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2010年7月

オーストラリア(NSW州)における教育の利点と将来への心配 その1

この内容はすべて自分の子育て体験からよるものであり、NSW州在住からの視点であり他州の事情は異なる場合がある。また公立に焦点を当てており、私立、キリスト系、ユダヤ系など宗教系の学校事情はあまり知らないのでその点はご了承していただきたい。

公立学校制度、小学校はKindy5歳(Kindergarten日本の幼稚園の年長)から始まりYear6(6年生)で終わる。一般に小学校では基本的な学科、芸術、音楽、劇、討論、社会問題、体育。またグループの協調性と共に個人を主張することを学ぶ。この国に来て最初に感じたのは子供が子供らしい。目がキラキラと輝き自由奔放である。先生は躾はするが厳しく叱ることはない。褒める教育をモットーとし、たとえば空の色を真っ赤に描いた子供がいても決して否定や訂正はしない。一般概念を押し付けず、個性を伸ばすことを大切にしている。

移民の国であるから、ほとんどの小学校にはESL(English as a second language英語を母国語にしない生徒)クラスがあり、その専門の先生やアシスタントがいる。一般に先生はクラス内の底辺を持ち上げるのに力を入れている。従って、勉強のできる子や高度な教育を与えたい親にしてみれば、すこし物足らない状況も現れてくる。そこで一般家庭向けに、ある良い制度がある。ここで一般家庭と述べたのは、多額のお金を払えば良い私立小学校に子供を入れ教育をしっかりと与えることができるから、それに属さない家庭対象である。

良い制度とは、小学校4年生でOCクラス(Opportunity Class:一部の公立小学校5,6年生徒用特別クラス)に入る試験を受けることができる。この試験は強制ではなく、もっと勉強を重視したい生徒が特別OC クラスに入れる機会を与えるためにある。

まずこのOCクラスに入るために教育熱心な親は子供を3、4年生で塾(Coatching School)に入れる。この塾がスパルタ的であり、ほとんど塾に通う子供はアジア系である。そしてOCクラスに合格しても、今度はこのクラスについていくため、またその後の選抜高校に入るために塾通いをつづけるのである。娘はOCクラスに運良く合格したが、彼女のクラスメイトはほとんど塾生徒であった。聞くところによると、平日は学校の後、毎日3時間、週末は最低1日5,6時間は塾で勉強しているそうだ。これなら10週間(1学期)800ドル~という授業料もうなづける。しかし小学校の低学年から塾通いをしている子供はどのように育っていくのであろうか?

このOCクラスは公立小学校10校に1校くらいの割合で(地域によるが)設立されている。このクラスの生徒数は30人。一般小学校の生徒数が一クラス20数人程度であったから少し大目の数である。男女の割合は毎年かわるが、娘の学年は男子20人女子10人であった。女子10人のうちオーストラリア人1人、イギリス系1人、中国系7人、娘(日本&アメリカ系)が1人。男子20人のうちオージー1人、インド系1人、中国系18人。この数から一目瞭然であるが、圧倒的に中国系の生徒が多い。学習レベルはとても高く、宿題の量やクラスの内容は前にいた一般小学校に比べ大きく違った。これでさらに普通の小学校の生徒とは差がつくわけである。

このクラスに対して、公立でも素晴らしいクラスがあるんだ!という思いと、疑問点が浮かんだ。同級生達は勉強に集中ばかりしていて友達同士で遊べない。またこんなに緑の芝生グランドがあちらこちらにあるシドニーで走り回ることすらできない子供がいっぱいいるのだ。気候と環境に恵まれた国だからこそできることが山ほどある。それを子供に味合わせられないのならなぜこの国にいるのであろうか?

日本人の教育熱心な親もきっとたくさんいるだろうが、この中国系の親たちは強力である。子供の意思はまったく無視、子供の将来は弁護士か医者としか考えていないのだ。

これに比べオーストラリアの親達は勉強も大切だがスポーツや音楽をとても重視する。サッカー、水泳、ネットボール、クリケット、フットボール、季節に応じていろんなスポーツ・チームに所属させ週末はどのグランドも物凄い数の子供と親が集まる。また小学校のブラスバンドやオーケストラに所属させたり、個人で楽器を習得させている。

我が家はどちらかというとオージーよりであった。塾通いなんてとんでもない、娘はサッカーとブラウニー(ガールスカウト)を小学2年生から、サックスフォーンを3年生から始めた。

音楽や芸術にふれ、子供同士のスポーツや遊び、おしゃべりなどが子供の心の成長に必要であり、肥やしであると信じている。毎日塾に通って、どうやって社会性を身につけていくのか? 塾通いと勉強にしか時間を費やしていない子供が大人になったら、どんな医者や弁護士になるのであろう?

将来が心配なシドニーである。

つづき

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怪しい日本食、寿司ショップがひろがるシドニー

昨夜、用事があり出かけることになり大きなショッピングセンターのフード・コートにある日本食店で夕食をとった。 他の郊外のショッピングセンターで同名の店をみたことがあるのでこの店はフランチャイズであった。日本料理店を名乗り,巻き寿司、天ぷら、お弁当などを売っている。

このシドニーにおける日本食店だが、オーナーまたは料理人が日本人でなくても日本食を扱っている店が多い。ほとんどがそれなりにちゃんとした日本食っぽい料理をだしているが、なかにはちょっと待ってこれはないよね、という料理を平気でだして高いお金を取っている店もある。

昨夜は冷たい味噌汁を平気でだしてきたので、’私は日本人よ、お味噌汁は沸騰させないと、日本食というからにはちゃんと日本食にしてよ!‘と心の中で思いつつ、「これ温めてください。」と笑顔でお願いした。よくあるケースはお寿司なのにお酢の味がせず、まったくの白いご飯に巻いている。また冷ます時間がなかったのか、熱いご飯に生の鮭を巻いてあったときがあった。これ時間がたっても大丈夫?衛生上ちょっと心配になった。数ヶ月前にある寿司店の寿司を食べたお客さんが食中毒をおこし、テレビで騒がれたことがあったのもうなづける。また値段が上がって随分大きな巻き寿司だな!って思っていたら、なんとお米の量だけを増やし、真ん中の具はそのままであり、食べていくうちにご飯だけになりしっぽは何も無い、お結び巻きであった。これをオージーが始めて食べたら、「なんだ日本人は米好きだな!」で終わるであろう。

こういう店のオーナーは韓国系の人が多い。店員のたどたどしい怪しい日本語ですぐわかるのだ。それにビビンバや緑のワカメサラダ(ゴマ油風味)なども堂々とお弁当といっしょに並んでいるのだ。それならいっそのことコリアン料理店を名乗り、日本食もやってますよ!という風にしたほうがよほど粋で正直である。

去年ある記事でコリアン料理がカリフォルニア州で大ブームとなり、コリアンBBQ(バーベキュー)ピザが登場とあった。コリアン料理の美味しさは世界に誇れる一品である、なにも日本食を無理やり作り、それっぽく努力する必要も無いのに!と思う。それか、日本食です!といいたいのなら、お願いだから日本食に忠実に作ってね!といいたい。小さな海老に衣を3倍くらいつけて天丼!と出すより、キムチ巻きでも作ってくれた方がとても嬉しくなるのだ。

しかしこのシドニーにおける日本食ブームは長いことつづきどんどんひろがっている。どこにいっても必ずあるピザ、ハンバーガー、カバブ(中近東の巻物)と同等に巻き寿司店は肩を並べている。もちろん日本で数十年修行したという素晴らしいコリアンシェフの日本料理店も知っているので、この内容の店はごく一部であることを望むが。

あるカフェで寿司ブレッキー(朝食のことをブレッキーと呼ぶ)なるものを発見。人気のあるオージーブレックファーストは目玉焼き、ベーコン、豆、ソーセージ、トマトとマッシュルームのソテーとトーストのセットであるが、ここにも日本食が進出してきたわけだ。写真で見ただけだが、目玉焼きとベーコンが寿司で巻いてあり、横に椎茸のソテーが添えてあった。これ卵焼きなら美味しいよね、って思ったけど、ちょっと試す気にはならない。

世界各国の料理を本場そのままの味で食べることが可能であるのがシドニーの良いところであったのに、日本食ブームの影響なのか、ちょっと怪しい店も増えつつある。よ~く吟味して店を選ばないといけない時勢なのだ。

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‘一期一会’素晴らしい人との出会いは人生のエッセンス 

先週3日間、娘が所属する音楽グループの強化合宿(日帰り)に参加した。 オーストラリアでは子供のオーケストラやブラスバンドなど(学校および市や郊外の団体)に所属していると、数日のミュージック・キャンプ(泊まり)が学校の休み中に催される。楽器の強化演奏練習、またいっしょに時間を過ごし寝食をともにすることにより、グループの協調性をより高めるという意図があるのであろう。日本の毎日の部活練習をキャンプ化することにより時間を凝縮したものである。

朝8時半の体操、ストレッチから始まり、5時までびっしりとスケジュールが組み込まれ子供達も思う存分楽しむことができる。今回のグループは12歳から18歳ということで、親の監視と食事の手伝いなどボランティアを探していた。仕事のあいた時間を見計らいできるだけ手伝うことにした。

オーストラリアに来て知ったのだが、保育所、幼稚園から小高校までモーニング・ティ(リセス)が必ずある。日本でいうおやつの時間が学校であるのだ。そしてこの合宿では食べごろの男子が多く、また練習もハードであったのでモーニング・ティ、ランチ、アフタヌーン・ティと用意しなければならなかった。

農家から直接仕入れてきた林檎、バナナ、ミカン、手作りのケーキ、クッキー、デザート、無農薬ランチ、ベジタリアン用と一般用、素晴らしく栄養面を考慮したメニュー。このケーター(食事手配)をしてくれた女性の息子さんは、昔この音楽グループの生徒であり、今ではこの音楽グループのコンサートのステージオーガナイザーをしている。その縁で彼女はボランティアをかってでて3日間の食事をすべて用意してくれたのだ。長いこと若い音楽家を助けるチャリティーランチ会や夕食会などを自宅で催しているからお料理の腕前はプロである。

彼女の本業はプロのインテリアデザイナーであり、また事故で片腕をなくしている。彼女の心のこもったお料理と子供への愛情、温かな精神には感動するものがあった。 親御さんで手伝いにきたのはわたしともう一人の母親だけであった。

自分は3日間ボランティアをする予定ではなかったが、彼女をどうしても手伝いたくて毎日顔をだすことにした。片腕でどうやって玉ねぎを剥いて、野菜を切ってこんなに美味しいチリコンカーン(豆と野菜のトマト味スープ)を作ったのであろう。それを想像しただけで胸が熱くなる思いであったからだ。

この女性との出会いがこの合宿ヘルパーとして一番の宝となった。3日間音楽にひたり、いろんなお料理の話をして楽しい時間を彼女と過ごせたからだ。そしてちかい将来日本の音楽家を集めてチャリティー演奏会を開く約束をして彼女と別れた。

合宿最後の日に3日間の成果をかね親への発表会を子供たちが開いた。いつもの週に1回のクラスでは滅多に喋らないのに、いつのまにか打ち解けてみんなが一丸となって仲良くなっていくのをみるのはとても嬉しかった。もちろん発表会は大成功に終わった。そしてすでに子供達は次回の合宿を心待ちにしている。 

たくさんの子供と音楽、美味しい料理に囲まれ笑って和やかな日々を過ごし、心が100%満たされた時を過ごした。家にもどってもその興奮が冷めずいつまでも娘と笑み満々で話しに花が咲いた。この貴重な時間をもてたこと、また人との出会いに感謝である。

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はかない命を大切に生きることを忘れないで!  in Sydney

‘人の命のはかなさ’というのは、まわりの誰かを突然亡くしたり、重病に侵されない限りすっかり忘れてしまっていることである。

高校を卒業して‘あと数ヶ月したら空軍に入隊しダーウインに向かう’と意気込んでいた近所の息子さんが突然亡くなった。初期症状は胸の痛みであり、近辺のメディカル・センターを数軒まわっても原因がわからず、大きな緊急病院に行った時は手遅れであり、その夜亡くなったそうだ。家族の悲しみは見ていられないものであり、18歳で元気だった彼からは想像もできない出来事であった。

去年8月、娘が風邪かと思っていたら実は肺炎であり、その時は、いつもと違う?何かおかしいな?と思い近所のメディカル・センターには行かず、市の中心にある診察料が3倍も高い医者に足を運び、その勘は正解であった。もし自分も近所の医者をまわり発見が遅れていたら、と考えただけで身震いした。

お正月に日本の親友夫婦とLive messenger(コンピュータで画面を見ながら会話可能)で大笑いをして楽しい時間を過ごした。その3ヶ月後、旦那さんが突然倒れて病院に運ばれ脳腫瘍という診断をうけた。苦しい1ヶ月の化学療法でも癌細胞は消滅せず、現段階では暗い状況である。子供が高校を卒業し4月に大学へ進学した。2人にとっては子育ても終わり、彼はあと数年でリタイヤをむかえのんびり暮らしていこうという矢先であった。あのお正月の笑顔からは想像できない悲しいことである。

数日前になかなか行けないでいた車の点検に出かけた。その車修理屋さんは、20代の頃、鈴鹿サーキットの8時間耐久レースにメカニックとして来ていた人々で、その時自分が通訳をしてからの縁でいまだにつながっている。車の調子が悪いわけではなかったが、なにか気になり、行ってあることを知った。その修理工の一人、古き良き友が心臓発作をおこし病に臥していたのだ。彼は45歳という年齢にもかかわらず2度心臓発作をおこしていた。2度目は彼の大好きなゴーカートの練習の際に突然発作を起こし意識を失いゴーカートとともに壁にぶつかる。その時点で脈が止まり、救急隊員の必死の対応で息を吹き返し、2日間のこん睡状態から生還した。

今は自宅で療養していると聞き、近所に住んでいるのでカードと花でも持っていこうかと思ったが、行って迷惑になるといけないので電話だけしてみることにした。

無口で物静かなユーゴスラビア系オージーの彼は元気そうに笑って、私の電話をとても喜んでくれた。少しでも励ましになってくれたらいいと思いつつ、「何かあったらすぐに行くから連絡してよ」と電話を切った。そして心から彼の快復を願うばかりであった。

昔、あるクラスでクラスメートの何人かが「私は長生きなんてしたくないわ!60代くらいで死にたい」と、とんでもないことを発言した。若くて死にたくなくてこの世を去っている人の数はいくらでもいるのに。こういう風に考えている若者が多いのには驚いた。

いつ何が起こるかは神のみぞ知ることであり、神経質になっていたらなにもできないが、与えられた命、この人生を大切に生きる!ということを心のどこかにいつも持っていないといけないのだ。

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杉原千畝氏の助けたアウシュビッツからの生還者の子孫が我が家に??? in Sydney

オーストラリアNSW州では7月の第一、第二週学校が冬休みとなる。このホリデーを利用して娘の高校の友達が泊まりで遊びにきた。娘は朝一番でCityまでバスで出かけ映画’エクリプス‘を観て友達を連れ我が家に戻ってきた。大人と子供の真ん中みたいである彼女等にとって保護者抜きで映画や買い物に行くのが大きな冒険のようであったのか興奮状態であった。

おやつをだして彼女等といっしょにくつろいでいたら、突然娘の友達が「Guess what!(何か特別なことなどを言いたいときに使う言いまわし)、私の曾おじいちゃんはドイツ人なのよ。彼はアウシュビッツの生還者なの!上海に移ってきて曾おばあちゃんと出会ったの」と得意げに話しだした。中国系オーストラリア人の彼女からドイツの血か?しかしなんでまた曾おじいさんの話を?と不思議に思ったが、実はもっともっと不思議になる事があった。

というのはちょうど今私が読んでいる本にアウシュビッツからの生還者の話がいくつか載っていたのだ。新しい本でもないし近所の図書館から適当に選んだ一冊であり、偶然それに似た体験者の曾孫が我が家に来るというのがなんとも不思議であった。

こういうのをSynchronicity(共時発生、同時発生)と呼ぶのか、ちょっと驚いてしまった。

その今私の読んでいる本は科学や一般理論、概念では説明のしようがない偶然におこった奇跡の話が多く書かれている。 ホロコーストの生還者の話がいくつかあるがその一つに杉原千畝氏の話があった。彼は19371940年にかけてリトアニアの領事館で官僚として働き、6000人以上のユダヤ人を救った人物である。(*詳細はウィキペディア参照してね) 彼は多くのポーランド系ユダヤ人をロシア、または日本経由で上海に送るヴィザを発行している。もしこの曾おじいちゃんが杉原氏のヴィザ発行による生還者だとしたらちょっとすごい!と鳥肌がたった。

そんなことを思いながら、この本に紹介されている杉原氏に関したミラクルの話をここに書き出すことにした。

1985年杉原千畝氏は多くのユダヤ人の命を救った人としてイスラエル政府よりヤド・バシェム賞を受賞することになった。彼の名誉を称えて木が植えられることになり、最初彼の思い出として桜の木が候補にあがった。ところが突然なにか異例の動きでそれが撤回され、その理由は彼の驚異的な行動が桜の木では不適切なシンボルとみなされた。そして頑丈で聖地エルサレムの寺院にも植えられている聖なるヒマラヤ杉(Cedar)が選ばれた。植えられた直後に、その政府関係者は彼の名前が杉原(Cedar Grove)であることを知った。’

偶然と言ってしまえばそれで終わることだが、神のなせる業のような不思議な話であり偶然という言葉だけではすまない出来事は山ほどある。

この我が家のシンクロニシティ、何かこれにまつわる出来事が起きたら、また紹介しますから楽しみにね。

Small Miracles by Yitta Halberstam & Juidth Leventhalより

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ハグ、キス、それともお辞儀?あなたの好きな挨拶は? シドニー編

日本での挨拶は会釈やお辞儀という形がほとんどであるが、アメリカに住み始めた頃ハグ(簡単な抱擁)や握手のタイミングに少し戸惑いがあった。カリフォルニアでは友達や親戚はハグ、近い親戚は(義理の両親や祖父母)は頬に軽くキスをする。仕事で合う人は握手のみ。この握手も人格を表していて、その硬さによって相手の性格を読み取れる。男性でグニャという柔らかい握手はビジネスをしていく上ではちょっと心配であり、しっかりとギュと力強く握ったほうが印象が良いのだ。

ここオーストラリアはヨーロッパ諸国の移民が多いからなのか、ハグより頬キスが多い。アメリカのハグが温かくって心地良かったからこの頬キスは慣れるのに時間がかかった。フランスや東ヨーロッパ出身の女性だと、右、左、さらに右と何回もチュ!をしてくる。最初このタイミングが難しく、間違って同じ方向に2人が向いて危うく唇にしそうになってしまうこともある。私は口紅を相手の頬につけたくないので音だけ‘ンマ’と両頬にするようにしている。昔パーティの席で友達の頬にピンクの口紅をつけてしまい必死で拭いた覚えがあるからだ。

ある時、仕事の関係なのに、ある男性が初対面で頬にキスをしようとしてきた。アルメニアもしくはボスニア出身の人で悪気もなくごく自然であったのだが、ちょっとひいてしまった。そして2回目に合ったときもさらに頬にキスしようとくっついてきたので、これは言わなければと思い、

「ごめんなさい、私は日本人だからこういう挨拶はしないの。」といってお辞儀をした。親しい人とは普通にハグやら頬にキスしてるから、まったくの嘘であったが、今後合うたびに嫌嫌挨拶するのも苦痛であったから早めの処置をしたのだ。それ以来何回も彼とは合うがもう頬にキスはしなくなったのだ。やれやれである。

ここにいる人の良さそうな50代以上の男性は、‘このオジサマ下心あるの?’と、どこまでNoと言うべきか判断が難しい。数ヶ月前に知人の紹介で翻訳の仕事がありミーティングに出かけた。60歳前後のそのクライアントはタッチー・パーソン(馴れ馴れしく肩やら手を触ってくる人)であった。最初に握手をしたら、私の手をそのまま彼の口元に持っていき、手にキスをしようとした。その後、横に座り、どうも肩やら手にふれてくる。2回ほどミーティングをしたが、ぜったいに手や頬にキスさせない、ハグさせないという硬い姿勢を保つことにした。いくら知人の紹介でもビジネスはビジネス!と思った。

日本人女性はどうもはっきりとNoと言えなかったり、意思表示が苦手という風に見られている。だから日本人女性を狙っているオジサンも多々いるのである。

もちろんこれは稀なケースであり、紳士的な男性が単なる挨拶や親しみを表すだけという人のほうが多いのでご心配なく。

何かで読んだが‘ハグというのは両者の左胸と左胸を合わすのが本当のハグである’とあった。ハートとハートをくっつけるわけだ。だからとても温かくってほっとするのかもしれない。日本にももっと浸透したらよい挨拶だと思う。

日曜に久しぶりに娘の元サッカーチームの応援に顔をだした。今シーズンは娘はプレイを断念したが何年もいっしょに走ってきた友達だから大歓迎されハグの嵐であった。わたしも良く知った親御さんたちとハグを交わした。ここんとこ寒い日がつづいているSydneyであるが青空のもと緑の芝生を駆け巡る娘達に歓声をあげ、なんとも爽やかで心を温かくしてくれ朝であった。ハグの嵐が覿面であったのは言うまでもない。

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音楽に囲まれて暮らせる街は心を豊かにしてくれる! ミニコンサート Sydney編

ドイツ出身の友人と話をしていたら、「ドイツはどこにいっても街中に音楽が流れている。小さなカフェでも生の演奏が聴ける場所がどこにでもある。ミニコンサートは日常茶飯事。」と誇らしげに話していた。これを聞いたときとても羨ましくなった。

日本で学生時代、近所のコーヒー専門店でアルバイトをしたときにクラシック音楽と出会った。そこのマスターがクラシック大ファンであり、バイトのたびに曲を選んで店内に流すのが仕事の一つでもあった。特にクラシックのピアノ曲を聴くのが大好きであるが、わたし自身音楽演奏からほど遠い人生を過ごしてきた。6年ほど前に娘に買った今では誰も使っていないキイボードを“あなたも簡単にピアノが弾ける”などという本を買い込み、鍵盤にカラフルなシールを貼り、たまに弾く程度である。Wiiのバンド・ヒローはドラムを練習したい娘に、無理やりギターやボーカルを頼まれ必死にビギナーを弾く程度である。残念ながら楽器演奏という才能は無く、もっぱら聴く側なのである。

シドニーではサーキュラキイや買い物の中心地ピッツ・ストリート辺りでパフォーマーがいろんな楽器を演奏している。アボリジナルがデジルドゥー、中国人のオジサンがバイオリン、オージーの若い男の子のサックスホーンなどなど様々である。なかにはCDを製作し、それを売っている演奏家もいて、素人芸とはいえ侮れないのだ。

街角で音楽が聴こえてくるというのはなんだかほっと嬉しくなる。

楽しみの一つにシティのある古い教会で毎週金曜に若い音楽家のコンサートを開いている。その近所にあるコンサバトリアム(音楽学校)やシドニー大学(音楽科)の学生や先生等によるピアノ、バイオリン、サックスフォーン、チェロなどの演奏が40分から50分ほど繰り広げられるのである。毎週演奏家と楽器が変りレベルがとても高く、また美しいステンドグラスを目の前に教会内に響き渡る音色はなんとも神聖な気分にしてくれ、また心が洗われる思いである。(入場料はコインの寄付が必要)

タウンホールの横にあるSt.  Andrews Cathedral教会でもパイプオルガンのリサイタルが行われる。たまたま今日足を運んだら、小さな男の子がバッハのトッカータDminorを練習していた。この教会はハイドパーク横に位置するSt.Mary’s Cathedral に比べればちいさめで地味であるが、都会のど真ん中にこんなに美しく渋い教会があるのか?といつも思う。観光で訪れた人にはぜひ覗いてもらいたいスポットである。

オペラハウスでシンフォニー・オーケストラを楽しむも良し、小さな教会でミニコンサートを楽しむも良し、ドイツほどではないがシドニーもまんざらではない。

ここ1年ほど不思議なことに、公私共に出会う人がほとんど音楽界の人々である。この歳で新しい楽器に挑戦はちょっと難しいが、この音楽に囲まれる生活というのはどこか心を豊かに潤してくれ、音楽なしでは人生が枯れていくような感じがする。

来週はオーストラリア唯一の和太鼓グループTaikOzのコンサートがタウンホールである。シドニーで和太鼓? このユニークな組み合わせが待ち遠しい。

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