑い芸人がどれだけ駅弁なりデザートを食べれるか、などに挑戦する番組を観た。無理やり吐きそうになり物を押し込んで食べるという愚かな行為は観たくないのが本音である。医学的にも食べ物軽視的な観点からも不愉快としか取れないのである。

日本人の食べ物への追求心、豊富さ、贅沢さに関しては、世界で隣に並ぶ国はきっとない。日本人の食生活はあまりにも恵まれすぎていて、それが当然のことであり、飢餓で命を失う人々がいるという現実があることなど知らない人のほうが多いであろう。

4大穀物をほとんど輸入に頼っている日本の食料自給率は将来下がりはするが上昇する見込みはあるのであろうか。

こういう番組やイベントを観て笑える心理はとても心が貧しいのではないのか?

もうそろそろそれに気がつくべきではないのだろうか。

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高校生ゲイカップル? どこまで彼等の自由意志を尊重するべきなのか?in Victoria州 

社会や世間の常識とは何か違うのでは?という日常的事柄を取材調査して流している番組がある。昨夜のこれは、ちょっと十代の娘を持つ親にとっては複雑なものであった。

15歳と16歳の女子高校生2人が学期末に催される‘フォーマル’にカップルとして出席することを学校側に禁止されたという内容であった。

まず最初に、アメリカではPromenadeProm(プロム)、オーストラリアではGlad or Formal(フォーマル)と呼ばれる行事がジュニア、シニア、オーストラリアでは11年生終了時期に催される。男子生徒は‘ブッラ・タイ’、黒か白の上着に蝶ネクタイかネクタイを、女子生徒はフォーマルドレスを着ていくのがしきたりである。カップルでなくても参加はできるが、日頃打ち明けられなかった恋の告白をできる機会でもあり、この時期を待ちわびている学生も多々いる楽しい行事の一つである。

番組では、フォーマルへの出席を拒否された女子生徒2人の想いをメインに流していた。学校の校長先生へのインタビューは、「彼女等が同性愛者であるから拒否したのではなく、一人が15歳という年齢に問題があった。11年生が主体となって催されるものであり、今回これを許可すれば誰でも参加ができ終止がつかなくなる。」と述べていた。

しかしその母親へのインタビューによると、いままで年の違うカップルが参加を許されていたようであるから、やはりゲイ・カップルであるから禁止という見方のほうが強いし、またテレビ局としては話題性を高め視聴率の上昇につなげたいところであろう。

これに関するコメントをいくつかみると、

“学校よ、よくやってくれた”“こんな御ままごとを親はもっとガイドするべきであり、他の十代生徒を惑わせないで欲しい”“うちの学校でも似た問題があったが、誰かが何を正しいかを主張してくれて良いことだ”どれも学校側に賛成するものであった。

この番組を観ながら自分の高校時代のある思い出がうっすらと浮かんできた。

女子校に一年間(15歳)いた時、格好の良い素敵な?部活の先輩に憧れたことがあった。あの時のあの想いが強く社会がそれを認める風潮であれば、わたしは同性愛に走っていたのであろうか? いや、きっと違うような気がする!

勝手な自分の過去からの想像や言い方であり、同性愛者を差別しているわけではないので誤解のないようにしてもらいたいが。

どの国に住もうがどの人種であろうが、人が平等で各々にその意思を貫く権利があるのは認める。しかし15歳という年頃である彼女等がほんとうに同性愛者である!ということを決定してしまい、国内中のテレビに大きく発表してしまっていいのであろうか?

彼女は自分たちの関係や意思を拒否されたということを大きく被害者的に取っているが、 この番組出演は解決の一つにもなんにもなってはいない。 ただただ心の傷を深く掘ってしまっているように思えた。

15歳の女子生徒一人が「いままで自分の人生で自分を拒否されたことはなかった。」と述べていたが、私だって日本人であるから?女性であるから?変な日本人だから?拒否されたことなんていっぱいある。いろんな差別が世の中にはまかり通っているのである。

自由意志が大いに認められ主張できるという環境は良いことだとではある。 しかし年齢が年齢だけに、やはり大人の意見や導きが必要だったのではないのであろうか?

情報元:Current Affair

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知らなかった自分発見の旅はじまりの日   Voice Training In Sydney

今年のシドニーの春はいつもの春とちょっと違う。いつもなら9月になると甘い花の香りが漂い、いたる所でいろんな花が咲き誇り始める。しかし今年は豪雨と春一番が何度も何度も吹き荒れて、お花観賞や春らしさどころではない。そして昨日、あの大樹が真紫の花で埋め尽くされるジャカランタを見つけ、ああ、もう11月なのだ!といまさらながら時の流れのはやさに驚いていた。

時の流れる速度が年々はやくなっているような感じを受けるのは、自分が年をとったからなのだろうか?それともほんとうにはやくなっているのだろうか?

昨日、5年ぶりというか、5年前からやりたくてやりたくて仕方がなかったことを勇気をふりしぼり始めることにした。それはボイス・トレーニングのレッスンであった。

5年前にあるクラブであるシンガーと出会い一目惚れ!?をした。

彼女は女性であり、私はレズビアンではないが、彼女の歌を聴いているだけでパワーを一杯いただけるような人であり、その時から密かに、私も歌のトレーニングを受けてあんな風に歌えるようになりたい!と思いつづけていたのだ。

自分の音楽環境暦は学生時代にクラッシク音学&コーヒー専門店、JazzLiveカフェでバイトしたぐらいである。シドニーでは、なぜかピア二スト、シンフォニーオーケストラ楽団員、和太鼓奏者、琴奏者、オペラ歌手、若手音楽家育成チャリティー主催者、音楽関係ステージ・ディレクターなどと知り合う機会があり、私は奏者でもなんでもないのに、どうしてこんなに音楽関係の人がまわりにいるのかしら?といつも疑問に思っていた。

ただ音楽鑑賞が大好きだからコンサートに出かけるだけの単なる聴衆者であったのだ。

まさか自分がシンガーに??お稽古事なら娘が最優先であり時間もお金も余裕がない状態でいまにいたっていた。それに自分がステージで!人前で歌う!なんてとうてい不可能なことだ!と決めつけていたのである。

先生の家をノックした時、ついにこの時が来た!という感慨で胸が一杯であった。

娘も15歳になり、ようやく自分のことに時間を費やせるときが来たという喜びと感謝の気持ちが頭の中を駆け巡り、宙に浮いたような浮かれた感覚であった。

ステージと同様、明るく笑顔の美しい彼女が温かく迎え入れてくれ、緊張気味でレッスンが始まった。

あらかじめ歌いたい曲を選んでくるように言われていたので、大好きなコール・ポター(Cole Porter)の曲を初めに歌ってみて、その後基本的なことを教えてもらい、グランドピアノの横に立たされ彼女の伴奏と歌った。言われたとおりに歌うと、だんだん自分の声とは思えない声が出始めていた。

彼女が「美人薄命よ、私達はいそいで素早く進めていきましょう!」と言い、レッスン初日の素人である私に、「近い将来ステージで歌いましょう!」と思わぬ展開になっていった。

人前でなんて絶対に歌うのヤダ!という自分だったが、なんとかなるのかしら?という思い込みが少し消え、閉ざされていた心の窓が少し開いたような爽快な気分になった。

新しい自分を発見する旅のはじまりである。

どうなることやら、皆さんにYou Tubeでご覧いただける日を目標にかかげ、この旅をあるきだしてみますね。

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美容と健康の秘訣 恋をしましょう!  

国際結婚をしてヨーロッパに住んでいる友達とコンピューター画面でお互いの顔をみながら話す機会が久しぶりにあった。ずっと体調を崩していた彼女が妙に美しく健康的になり髪形もかえ若くなり、これは怪しい?と思い、聞いてみると案の定であった。

既婚、子持ち、44歳の彼女が突然ある男性と恋に落ちてしまったのだ。

少々興奮気味の彼女から詳細を聞くのは困難であったが、突然のこの出来事に「え、何?どうするの旦那と子供は?」こちらが少々困惑してしまった。

数年前から面識があった人と最近仕事で合う機会が増え、急激に彼の方から愛の攻撃が始まったようであった。国は言えないが、ヨーロッパ男性の攻撃は押しが強い!

長い夫婦生活が冷め気味であった彼女にしてみれば、素敵な彼からの攻撃に悪い気はしない。あっという間に舞い上がってしまったのだ。

相手は長くつきあっていた15歳年下の奥様と数年前に結婚したばかり。’7年目の浮気‘ではないが、きっと長い春のあとの結婚だったからか、倦怠期になっているのでは?と思えた。(勝手なわたしの憶測)

「ちょっと待ってよ、本気なの?単なる浮気なの?」と私の尋問に彼女は返答に困りながら、「もちろんお互いに離婚なんてしないわよ!」と言い、ニタリ顔は止まらない。

この何十年ぶりの恋ワクワク感に浸りすっかり10代の少女に戻っていた。

こうなると、わたしがどうこう言う必要もないし本人意思しだいであるから、その日の会話はそこまでとした。

しかし去年重い病気に侵され強い薬の副作用など快復に時間がかかり、仕事も思うようにできなかった彼女からは想像できない、まったくの別人であった。この恋の威力には驚くばかりである。

昔何かで読んだことがあるが、‘人が美味しいものを食べ満足したときにでるホルモンは、人が恋に落ちて幸福になるときにでるホルモンと同じである’そうだ。科学的な名前は忘れたが、このとき私は、「そうか、美味しいものを食べていれば恋してなくてもいいんだな!」と妙に安心してしまった。話はそれたが、恋をすることにより健康で若くなるのなら誰にでも恋をしましょうという奨励札でも配りたいところである。

恋をするのに年齢は関係ない。恋愛可能な状態であればどんどん恋をするべきである。

しかし未婚であろうと既婚であろうと、いつどこで誰と恋に落ちるかは予期できないものである。独身ならともかく、遊びや浮かれた気持ちで猛進していってほしいものではない。夫と子供、それを失うという危険を冒してでもいいような本物の愛以外はできたらしてほしくないものだと思う。

彼女には、「とにかく誰も傷つけないですむ方法を選んでいって。」と一言だけ告げた。

それを言ってからふと思ったが、傷つかない恋なんて果たしてあるのだろうか?

健康で元気になった友の顔をみれたのはとても嬉しかったが、理由が理由だけにどうしたものか?と考え込むわたしであった。

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