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2010年9月

しばしのお休みです! sydneyshizuko

このブログを書き始めて1年が過ぎました。

毎日訪れてくれている人々がいる、またこのブログをブックマークにして直接入力して読んでくださっている人々がいるのは、誠に嬉しいことであります。

感謝の気持ちで一杯です。

今日は私の誕生日、また明日、日本へ帰国という楽しく嬉しいおもちゃ箱が詰まったような感慨にふけっております。

15年ほど前、ロサンゼルスである東京の雑誌の仕事の依頼を受け、通訳兼ライターとして仕事をしました。無事仕事を終えラフ原稿の状態までは問題はなかったのですが、最終原稿を送った際に出版社の取材陣だった男性から冷たい言葉をいただきました。

もちろん自分が未熟であったのです。

それ以来編集、また物を書くという仕事に戻れず、その後ずっとペンを持つことができずにいました。

去年何を思い立ったのか、突然このブログを書き始めました。

動機の理由は、‘日本人の知らない海外体験を多くの人に伝えたい’‘シドニーというと、ハーバーブリッジとオペラハウスしか知らない日本人にシドニーの魅力を伝えたい’というものでした。

まだまだ未熟で一人よがりの内容も多々ありますが、これからもどうかよろしくお願いします!

Sydneyshizuko

PS 3週間ほどお休みします

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シドニー的近所つきあい事情  その2

我が家の英国風古い煉瓦長屋(2階建て6軒がくっついている)の玄関を出たところに小さな箱庭のスペースがある。建物管理組合の庭メンテナンスの範囲にはいるはずだが、予算もなくオーナーは知らぬふり、荒れ放題に荒れている。従って各々勝手に好きな草花を植えたり、もしくは雑草がボウボウしている状態であった。

我が家は、干害による水制限もあったことから、あまり水をあげなくてもすむ多肉植物、‘金のなる木’やゼラニウムなどを植えてあった。この箱庭はちょうどキッチンで洗い物をしているときに見渡せるようになっているので、緑にあふれ綺麗に花も咲き、わたしはおおいに満足であった。

しかしこの新しい隣人はいままで自分の庭を持ったことがなかったようで、この箱庭に大喜び。裏にも小さな庭がありBBG(バーベキュー)コンロを置き、花を植え、いろんな鉢を買ってきて、「ここにこれを植えて、こうやって刈って」と夢に満ち満ちていた。

この箱庭は我が家と隣の箱庭がくっついているので、彼女は私の敷地をいっしょに綺麗に飾りたいと言いつづけ、顔を合わすたびに連呼し始めた。私は「今、庭作業に割く時間がないから、気にしないで自分の庭だけ綺麗にして」と何度も言ったが、彼女は無視。

「鉢植えの苗を買ってきて用意したから、あなたの植物は捨てて綺麗にしよう」と言い出した。もうどうでもいいという感じになり、‘金のなる木’だけは捨てないでと言って仕事に出た。特別に‘金のなる木’が好きではなかったが、何年もそこにいて随分成長してくれたし、今年は珍しく花が咲いたのだ。それを抜いて捨てるという気にはならなかったのだ。

その日、家に戻ると金のなる木以外すべての多肉植物は捨てられ、きれいに土を耕されていた。ちょっと驚いたが、これで彼女が幸福になるのならとそのまま様子をみることにした。

しかし今度は箱庭以外に横に並べてあった私の鉢植えにまで口を出す始末。あまり元気でなかった私の鉢植えの土を全部かえて肥料をあげる!というのだ。言っていることに間違いはなかった。ただ自分が怠けて手入れをしなでいただけだからだ。この案をずっと伸ばしていたが、昨日ついに2人で鉢植え綺麗作戦を開始した。そしてすべてが終わった後、彼女がポロリと一言。

「これで大丈夫ね、私の大事な高いお花達がナメクジに食べられるのは嫌だから!」

ナメクジがウヨウヨいた我が家の箱庭をほっておけば、彼女の箱庭の大切な草花が食べられてしまうのだ。だから彼女は必死になって我が家の庭を掘り、鉢植えにまで肥料やらナメクジ殺虫剤を撒いたのだ。これが本音であった。

さすがにこの時は、彼女の人間性がすべて見えたようで嫌悪感となった。

そして今朝もっとショックなことがあったのだ。綺麗に耕された箱庭を近所の猫がトイレに使い、私の大事な?‘金のなる木’が倒れていたのだ。彼女が「この木をもっと小さく切ろう!」って言っていたのを、「私がするから!」と止めたばかりなのに。

隣人だからもめたくない、角を立てたくないからおとなしくしていたが、もうそろそろ何かを言わなければいけないな!と感じた。人の親切やお節介は有り難いが、それがその人の打算である、というのがみえると、あまり良い気はしない。

まったく近所つきあいは難しい。カリフォルニア的、挨拶のみというほうが楽なのかもしれない。

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Sydney的近所つきあい事情 その1

シドニーでのアパートや借家の隣近所とのつきあいは、カリフォルニアに居た時と比べて多いほうだと思う。(自分の経験談)カリフォルニアでは挨拶をするかしないか程度で、いったいどんな人が隣りに住んでいたのかほとんど覚えていないからだ。

10数年前にオーストラリアに移住してから3軒の家に住んでいる。最初はシドニー中心地から40分ほど西に入った郊外で日本人はほとんど見かけなかった。庭の広い1軒屋でお気に入りの暖炉のある家を借りた。隣は老夫婦、どこで薪を買ったらいいかを教えてもらったり、娘の人形の洋服を作ってくれたり、クッキーを焼いて持っていったり、ほど良い関係であった。

2軒目はシドニー中心地から1時間半ほど離れた田舎街、これまた大きな庭の大きな1軒屋を借りた。ここの隣は最悪の人であった。引越ししてまもなく顔をみたので挨拶したが、見事に無視された。これは私が日本人だからか、旦那がアメリカ人だったことなのからか?理由はわからなかった。でもまわりのオージー達とは頻繁にパーティをしていたから、人種差別であったのは明白である。同じドライブウエイを使用して、それぞれの家のガレージに入るというつくりになっていた。そのドライブウエイを娘と歩いていると、クラクションをならしてすごい勢いで車で突入してきたり、家具を運んでいると、「ドライブウエイに傷をつけるな!」と怒鳴ってきたり、夏場は夜中2時まで庭で音楽をガンガン鳴らして、嫌がらせは頻繁であった。

一度ドライブウエイであまりにも危なかったので話しに言ったが、「そんなとこを歩いているほうが悪い」で終わった。悔しい思いをしたが、相手にしても仕方が無い人間達と判断してひたすら耐えた。オーストラリアでは珍しいタイプと見受けた。

3軒目はシドニー中心から15分くらいの2階建て英国風長屋(6軒くっついている)に引越した。右隣は中年女性友達同士2人が住んでいて、気さくにつきあい始めたが、左隣はちょっと変?な若い女性2人カップルが住んでいた。駐車場で間違えて彼女等の場所に停めてしまいモンクを言いにやってきた、それが最初の挨拶となった。知らなかったとひたすら謝ったが、運悪くまた違う知人がそこに停めてしまい、その時は激怒。駐車場???ごとき、他にもスペースがあるのに!とも思ったが謝るしかなかった。そしてその後、何かといろんなことにモンクを言ってきた。

ある夜遅くまで飲んで騒いでいた彼女等は、翌朝、掃除機をかけている我が家のドアをノックしてきて、「朝10時前は掃除機をかけるな!」と言ってきた。そんなの契約書にも載っていない!この時は、昨夜のあの騒ぎでうちは迷惑した、と告げたが無視であった。我が家だけに否があるわけではないのだ。こんなくっついた建物だからお互い様ではないだろうか?

もめたくなかったからずっといろんなことを我慢していたが、夜中にバルコニーで洗濯物を干し騒いでいた日がつづいたので、話しに行くと。「わたしは夜勤の仕事をしているから、夜音を立てるのは仕方ない、あなたに言われて自分の生活を変える気もないし、そんな必要はない。」であった。

目が点であった。この場合は人種差別ではなく、人間的な道徳観や一般常識レベルの違いである。他人を思いやれないような自己中心的な人々なのだ。こういう人間はどこの国にもいる。いかにそれらに邪魔されず自分が快適に生きていくかが大切なサバイバルなのだ。

その後、パキスタンの親子とその友達が引っ越してきたが挨拶のみの関係だった。毎日カレーのいいニオイがしてきていたので、なんとかレシピを聞こう!と思っていたが、ある日突然、夜逃げのようにして彼等はいなくなった。しかし前回の同性愛カップルと比べたら平和で静かで、とても快適であった。

そして1ヶ月ほど前にオージー母子家庭親子が移ってきた。アメリカに長く住んでいたお母さんとアメリカ生まれの娘はうちの娘と同じ年、私達と歩いてきた人生の経路が似ていたことからすぐに親しくなった。しかし、自分のことしか話さず、話し出すと止まらないタイプの女性であったので、あまり急接近しないように線を引いてつきあうことにした。

そんなある日。

つづく

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愛を買った日本人留学生の顛末!    海外留学生事情 その2 in California

ちょっと大袈裟な見出しになってしまったが海外歴が長いといろんなタイプの日本人と遭遇する。同国からきた仲間のような感覚で、困っている日本人にあうと、ほってはおけず、つい相談にのる。これはある一人の女性留学生の話しである。

何年か前、カリフォルニアにいたとき、ある年上の日本人女性とクラスで同じになった。どこか物静かで学校ではあまり話したこともなく、きっと駐在員の奥様が勉強しにきているのだろう、と思う程度であった。

なんとなく連絡先を交換して数週間した頃、彼女から泣いて電話がかかってきた。尋常ではなかったから、良かったら家に来て話してみる?と聞いたところ、彼女は数分で我が家にやってきた。事情を聞くと、つきあって同棲していた彼に新しく彼女ができ、関係がこじれて別れることになった。どうやら暴力も受けていた上に多額のお金を貸していたようだ。彼女はその怒り悔しさ、そして何よりもそのお金が心配であった。

日本である大手企業に勤めていた彼女は、やり手のセールスレディであった。セールスの仕事に明け暮れ、高級新車を乗りまわし、マンションも自分で購入した後、40代になった時にこのままでは?と一念発起してアメリカに留学することを決めたのだ。日本の社会でただひたすら働き続けてきた彼女にとって、初めて訪れたカリフォルニアはきっと天国であったであろう。社会の重圧もなく、年齢を忘れさせてくれる。みるもの聞くものすべてが楽しく、第二の人生を謳歌していた矢先にその彼と出会った。話の感じから予想すると、20歳くらい年下の男性から甘い声をかけられ、付きあい始めいっしょに暮らし、お金を使い果たしたようである。

しかし話をよくよくきいているとすべてが彼女本位であることにきがつく。

「私は本気で愛していた。だから彼に尽くしてきたのに、それを裏切られた。」

40代の女性が20代の若い男性と付き合う。その関係がよほどソウルメイトか特別なものでない限り、騙されていたり、お金狙いという方向に考えられなかったのか?暴力を受けてまで、どうしてそんな男性といっしょにいたのか。彼女にしてみれば映画スターのような若い彼と幸せな時間は大いにあったのだから、その代償を払ったと思えばいいのにと思えた。悲しいけど、愛の幻想をお金で買っただけなのである。

話を聞いていても単なる彼女の愚痴で終わり、私からの助言もなにもなかったので、その場は彼女を落ち着かせて、もうそんな彼のことは一日も早く忘れて、学業なり、ここに来ている目的に専念したら?というのが、私の答えであった。その後数回会ったが、私は同じ答えを彼女に繰り返すだけであった。

ところが数週間後に‘警察に捕まった’と彼女から連絡があった。彼女が彼の居場所を突き止め、押し入り喧嘩を始め、大暴れをして警察が呼ばれて捕まったのだ。

もうこの時は言葉もない。数千ドルのお金!そして彼女の意地と屈辱が逮捕に至ったのだ。ここまでくると哀れなものだ。墓穴を掘っているだけなのだから。

その後、友達の弁護士を紹介してあげ、全額は無理であったがいくらかのお金を返してもらったようだ。

日本で仕事一筋に生き、裕福な暮らしをしてきた彼女であるが、それが彼女の人生にとっての幸福ではなかった。一時でも素敵な恋愛をしてカリフォルニアの生活を満喫した。残念ながらそれが泡粒のように消えてしまったが、もっと違った生き方や男性を選んでいたら素敵な家庭が築けていたのかもしれない。

日本人女性はNoとはっきり言えない、また日本男性とは違ったアメリカ男性の女性の扱いを誤解して取りがちである。もちろん言葉の壁と育った環境の違いはとても大きい。レイプされたり事件に巻き込まれなかっただけでも、彼女のケースは幸いであったが、きっと彼女はそういう風に考えてはいなかったであろう。あくまでも彼女は自分が被害者なのだ。

留学して海外を体験、見聞する。そんな素晴らしい機会に恵まれたのだから、留学生はそれを良い方向へと導いて欲しいと願うばかりであった。

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彼女が輝いた夜!  日本人学生事情 1 ‘When in sydney (Do as the Sydneysiders do)!

Sydneyには様々な日本人が住んでいる。ヴィザで区別すると、オーストラリア国籍を所持している人と結婚している国際結婚組、ビジネス・ヴィザ組、仕事や就学により永住権のポイントを獲得して永住権を取得した組、ワーキング・ホリデーで着ている若者(30歳以下)、学生ビザで勉強に専念している学生組となる。

私の住んでいる郊外はオージーのミドルクラス、子持ち若い夫婦共働きなどが多い地区なので、日本人とあうことは少いが、娘の学校やお稽古事の関係で日本人と出逢うこともある。それなりに海外経験が長いおかげで、私流海外サバイバル方を培ってきており、若い学生や国際結婚組の悩み相談などを受けることも多々ある。

昨夜はそんな一人のある飛躍をみて心が晴れ晴れしくなった。

1年ほど前に、娘のコンサート会場で彼女と出会った。学生ビザでここに滞在していた彼女は大学内での人間関係、レント(借家)の揉め事、ボーイフレンドとの諍い、とにかくあらゆる問題を山ほどしょっていた。心身ともに病気になり、学校も休学する始末。

困っている人をみるとほっておけない性格、またなんとか彼女を正しい軌道に導いてあげたいと感じた。体験上、いろんなアドバイスをしてあげても、それを聞かない人もたくさんいた。そういうタイプにはある程度接して、本人が変る気がなければ、それ以上は何も言わないことにしている。彼女の場合は、本人が現状況を変えなければいけないことをわかりきっていた。そうなると、いかにわたしのアドバイスを理解して、それを受け入れ、彼女自身が変ることであった。これが難しいのだが!

彼女の問題点の一つとして、やはり英語の理解力とオーストラリア文化を知らない、ということが大きいように感じた。英語を‘会話程度話せると‘英語を理解している’というのには違いがある。また‘郷に入っては郷に従え’ ’When in Roma(Do as the Romans do)’を肝に銘じる必要がある。なにもオージーの真似をしろと言っているのではない。この国に住み勉強をするのを決めてきた以上は、それを貫かねばいけない。よく外国にいる日本人から聞く言葉で、「これが日本だったらこうはしないよね。」というもの。日本ではこうだったから、ああだったからは一切通用しないのだ。大学側の対処が悪い遅い、教授が理不尽なことを言ってこようが、この国の大学を選んで勉強しているわけだから、それに不満や不平を並べ反抗するのは無駄な抵抗なのである。          

彼女に叱咤激励を繰り返し、そして昨夜はその学生によるコンサート(音楽大学)があった。指揮者がリハーサルを土壇場でキャンセルしたり、構内のピアノを思うように使用させてもらえないなどいろいろあったが、これを嫌がらせとかいじめ的に解釈していた彼女を何度も説得しつづけた。

‘山ほど試練を与えられて、あなたは素晴らしい環境にいるのよ!今夜は大和魂をみせてやりなさい!’

そして彼女は輝くようにピアノを弾いた。最後に意地悪な(彼女いわく)指揮者は、彼女に立つように示し、拍手を送り、聴衆からも喝采を浴びた。コンサート後、作曲者が近い将来、彼女のためにピアノソロを作ってくれると約束してくれた。

小さな一歩であったが彼女の勝利であった。そしてこれが彼女の人生の進路を大きく変えていくことを願う。

コンサート会場を出ると、春一番?嵐のような強風であった。澄み切った空気、ハーバーブリッジとオペラハウスの美しい夜景を横目に、私と彼女は将来のコンサート計画話しに興奮気味で寒さも忘れ歩きつづけたのだ。

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和太鼓とジャズ! 意外な協演に酔いしれた夜 音楽に国境はない in Sydney

いつもならコンサートは娘と2人で出かけるのだが、昨夜は友達と出かけた。というのも、ある大学構内にあるバー(Bar)で開催され(アルコール販売あり)18歳未満は入場できなかったのだ。内容がいかがわしいわけではないので誤解のないように。

コンサートは和太鼓Duo(2人組み奏者)とサックス、ギター、ドラム、打楽器、キイボード、バスとの協演であり、題して和太鼓の現代スタイル。娘の先生が演奏し、なんといっても大好きな和太鼓であるので数週間前から楽しみにしていたコンサートであった。

日本の修行旅行から帰国したばかりの先生陣による鬼剣舞は力強い迫力があり、ここはシドニーのバー?なんて、ちょっと日本を垣間見るような感じであった。それを皮切りに和太鼓とジャズのコラボがつづく。

意外だったのはドラムセットと太鼓という打楽器同士の演奏である。決して太鼓のパワーがドラムをけしてしまうことなく、ドラムの絶頂音と同時に響く大太鼓のドシ~ンがなんとも胸に響くのだ。和太鼓はサックスフォーンともギターともすごく合う。琴や尺八との協演なら多くあるであろうが、今回のこの組み合わせは私にとってはとてもユニーク。

日本の太鼓の道とは少し路線が違うが、この意外性が新鮮であり、1時間半はあっというまに過ぎてしまった。

最後に、キイボード演奏者が作詞作曲した曲をパワフルなシンガーが歌いだした。和太鼓、ジャズ、レゲエ調のシンガー、この組み合わせなのに違和感ゼロ。新しい音楽ジャンル開拓のようであった。このシンガーのダンスと手拍子の誘導で聴衆は一つになった。

そしてアンコールは太鼓奏者2人のみの本格派和太鼓演奏。日本の音がシドニー・サイダー(シドニー地元民)の胸に響いたとき、なんとも嬉しくなった。これぞ日本の美、奏者も聴衆もみんなオージーなのに、それを奏で、受け入れ感動にひたる。音楽に国境はない。

私にとって音楽は幸福、余暇、逃避(ストレス解消)瞑想であり、おおいに人生に貢献してくれている。音楽無しの生活は考えられない。

朝から大雨、強風と、春の嵐のシドニーであったが、コンサート会場を出たときは満点の星空であった。レンガ造りの古い大学構内を歩きつつ、ニコニコしながら心一杯Happyになり家路についた。

Live House 3 TaikOz Duo

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クカバラ・ソングの歌詞変更!? 非難を浴びる学校?!in Melbourne

オーストラリアの子供なら誰でも学校で歌っている75年の歴史あるクカバラ(笑いカワセミ)の歌がある。メルボルンのある小学校で歌詞の一部に問題があるとして、校長先生がそれを変更した。その話を今朝のニュースで取り上げていた。

Kookaburra sits on the old gum tree,

Merry merry king of the bush is he.

Laugh, Kookaburra, laugh, kookaburra,

Gay your life must be!

これが歌詞である。校長先生は(音楽の先生でもある)最後のGayという単語をFunという単語に変えることにした。

校長先生は

「これを変えたとき、こんなに反響や非難を浴びることは予想していなかった。ただ現在の社会におけるゲイという単語から子供同士が歌うたびに笑ったり、からかったり、いじめにまでいたる。それなら同じ意味の単語のファンにしよう!と決めただけである。」

ゲイ・レズビアン(同性愛者)団体、曲の著作権所持者、報道陣から殺到している非難に校長先生は困惑していた。

Gay(ゲイ)という単語の意味は快活な陽気な楽しげなという意味がある。

日本の辞書には‘同性愛’(形容詞)、’同性愛者‘(名詞)、そして古めかしい表現として’陽気な、快活な‘とあった。

きっと今の子供はゲイと聞けば同性愛者の意味しかしらないのであろう。

ニュースでは‘今後、同性愛を冗談やからかいにせず、それをしっかりと教育していくのが一つの対処方ではないのか?’と助言していた。

校長先生が朝の番組のキャスターといっしょにクカバラ・ソングを最後に歌わされていたが、なんとも滑稽で哀れであった。きっと校長先生はこんなに事態が大きくなるとは予想していなかったし、うちの学校だけこの歌を歌うときにこうしよう!という安易な発想であったのではないのか。確かに安易過ぎたかもしれないが!

1週間前は、ある高校で化学の先生が‘自分がテロリストと仮定して、どの化学薬品をどう使用したら一度に多くの無実のオーストラリア人の命を失うことができるか’という宿題をだした。その高校の校長先生はその内容を聞き、すぐ宿題を取りやめにしたが大きな波紋を呼ぶことになった。

2002年、バリで起きたテロリスト爆破事件では88人のオーストラリア人の命が失われている。遺族や生存者はそんな宿題を出す学校に怒りをあらわしていた。

ある新聞では、学校側の言い分として‘普段は頭脳明晰で優秀な先生であるけど、間違いをおかしただけだ。’というのを読み、首をひねってしまった。宿題の内容は‘攻撃のベストタイムや攻撃に値する被害者の選択方の説明、攻撃がどのように人体に影響するか’こんな課題をだすという先生の精神の異常をわたしは懸念してしまう。それに子供の心理を考えるとあまりにも残虐である。まちがいではすまないことではないのか?

いろんな先生がいる。もっともっと平和に正しい教育方向へと子供を導いてもらいたいものだ。

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