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2010年5月

人間関係の引き算足し算 -引き算編 in Sydney

同じテーマで前回は結婚か母子家庭か云々を書いたが、今回は女友達関係についてふれてみたい。

ここシドニーに在住していてたまに日本人にあう機会がある。自分の性格としては、同じ国からきた同民族であるから仲良くしましょう!または、 少しでも海外に長くいるほうだから、この国に来たばかりで何かと困っている日本人にはついつい、「なにかあったら連絡してね」と名刺を渡す。我が家にホームステイをしていた若い女の子達にも、それなりになにかの助言なり我流‘シドニーで心地良く住むための法’みたいなものを教えてきている。

だいたい日本人に出会った場合は以下の3つに分かれる。

その1.簡単な自己紹介挨拶でおわり、連絡先交換をしない。多分2度とあうことはない。

その2.いちおう住所や連絡先を交換する。お茶をしてみる。

その3.さらにこの人なら理解し合える!と思えば交流をつづける。

そんな中、どうしてもおかしいと思える関係が2つあり、引き算をすることにした。今までの自分ならわざわざ口にせず自然消滅させているような関係であるが、この2つは、はっきりとマイナスにしなければ、相手は何も気がつかずにどんどん自分の領域に入り込んできていたのだ。 

2人ともオージーと国際結婚している日本人であり、生活スタイルはまったく違うタイプであったが、彼女等には共通点があった。

共通点とは、2人ともこちらの都合もなにも考えずに、彼女等の時間のある時、困った時、悩んだ時、物を頼む時にしか連絡してこないのである。

「今話せる?」と聞かれ、「うん、少しならいいよ。」と言ったものなら、もうおしまい。家に来てお茶でもだしたら、それももう駄目、相手の都合も考えずにずっと話しつづけるのだ。内容はいつも彼女等の問題、愚痴、悩みを怒涛のごとく並べ立ててくる。 またそういうタイプに限って、私の助言や意見をあまり聞かない。

ではなぜに相談の電話や訪問をしてくるかというと、わたしを単なる愚痴のはけ口に使っているのであるということにある日気がついたのである。

それと人の相談にのりアドバイスをするという行為は自分自身が心身ともに80%くらい好調でないといけないのである。困っている人をみるとほっておけなく相談にのることは苦にならない自分であったが、やはり自分自身に悩みや困難があり、心身ともに憔悴状態におちいっているときは人は助けれないものだ、というのもよくわかった。

本来ほんとうの友達ならばお互いにその困難を助け合い、会話も‘2斜線道路のようなもので片側通行ではない’と信じていたが、あまりにもこの2人の身勝手さに疲れることが多々あり、もう引き算しかないと決めたのだ。後味は悪かったがすっきりしたから、そうとう重荷になっていたのであろう。

娘が、「マム、よく言えたね!良かった!」と嬉しそうな顔をしたのだ。ということは娘もそれなりに私と彼女等のこの関係がイコールではなかったことをよく知っていたのだ。

大切な人間関係はプラスまたは掛け算をしたいが、疲れる人間関係はマイナスをしなければいけない時もある。これは人生を生きていくうえで必要なものであるのだ。

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シドニーを離れていくサッカー選手夫婦とのひととき

仕事の関係である若いカップルと話す機会があった。 彼はプロのサッカー選手。 去年シドニーFCの一選手であり、今年はノース・クイーンズランド・フットボールと契約を交わすことになった。 

ここで一つ説明をしなければいけないのは、オーストラリアではサッカーのことをフットボールと呼んでいる。 (子供のサッカー軍団はサッカーなのに) オーストラリアのフットボール(オージー・ルール、ラグビー・ユニオン、ラグビー・リーグ*別の機会で説明しますね)は国民的スポーツとして人気があり、どうしてサッカーもまたフットボールと呼ぶのか?疑問なのである。ちなみにここでのサーカー熱は日本の比ではない。金、土、日曜はフットボールの試合中継ばかりであり、サッカー中継というのはあまり観たことがないことからもオージーはサッカーよりフットボールが大好きなのである。

この彼は先週新チームと契約を交わしたばかりで、冬季練習に間に合うよう1週間で移動という命令を受け、夫婦は少々混乱状態であった。

長身な24歳の奥さんは18ヶ月になる金髪のクリクリしたキューピーのような女の子の子育てに追われ仕事には就いていなかった。 「子供は?」と聞かれ、「14歳の娘がいるのよ」と言ったら、「私の弟は今16歳だけど難しい年頃よね。でもこうして娘ができ母親になってみると、とてもよく母親のありがたみがわかるのよね、ほんとうに若い頃は親に迷惑をかけたわ。この結婚も実は反対されたの」と話しだした。

彼女は、優秀な若者がどんどん発掘されている中、夫のサッカー選手としての活躍にも限度があり、高校しか卒業していない彼の引退後の行き先を案じているのであった。コーチの資格を取得してコーチとして子供にサッカーを教えることもできるが、もうそんなのは多くの元サッカー関係者が牛耳っている。去年シドニーFCでも思うほど活躍ができず、新しいチームは決まったものの、将来の行き先を考えると、きっと彼女の母親が結婚に反対した理由もわかるのであろう。

新しいチームとの契約も決まり、「おめでとう!」と興奮気味に言ってしまったが、どうやらこのご夫婦は新天地には移りたくないのであった。 2人とも生粋のシドニーっ子であり家族をはじめ友達すべてシドニーに集中している。それに試合シーズンが始まれば、こんな遠く離れた地に奥さんと娘を残して彼は遠征旅行を続けなければいけないのだから。

彼等の行き先はTownsville(タウンスビル)、シドニーから2000km離れたケアンズの手前にあるトロピカルな街である。グレートバリアリーフへのアクセスが便利なことから観光、そして亜鉛、銅、ニッケルなど鉱産業が主な産業である。 歴史を少し調べてみると、1896年にサトウキビ畑、また真珠ダイバーの日本人労働者が4000人が移住しており、日本領事館が設立され。1908年の白豪主義により日本人移住者の数が減少したようだ。 (Townsvill Wikipedia より)

最初に彼等と合った時、可愛い子供を連れた素敵な明るいカップルという印象であったが、話してみるといろんな悩みや不安を抱え新たな土地へ飛び立とうとしていることがわかった。

若いうちにしか経験できないことはどんどん進んでいけばいい、子を持って親の気持ちがわかり、選手生命のはかなさという現実にぶつかり、それでも立ち止まらずに親子3人で力を合わせていけばきっと何かは身につくであろう。

心から彼等の無事と新たな地での成功を祈るばかりだ。

彼等とのひとときはどこか私を爽快な気分にさせた。外に一歩出ると、雨上がりの秋空のもと赤や黄色にそまった落ち葉が舞っていた。シドニーの一番綺麗な季節、秋真っ盛りである

 

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'16歳で世界一周無支援無寄港単独ヨット’成功にシドニー中が沸きあがった一日

秋空が澄んだ爽やかな今日のシドニーはジェシカ歓迎でピンク一色に染まった。

Jessica Watoson,彼女は16歳で210日かけ世界一周無支援無寄港単独ヨッを果たした女の子である。去年の10月に出発して今日シドニーにたどり着いたのだ。

空にはJessicaと飛行機でかかれた雲が広がり、オペラハウスやその海岸沿いは多くのシドニーサイダー(住民)で埋め尽くされた。

当初この計画が発表されたときは、世間の多くの賛否両論が持ちあがった。

‘異常な波、オイル・タンカーや貨物船との衝突、鯨や氷山との遭遇、海賊行為、ヨットの故障、荒波によるマスト破損、ラジオ通信の交信不可、陸地から何千マイルも離れている、これらの状況に挑戦するのにあまりにも経験不足なのではないのか?‘

これを無視して彼女は遂行しこの大きな挑戦を成し遂げた。 彼女の勇気、判断、強い信念には頭がさがると共、両親の絶え間ないサポートや娘を信じたつづけた寛大さには、同じ年頃の娘を持つ親の立場として尊敬に値する。 

到着後の記者会見での彼女のいくつかのコメントであるので、それらを紹介したい。以下はAAP(オーストラリア・アソシエイティッド・プレス)の記事を訳したものである。

「特に一つ学んだことは、歳や外観で人を判断してはいけないこと。」

どうして世界記録に挑戦しなかったのか? ウエブサイト、セイルワールドコムによると、“今回の航海は記録を更新するための北半球の遠距離が不足している”ということであった。この記者の質問に対して、

「私にとって、これは決して記録のためではなかった。だからそんなことはちっとも心配していない。」

38,000km航海を通して疑いがわく時もあったが、家族や友達のサポートのおかげで航海をつづけることができた。」

「成長したことはまちがいないわ!」

「自分のことはヒーローなんて思っていない、ごく普通の夢を追っている女の子よ。」

「なにか突拍子もないことに挑戦するのに、特別な人間でなくてもいいのよ。必要なのは夢をもち、それを信じて、一生懸命に努力すること。」

"Anything really is possible." 「なんだって可能なのだから!」

たった今、7ヶ月間独りで世界縦断を果たしたばかりなんて、想像もつかないほど元気である彼女をTVで観て、自分は信念を持つことの大切さとたくさんの勇気をもらった。 

特別なことをしなくてもいい、ただこうやって夢を追うために一生懸命になる人間の姿は美しいものである。

気候の素晴らしさも手伝い今日のシドニーは、ほんとうに晴れ晴れとして市民一同が感激し喜びに満ちた日であった。

 

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人間関係のたし算引き算 結婚or 母子家庭?どちらが楽? Sydney編

隣の芝は青いとはよく言ったものだが、ある人々は自分と違う世界に住む人の生活を楽とか羨ましいと本気で思っている。

国際結婚、離婚、そして母子家庭の環境を生きている自分にある心無い言葉が降りかかってきた。 

昔からよく知っている友人でよく旦那さんの愚痴をこぼす人がいる。

「再婚なんて絶対に考えないほうがいいよ」と結婚=墓場という言葉をしょっちゅう繰り返している。 話しを聞いているとあまりにもご主人への感謝、愛情、気遣いなどの想いがないから、なんて淋しい夫婦なんだと思っていた。

ある日、「あなたはいいわよね、嫌な旦那の世話なんかせずに一人で自分が天下を取っていけるわけだから楽よね」という言葉を吐いたのだ。 離婚にまつわる事情は夫婦それぞれであり、なにも好き好んでそれを選んだわけでもない。確かに娘と2人暮らしであるから、私の意志でなにもかもを決めている、しかし細かなその判断に迷うことなんて日常茶飯事である。 それに当初は小さな娘をかかえ、どうやって暮らしていこうかと途方にくれ不安や心配な夜をどれだけ過ごしてきた。異国人でしかも女一人、異国で娘を育てていくというプレッシャーや責任、経済的な苦労を、あまりにも理解していない人なんだと思い知らされた。

もちろん今となってはすべて自分の選んできた人生であるから後悔もないし、ひたすら一生懸命生きているというのが現実であるが、聞きたくなかった言葉である。

オーストラリアにおける母子家庭をとても気楽で裕福なものだと誤解している人にもあった。彼女はオーストラリア人と国際結婚した日本人であり、日本では報道関係の仕事に就きバリバリと働いていたタイプである。 しかし子供ができ仕事を辞め、結婚を決めオーストラリアに移住していた。

「子供さえできていなければずっと私はあの仕事に就いていた。 子供さえできていなければいつでも仕事に戻れるのに、子供ができたのは計算間違いであった。」

そして結婚生活もうまくいっていなかったのか、

「いつだって離婚を考えているし、いつしても構わない、でも母子家庭ならぜったいにシドニーよ、だってこの国は福祉がいいから生活は楽でしょ?」

これまた目が点になる言葉であった。

まず、子供が欲しくて欲しくても授からないご夫婦は山のようにいる、あんな可愛い子供に恵まれたことに感謝もできないような母親にしっかりとした子育てなんてできるのであろうか? もう大人なんだから避妊なんていくらでもできるはず、間違ってできた、いらなかった、仕事の邪魔になる、って真顔でいう彼女の人格をうたがった。 そして母子家庭ならオーストラリアよね?という感覚にも驚いた。 事実、母子家庭には収入に応じて政府から給付金がでる。 しかし最近はその規制が厳しくなってきているし、どんどん上昇しているシドニーの生活費を考慮すると、豊かな暮らしなんてとんでもないのである。 日本の事情はしらないが、毎日夫婦で分担できるはずの家事、子育て、生活すべてを母親が一人で背負うわけだから、楽なわけではない。 こんなに簡単に離婚という言葉を吐くのも疑問であった。

この2人はごくごく普通の日本人女性である。 ただわたしと違っているのは彼女達には夫がいて都合の良いときだけ夫に頼り利用して、偽りのある結婚生活を演じている。 そして母子家庭がどんなに気楽で豊かなものだと誤解もしている。

人間関係は算数の足し算引き算のようなものだ。 それをいかに上手に生き抜くために計算をしていかなければいならない。 結婚がプラスばかりではないように、母子家庭もプラスばかりではないし、どちらにもマイナスだってある。その立場を体験しなければ理解できないことをこんなに気安く、相手の立場の人には言うべきではない。 そういう言葉を発し続けている限り、彼女等の引き算は途方も無く増えていき、大切なものを滅ぼしているのに。

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Sydneyにおける日本のケーキ事情

ちいさい頃エクレアが大好きであった。 名古屋駅の近くに住んで居た頃、デパートで売っていたバームクーヘンとかマドレーヌが大好きで、みたらしダンコや大判焼きより洋菓子を好んでいた。 甘党ではないが美味しいケーキは大好きである。

ギリシャ系、イタリア系、ユダヤ系のデザートの本場ものならとても美味しいのに、ここシドニーで美味しいケーキをみつけるのは至難の業である。 まああ、語弊のないよう、‘自分の口に合う味のケーキをみつけるのが困難’と言っておこう。 

近所のフレンチのぺティシトリーはアーモンドクロワッサンやデニッシュ系は最高であるが、ケーキに関してはタルト系が多くって少々不満である。

チャイナタウンやチャッツウッド(アジア系の街)には数多くの日本っぽいケーキを売っている店があるが、どうもいまいち。 スポンジが乾いていたり、クリームの味が変であったり、売れていない店だと前日の売れ残りでも平気で同じ値段で売っている。フルーツタルトにのっているイチゴが傷みかかっていようとおかまいなしだ。 ベトナム系のベーカリーも頑張ってはいるがエクレアなどにモククリームと呼ばれる白い偽物クリームがはさまれているとがっかりである。

ある郊外で数ヶ月前に抹茶のケーキとかイカ墨のパンを売っている新しいベーカリーを見つけ大喜びして即はいり、「これ日本の店?」って店員に聞いたら、台湾から進出した店であった。 抹茶スポンジを試してみたが、店の造りやケーキの種類、値段が日本そのものであったから、それなら味も日本通りにして!と悲しくなった。

この‘美味しいケーキを求めて病’はアメリカにいた時も悩まされた。日本の繊細で美しく甘すぎないケーキにはめったにおめにかかれないのであった。 アメリカのケーキは大きくって甘くってくどい! 唯一好きだったのは‘マリー・カレンダーズ’というパイ&レストランの店であった。 毎月季節に合ったスペシャルのパイがあり、まあ、甘くって大きすぎたが値段が安い!それが魅力であった。 

そんな苦難?のおり、ついに日本人経営、日本の正真正銘ケーキの店をシドニー郊外にて見つけた。

我が家からは30分ほどの距離ではあったが、その近辺に行く用事があり足を運んでみた。柔らかスポンジのお抹茶ロールとホームメイドカスタードのエクレアを知人と食べたときは感激してしまった。きれいに並んでいるトンカツパンやコロッケパンをみた時は顔がゆるんで笑みが止まらなくなってしまった。 娘にお土産を買い込み帰り、一口食べた途端、彼女は私以上に喜んで、「マミー、今度いつ行くの?いつ?いつ?」攻撃になってしまった。

日本の食べ物やケーキが一番恋しいなんて、まったく食い気旺盛の自分であるが、当分このケーキ屋さんに足を運ぶであろう。 こんなにHappyになるのだから、少々体重が増えようがそんなことは気にしないのである! シドニーのベストシーズン、'食欲の秋‘なのです。黄金色の紅葉と透きぬける青空の下、カプチーノと日本のケーキを満喫しましょう!

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Midlife crisis―日本とオーストラリア熟年夫婦の違いは?

熟年夫婦のあり方をいろいろと考えさせられる毎日である。

ある友達が銀婚式を迎えた。 彼等は過去数回離婚の危機があり、紆余曲折を繰り返しててきたのを知っているのでよく頑張ったな!とつくづく関心してしまう。 20代の結婚当初の甘い時代をよく知っているだけに、現在、恋愛、愛情などの感情が微塵もないのにはちょっと驚いてしまう。

旦那さんが退職を間近にむかえ子供が巣立ってしまった友達は、「夫が毎日家にいるのかと思うとぞっとする」と真顔で言っている。 この夫婦も冷め切った同居人である。 

両夫婦とも日本人夫婦であり、残念ながらこういう夫婦の形態は日本では多いのではないであろうか? 昔CMで‘亭主元気で留守がいい’なんてあったが西洋の女性が聞いたら目が点になる言葉である。 

まわりのオーストラリアの夫婦はちょっと形態が違う。

夫婦、家族で過ごす時間をとても大切にする。 夫が仕事仲間と飲みにいき帰りが遅くなる、なんてほとんどないであろう。 一日中いっしょにいる同僚とどうしていっしょに飲みたいのか?というのが本音である。 それなら奥さんと子供といっしょに過ごしたい!

旦那さんの週末は子供のスポーツ行事に参加し、奥さんと買い物に行き、友達カップルとすごす。 共働きなら家事を分担しているのが通常である。 毎日食事の支度をしてもらっているから週末くらいはどこかに食べに行こう!と奥さんと外出する。 これは日本の奥様が聞いたら目が点になるのでないであろうか? (もちろん日本の新婚カップルや若い世代はそんなことはないであろうが)

どうしてこんなに違うのか? というとやはりこの国(アメリカも同じである)の人々はよほどの事情が無い限り愛情が冷めたら離婚しているのではないだろうか。 一部の国の文化や習慣を除いて、社会の目や世間体、親戚への気遣いなんて無であるし、子供のために無理やりとか我慢なんて絶対にしない。 一度愛が冷めたり、どちらか他に愛する人ができればそれでおしまいである。 その反面、一度結婚を決めたらとことん愛情を表現しあい2人の関係をとても重視する。 日本の中途半端な夫婦関係はきっと存在しないのであろう。

自分の心に正直に生きるという面では後者のほうがきっと健康的であるが、少々喧嘩を繰り返し、旦那の浮気を見てみぬ振りをして、苦しみも悲しみも乗り越えてきている夫婦が連れ添うという姿は美しいと思う。 日本の黙っていても通じ合う空気の様な関係はきっと西洋の夫婦には理解できないことであろう。 

国や文化にかかわらず、人、夫婦それぞれ違うから、各自幸福になる方法を見つけて人生をうまく乗り越えていけばいい。 ただあまりにも日本人妻の不満を聞いていると、長年連れ添うなら、価値観、常識観、趣味、好き嫌いなどが似ている人を選んだほうがどんなに生活が楽になるか!としみじみ思うのである。 

 

 

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