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2010年1月

Bondi beachボンダイ・ビーチでリラックス

14歳になる娘がハイスクールの友達4人とボンダイ・ビーチに遊びに行く約束をした。 ボンダイ・ビーチはシドニー中心地(ハイドパーク横)からバス(No.380)で南に30分ほどの距離に位置する美しい海岸である。 

14歳という大人と子供の中間のような娘たちだけで行かせるのは不安になり、仕事のけりをつけいっしょについていくことにした。 正直いってシドニーに住んでいても、なかなか行けかったビーチだから良い言い訳ができたわけだ。

ここ数日40度ちかい猛暑に悩まされていたが嵐がきて気温が急激に下がった翌日であり、11時ごろ到着したがどんよりとした天気で小雨がぱらつき、それはそれで情緒のある海岸日和となった。

ここは外洋に面しサーファーの好むビーチであり、波が高く強い激流や潮の流れには要注意である。 本物のライフ・ガードのレスキューが録画され人気TV’番組になっているほど、このレスキュー隊の活躍は頻繁に行われており、また最近は温暖化の影響で魚が増え、それを追うサメが多く出現してサーファーが危ない目にあった事件もおきている。

“ライフ・ガードの立てた旗の間でしか泳いではいけない”と強く言いきかせたが、友達と合ってはしゃいでいる娘達は“わかってる!”と叫びさっさと海に入っていった。

心地良い潮風にあたり芝生に寝転がり読書、メインの通りにある可愛いビーチショップをみて歩いたり、自分もくつろぐことにした。 

海岸に向かって右側にロック・プールと呼ばれ海水を流して作られた50mプールがある。 その上をずっと歩いて隣の海岸にいける遊歩道があり、そこからの眺めは絶景であり、なんとも気分爽快になるウオーキングが楽しめる。

Southern Beaches(サウザン・ビーチ)と呼ばれボンダイから南にくだっていくと、タラマラ、クージー、マルーブラ、ラ・パーズと多くの美しいビーチがつづく。 これらシドニーの誇る海岸線はぜひ足をのばしてもらい地である。

時間を忘れ泳ぎつづけ堪能した娘達もおなかが空いて陸にあがってきた。 メイン通りにはイタリアン、タイ、日本など多くのカフェやレストランが並んでいるが、ここはやはりFish&Chips(フィッシュ&チップス)を食べるのがオージー流地元民なのだ。

これは白身の魚の天ぷら?とお芋のフライの揚げたてにレモンと塩をかけて、フウフウいいながら食べるのが最高である。 

あと4日で長かった夏休みが終わり1月下旬から新学期が始まる。 9年生(中学3年)になる娘と友達はビキニが似合う年頃になった。 わたしがいっしょに付き添えるのもそろそろ最後かな?という感慨にふけりながら帰路についた。

忙しいのを理由になかなか外出しないでいる自分にはとても良い海日和になった。 こんなに恵まれた土地にすんでいるのだからもっとそれを活用しないといけない。 

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“Happy Australia Day”の実態は?

126日はAustraliaの国立記念日‘オーストラリア・デイ’である。 この地は1770年クック船長により発見され,その後1788年イギリスからの第一船団が到着した日を国立記念日として祭日となった。 

“オーストラリア人がオーストラリア人であることをお祝いして楽しむ”日であり、各地で花火大会、個人宅でBBQ(バーベキュー)をして友を集めてパーティにイソシム。 またオーストラリア人としての市民権を授与されるセレモニーが各役所で催されるのだ。

我が家のAustralian Day10年前この国に移住したばかりのとき、ダーリング・ハーバーの花火大会を観にいったが、あの広いスペースが日本の満員電車状態になりギューギューと押し合いになり、酔っぱらいも多く、その当時小さかった娘を連れ、少々コワイおもいをした。 それ一度きりでその後お祝いもなにもない。 ちなみに私はオーストラリア永住者であり市民ではない。そのせいかどうもピンとこないのも事実である。

13日の新聞に‘NSW州内における酒小売店とパブ宛に、オーストラリアDayにお酒の販売を禁止というお達しがE-メールで送られた’とあった。

詳細は、午後2時以前アルコール含有量4%以上、夜9時以降5%以上の飲み物の販売を禁止するという旨。ある海岸街では25日、日没から27日の日の出までアルコール飲料の所持を禁止、もし所持していれば最高1100ドルまでの罰金が課せられるという。

なぜにこのような達しがでたかというと、毎年この祭日、過度の飲酒によるヴァイオレンス(喧嘩や抗争)が増えつづけ、去年は最悪の状況にまで陥り警察も手を焼いているからである。 若者による飲酒ヴァイオレンス事件が多発する中、去年の暮れは特別警察隊が金曜から日曜の夜間パトロールを開始、数百件にも及ぶ逮捕者がでた。

酒好き祭り好きの国民性は日本人にも通じるものがあるが、この国は麻薬類が簡単に手に入るし、どうもあのフットボールの血をみて騒ぐというワイルドな国民性なのか、どうもヴァイオレンスに走るケースが多い。 さらにこれに人種差別などが加われば暴動も起きてしまうのだ。

ここ最近は仮免中ドライバーの飲酒運転、運転操作ミスによる事故が多発、数日前はメルボルンで5人の若者が一瞬にして命を落とした。 かたやインド人学生が刺される事件が数件起きつづけ、一人は亡くなっている。

あの静かでのんびりとしたオーストラリアはどこに行ってしまったのであろう?

親切で人の良いオージーが減っていくのをみるのはなんとも悲しい。

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イギリスの鶏事情 - 奢った人間の行き先は

Jamie Oliverというイギリス人の有名なシェフをご存知でしょうか?

彼のシェフとしての腕前は説明することもなく、イギリスにおける学校や家庭の貧しい食生活をかえていこうと活動を起こし、料理本をはじめ、あらゆるTVショーで活躍している人である。

日曜日に久しぶりに家でのんびりする時間があり、ソファーで転がり本を読みつつ、テレビをつけた。 そして‘Jamie’s Fowl Dinners’という番組に釘つけになった。

内容はイギリスにおけるここ56年で急激に値段がさがった鶏や卵の特集であった。 

あるシーンで黄色の可愛いひよこちゃんがたくさん登場した。オス、メスが区別されると、メスはケージ(鳥かご)に詰められて、24時間7日、外に出してもらうことなく、休む暇なく卵を産むつづける農家、またはオーガニックの餌を与えられ放し飼い(Free Range)にされて育つ農家などに分け送り出される。

そしてオスは悲しいかなガス室に送られて苦痛なく眠るように死んでいき、その後冷凍されて爬虫類ペットの餌や家畜の飼料となる。 この過程をテレビで観ていたら胸が痛くなった。 こんな卵や鶏を自分が食べてきたのか?と思うと背筋がぞっとした。

こんな話は今始まったわけでも、イギリスだけで起きていることではない。 アメリカの遺伝子組み換えによる農業物大生産、日本の1パック30円卵も同じ道を歩いてきているのだ。

安いものを提供してもらうのは消費者にとっては有難いことではあるが、ここまで動物、家畜を人間が牛耳っていいものであろうか。 毎日卵を食べなくても人は生きていけるのに。

土曜日にダーリング・ハーバー(シドニー中心にある観光地)に行く機会があった。ここは水辺にうつったビル群の夜景が絶景である。夕焼けの綺麗な日にオレンジ色に輝いたビルがキラキラとした夜景にかわっていくのをじっと眺めているだけで嬉しくなる自分のお気に入りの地である。 しかしその晩は他国語で騒ぐ観光客、多くの酔っぱらい、やたら綺麗に飾りつけられ高級っぽい傲慢なレストランを目の当たりにしてすごく疲れて帰ってきた。

世界のどこかで食べ物も思うように食べれず死んでいく子供がいる中、あまりにも矛盾した社会が当たり前にはびこっている。 

ちょっと気が暗くなる日曜であった。 

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海外に住んだら、あなたはどちらのタイプ? 

日本に居た頃は‘外国人’の友達、また海外に住み始めてからはその国にとっての‘外国人’にあたる日本人や他国からきた友達ができた。 彼らのタイプは2つに大きく分かれている。 一つはその国の文化、人間、社会に溶け込む努力を絶えず、良いことを吸収し、それを大きく活用していくタイプ。 もう一つはその国の悪いことばかりに目を向け非難して馴染まず、祖国からきた人としかつきあわないタイプである。

昔、日本でニュージーランドから来た女性と知り合った。 ある日友達みんなと合ったとき、誰かがお土産として馬刺しを持ってきた。 彼女は動物愛護派、馬の肉を食べる日本人は野蛮人である、と怒り始めた。 その後彼女とは会うこともなく、うわさでは日本に馴染めずに帰国したと聞いた。

カリフォルニアのある大学院では、日本企業や政府から送られて勉強しにきていた人々と接することがあった。 ある銀行員は奥さんを連れてきているにもかかわらず、会社には単身で来ていると偽り、単身赴任手当てを毎月数十万もらっていた。 そういうタイプにかぎり、学校のパーティや行事にほとんど参加することはなく、日本人同士でゴルフ、飲み会三昧をしていた。 多大のお金を企業が払ってくれているという義務感や使命感もなく、アメリカ人を知る国際交流、英語上達からはほど遠い暮らしをしていた。

(もちろん真面目に自費留学、企業留学をしている日本人もいたから、これはほんの一部である)

ここオーストラリアに来てからは、ワーキング・ホリデーという制度があり多くの若い日本人をみかける。 ‘海外に住めば簡単に英語ができるようになる’、‘日本にいたくない’、‘いられない’(海外留学という親の見栄)、‘日本の大学、会社にいけなかった’などの理由からきている若者は、残念ながら後者のタイプで日本人としかいっしょにいないから英語も覚えず日本に戻っていく。 もちろんSydneyの良さを学ぶことなく終わる。そういう人に限って、さもシドニーのすべてを知っているかのようにここの悪口を並べたて、ここに来たことのないまわりの人に悪影響を及ぼす。

後者組は心の許容量がちいさく、馬車馬のような感覚で視野が狭い。 それなりに海外暮らしを楽しんでいるものの、一時の珍しさ、快楽で終わる。 せっかく日本からでて、その国を知り、他国の文化や人間性を学ぶ機会に恵まれているのに、無駄に時間をすごしていくのは残念としかいいようがない。

前者組に出会うとうれしくなり、思わず「頑張れ!」と手を差し伸べ助けてあげたくなる。 海外にでてみないとわからない喜び、そして苦労はそれなりに体験してきたからである。

今後、この前者組日本人と出会えることを願ってやまない日々である。

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シドニー住宅事情 -我が家編

古いレンガの3階建てが6軒くっついた英国風長屋に住んでいる。 窓枠が昔の日本の学校のような木枠でアルミサッシでない古い建物である。

地上に駐車1台スぺースとシャッターの閉まるガレージがあり、階段をのぼっていくと玄関に到着する。 2階は台所、洗濯室&トイレ、リビングルーム、裏には小さなコートヤード。 3階は3寝室とバス、トイレ。 古いけれどまわりの新しいユニット(日本でいるアパート、マンションの呼び名)に比べると広いし、リビングがハイ・シーリング(天井が高い)であり、また窓が大きいので開放感がありお気に入りである。 裏庭にはツタがはって緑が美しく、ガーデンチェアーに座り夜空星観察には格好の場である。

隣人は、No.1がオージー&NZカップルと8ヶ月のベイビー、No.2イギリス人姉妹と娘、No.オージーとフィリピン人カップルと2人の男の子、No.4アフリカ出身カップルと7ヶ月のベービー、そして我が家、No.6はパキスタン出身カップルとその友人、息子2歳。 さすが多民族国家いろんな国から来た人が住んでいる。

シドニー中心地へのアクセスは車でラッシュ時でなければ15分ほどで到着する。 10分ほど歩けばフェリー乗り場があり、そこからサーキュラー・キイまでは20分で到着する便利なローケーションである。 このフェリーはダーリング・ハーバー(観光地)、ハーバーブリッジの真下をとおりCityにはいるので、景色は最高。通勤に使えば毎日観光気分である。

家賃は週、または隔週ごとに不動産屋に払うのが通常である。

シドニーの急激な人口増加により賃貸物件の不足、また不動産の相場は年々上昇しており、まったく頭が痛い。 我が家は週360ドル、1ドル87円で換算すると、一月あたり13,5720円になる。 ここでの収入を考えると高いが、スペースや便利なロケーションを考慮すると相場なのかもしれない。

アメリカ同様、オーストラリアは郊外によって住んでいる人種またクラスがまったく異なる。 わたしの住む地区は白人若いカップル&子供や共稼ぎ中級カップルが多く日本人をはじめアジア系はあまりみない。 隣の郊外は超高級地区で、あの大女優ケイト・ブランシェットの超豪邸がありほとんど白人である。 地区によりイタリア系、ギリシャ系、中国系、韓国系、ユダヤ系、イスラム系とはっきりとわかれている。

庶民的であるこの郊外は住みやすいがまわりの古い家ですら最低5000万円はする。これでは家を購入しよう!なんていう気持ちにならない。 というか宝くじにでも当たらないかぎり夢の夢である。

シドニーは大好きな地であるが物価高、税金高、医療問題、交通事情を考えると老後をここでというのはどうか?と疑問が生じてくる。 やはり老後は長野の山奥でのんびりすごしたいのが私の本音かもしれない。

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シドニー的お正月―無い物ねだり編

毎年、暮れになると「御節料理を食べたい」と必死になるのだが、なかなか簡単に材料が揃わないシドニーである。 日本人口の多いシドニー北やCityには日本食材を売っているコンビ二やスーパーがあるが、31日まで仕事をしていたから、そこまで買い物にいけなかった。 家から車で15分ほどのところに中国韓国街がある。 そこに行けば日本食材を買うことができるので足を運んだ。 なんとか、こんにゃく、レンコン、お餅、アズキを買い込んだがゴボウやサトイモは見つからなかった。 真夏のせいか大根も乾燥していて、とても買う気がしなかった。 秋には山ほど並んでいた栗もみあたらないので栗きんとんも無理。

そんなわけで簡単な煮物とお雑煮、クリスマスの残りの海老、冷蔵庫の残り物で前菜を作りすませることにした。 数年前、シドニー北の日本スーパーで冷凍庫に最後に一本残った伊達巻を見つけたときは本当にうれしかった。10数年前にロサンゼルスのヤオハン(日本のスーパー)で仕事帰りに、最後の一本残った伊達巻を買ったときは感動したものだ。 それほど伊達巻が好きなのだ。 お料理本によると‘白ハンペンをすって卵とまぜて焼くとできる’とあったが、その白ハンペンすら見つからなかった。 

お正月風に羽子板、扇子、鏡餅(つくり物)などで家を飾り、浴衣をリフォームしたサマードレスを着込んで、気分はお正月となった。

娘は浴衣を着るとはりきっていたが、今朝は湿度が高く暑かったので取りやめた。

日本にいたらごくごく当たり前のことでも、ここ南半球では必死の準備が必要であり、年とともにコダワリが強くなる。 贅沢をいえば数の子、イクラ、鮭の昆布巻きと果てしなくつづくが儚い夢である。 さらにもっともっと贅沢を言えば雪合戦、初詣もいいですね。 

ああああ無い物ねだりは永遠につづくのであった。

2010年が皆様にとって健康で幸福に満ちた年になることを祈りつつ。

A Happy New Year!

 

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