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2009年9月

Happy Birthday to my Love

今日は娘の誕生日。birthday

14年前、22時間の難産の末、カリフォルニア州ロサンゼルスの病院の一室で彼女は生まれた。 部屋のテレビで当時ドジャーズの野茂選手がボールを投げている画面が流れていたのをおぼろげに覚えている。

彼女の顔をみたときは、ああ、やっと会えた!という思いであった。

スピリチュアルやNew Age関係の書物を読むのが大好きで、輪廻、前世などをはじめとした現代の常識?から離れた感覚を持っている自分は、彼女がわたしを母親として選んでくれたと信じているし、前世でもつながりがあったと確信している。したがってわたしと娘はとても仲が良い。 

当時アメリカでの産休は3ヶ月程度しか取れなかった。 ロス、ダウンタウンの事務所で働き、ハリウッド、ビバリーヒルズ、サンタモニカなど、取材で駆け巡り記事を書く仕事をしていた。 まさに自分のドリームジョブであったが、数ヶ月の娘を預けて仕事に復帰することがどうしてもできずに出産後、仕事を断念した。

古風な考えかもしれないが、昔からよく言われる、‘3つ子の魂百までも’である。1、2,3歳という一番大切な、そして一番可愛らしい時期に子育てを他人にまかせたくなかったし、2度と戻らないこの時期をいっしょに過ごさなければきっと後悔するであろうと思ったからだ。

14年たった今、ふと振り返ると自分の紆余曲折であった人生のもとで、娘は素晴らしく育っている。

あの時キャリアを捨てずに、ロサンゼルスの託児所に預けていたらどうなっていたのであろう。 ロサンゼルスのティーンエイジャーの学校生活ぶりや生活態度に嫌悪感があり、また治安の悪さ、それが嫌でオーストラリアへの移住を決めたのだから。

こんなに手塩をかけて育てた娘もあと4年もすれば巣立ってしまう。 もうすぐわたしの背も抜こうとしている。 嬉しいような淋しいような複雑な心境である。

明日の夜、成田行きの便でシドニーを発つ。 このairplaneチケットは彼女への誕生日プレゼントpresent。 アメリカとオーストラリアの国籍を持つ娘には日本に行くたび、日本をたくさん吸収してきてもらいたいという母親の願いである。

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Sydneyが真っ赤に染まった日

23日水曜の朝、いつもどおり6時に起きるとブラインド越しに橙を帯びた真っ赤な空が見えた。 それとともに喉にエヘン虫がいるような砂のざらざら感を感じた。

何、山火事、空が真っ赤! この異変に飛び起きた。

すぐにテレビをつけニュースを観ると、NSW州(ニューサウスウエルズ)に砂嵐が襲ってきていた。 不気味な真っ赤な空の写真を撮ろうと裏庭のドアを開けると強風と砂ホコリが一気に入ってくる。 ミステイク!!! 

特に我が家は古いレンガ造りのいまだに木の窓枠であり、どんなに戸や窓をしっかりしめても隙間風とともに砂が入ってくるのである。 ましてドアを開けるなんて大間違いであった。

きっと中近東や砂漠地帯に住んでいたら、こんな風なんだろうな、と妙に関心してしまう。

ニュースによると、この砂嵐は70年ぶりで長くつづく干ばつにより乾いた砂が強風に運ばれ、遠くビクトリア州やNSW州の荒野からきたものであった。

ハーバーブリッジは真下の公園からは半分も見ることができないほど視界はゼロ、したがって公共フェリーはすべて運航せず、また空港は閉鎖。 シドニー到着予定の国際線はすべてブリスベン空港にまわされ待機状態。 毎朝国際線の通路となる我が家あたりの上空はとても静かであった。 ただただ風の強い音だけであった。

公立学校は通常通りであるが、健康上の理由(喘息、気管支系、肺系の病気を持っている生徒)の欠席は認められた。

数週間前に肺炎から快復した娘に学校を休むように、また一歩も外にでないように言った。 自分はマスクをして事務所に向かった。

そして3日後の今日またその第2弾が舞ってきた。 前回ほど真っ赤な空にはなっていないが強風と砂の味がする空気は同じである。 これでまた外出禁止命令となる。真っ白になった車を洗おうなんて思っていたがとんでもない。

地球温暖化、地球汚染を引き金とした異常気象はこれからどんどん増えてくることであろう。

‘地球最後か?’と思えるような不気味な空をみて、一人でも多くの人間が何かを察し、それに向けて改善していく意思を持ってくれたらと願う日であった。

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離れていても心がつながった誕生日

今日はわたしの誕生日。

大きな声で言えるような年齢ではないが、やはり誕生日だからどことなくウキウキしてしまった。

朝7時に娘をスクールバス停におろし、家に戻る途中ベーカリーによりスコーンを買う。

デボンシャー・ティをしよう。」 これはイギリス発祥の食べ方であり、スコーンとジャム、クリームを紅茶といただく。 一般的にティタイムにおこなうもので朝食ではないのだが、なんせ今日は誕生日だから楽しまなければ!

家にもどりメールチェック&Skypeをオンにしておく。 誰かオンラインならないかな、と思うや否や、サンディエゴの友達から電話がくる。 このスカイプは顔を見ながらお話できるからとても便利。 相手はまだアメリカ時間、20日であったが‘Happy Birthday’の電話telephoneであった。 こうなるといくつになっても嬉しいものだ。

そして事務所に行き仕事を数時間してから、上司、同僚とパブにランチに行く予定だったので一度家に戻ると。 なんと玄関前に綺麗なお花が置いてある。 

え、誰から誰から? こんなlovely花束なんて何年もらってないのかしら? 大感激であった。 これはアメリカに住む親友からのプレゼントであった。 数日前にはちがうアメリカに住む知人からデパートのギフト券が届いたばかりである。

なんて便利な世の中なのでしょう!!!! 日頃、自分はダウンアンダーの遠い地に来てしまった!と思うこともあったが、もはや世界は狭いのである。

パブで美味しいラム料理を楽しみ、特注のbirthdayイチゴケーキを食べ誕生日イベント無事が終了する。

ところが毎年、年に一度だけメールのやりとりをする古い先輩からメールがきていないことが、どこか気になっていた。 その人は5年ほど重病で苦しんでいたから、その‘誕生日おめでとうメール’をいただく度に、「ああ、良かった、まだお元気なんだ」と胸をなでおろしていたのだ。  

今年はなぜか誕生日メールを受け取る前に、お見舞いに行きたかったので、‘もうすぐ帰国します!’メールをこちらから送っていた。 それを読まれたご家族のかたから連絡をいただいたのだ。 

いつもの‘Happy Birthday’メールではなく悲しい訃報の知らせであった。 数ヶ月前に永眠されていた。

偶然、誕生日の今日この知らせを聞くことになった。 お彼岸であるし、天国に召された彼もメール送らなければ!と気にかけてくれていたのかもしれない。 重病と闘いながらも愚痴などこぼしたのを聞いたことのない真の勇者であった。 ご冥福をお祈りするばかりだ。

どんなに遠くに住んでいても人間の心heart02はつながるものだ、というのを実感した一日であった。

 

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星観測大好き派! Sydney通常観光にあきた人のために!

風が強く真っ青で雲ひとつない日は、ピンクに染まる夕焼けのあと、天の川がくっきりとみえる星空がひろがる。 我が家はシドニー中心地から15kmくらいの距離で街の灯りが多いが、小さな裏のコートヤードに座るとちょうど真上に天の川を観ることができる。

南十字星をはじめ北半球では観られない星はたくさんあり、星観測好きの方にお勧めの場所はSydney Obsesrsvatory(シドニー天文台)である。 

1858年、シドニーの最も標高の高い地に建てられ、そこからのハーバーブリッジ、オペラハウス、Cityの景色は素晴らしく美しい。 観光バスが必ず止るお馴染み撮影スポットの景色とはちがった角度からの眺めは新鮮でもある。

Cityから431,432、433または343のバスに乗るか、少々歩くのが苦にならなければインフォメーションで地図をもらい歩いてもよし。 シドニーはアメリカ、ロサンゼルスやNYなどに比べて治安が良いので、(もちろん危ない地区もあるのでそういうところにはいかないで!)City(アメリカでいうダウンタウンのこと)の一人歩きは大丈夫である。

天文台はちょうどハーバーブリッジCity側の入り口の横に位置している。 

入場は無料、古いサンド・ストーンで造られた建物に入るとさまざまな天文にまつわる歴史や古い望遠鏡などが設置された博物館になっている。

まだ観たことはないが3次元スペース劇場や望遠鏡のツアー、夜の天体観望会(有料)なんどももうけられている。

天文台の横に大木が並ぶ緑まぶしい芝生公園がなだらかにひろがる。 

真っ白なガジボの中で結婚の誓いをたてているカップル、それを幸福そうに見守る親戚や友人のグループを何度かみたことがある。 質素でささやかではあるが、青空のした、広大かつ美しい景色を横目に挙げる結婚式は日本の商業化されたものとは数段の違いである。

また夏はシェイクスピアなど屋外劇が催され、絨毯、ラグ(ござ)を広げワインとおつまみを片手に夜空のもと芝居を楽しめる。

自然とこれほど上手く調和している都会は世界でもめずらしいのではないだろうか。

ここは大好きなシドニースポットの一つである。

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あなたの夢はあたりますか?

予知夢というと大げさであるが、夢でみたこと、起きたこと、会った人との会話が現実になることがたまにある。 そのなかにはいくつかのパターンがあり、まったく夢と同じことが起きるとき、またその意味不明な会話から推測するとき、またどうしてこんな夢をみるのか?と疑問になる場合がある。

子どものときに良くみたのは、教室の風景がそのまま夢にでてくるのだが、そのときの自分の席には座っていない。 どうして自分はここに座っているの?と思うが、数週間後、席替えでその夢の席にすわり、そしてまわりの友達の席も夢と同じであった。 これは将来起きる出来事がそのまま夢にでてきたパターンだ。

人との会話は親しい親戚や両親と話をしているパターン。 

アメリカに住んでいた頃、ある叔母と日本料理を食べに行く夢をみた。 夢のなかで叔母は「この天ぷらには石が入っている、ちっとも美味しく食べれない。」とこぼしていた。 

翌日きっと叔母になにかがあったのだろう、と思い日本の母に電話をすると、 

「あなたには心配するから言ってなかったけど、彼女はいま胃がんで入院しているの。」と言われた。 近い身内が亡くなる前後は遠く離れたアメリカやオーストラリアに住んでいても夢にでてきてくれる。

とつぜん、ある親戚の方が亡くなったと聞いたとき、手紙を書こう書こうと思いつつ連絡をとってなかったことをとても後悔した。 そして数週間後、夢に真っ白いドレスをきた彼女がでてきて、「心配しなくていいよ、大丈夫。」とニコニコ笑っていた。 

ああ、彼女は天国へ召されたのだと感じた。 心のどこかに思っていたからきっと夢にみたのかもしれないが、自分なりの解釈としては、会いにきてくれたと信じている。 

このように身内や身近な出来事の夢は‘もしかしたら‘などの心構えができるが、とんでもないところで起こる夢は予想もつかない。 

去年インドらしき国で象があばれまわり、あちこちに黒い煙が立ち人々が逃げ回る夢をみた。 これは自分では推測とか判断できるものではなかった。 ただ、どうして象、インド? どうして人が逃げ回るの?と不思議に思うだけであった。 そして夢をみた翌週、インド、モンバイでテロ襲撃事件が起きたのである。 さすがにこのときはぞっとした。  

こんなことを書くとサイキックか変人か?と思われそうだが、これはたまにあることでしょっちゅうそういう夢をみているわけではないので誤解のないように。

そういえば少し前に誰かが宝くじに当たる夢をみた。 これを読んでいるあなた!宝くじを買いにいくことをお勧めします。 (当たらなかったらごめんなさい)

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Sydney的金曜の午後の過ごし方

ここのところぜんぜん自分に満足させることをしてないことにふと気づき、心を豊かにする何かを求めて、仕事を早めに終え午後City(シドニー中心地)に出かけた。 

気温は20度、風が強く肌寒い日であったが雲ひとつ無い青空でフェリーにはうってつけの天気であった。

最初に向かったのが娘の病院通いで見つけた古い教会。 毎週金曜1時から無料コンサートを開いている。 今日はフルートのソロ。 厳粛な教会で素敵なステンドグラスや大きなパイプオルガンをうっとりと眺めながら大好きなバッハを聴き心が洗われた気分であった。

次なる目的地はDavid Johnes(ディビット・ジョーンズ、高級デパート)。 フラワー・ショーを開催していると聞きおとずれた。 グランドフロアー(1階)すべての売り場がオーストラリアの花々で飾りつけられていた。 多くのご年配カップルが可愛らしく手をつないで花の展示にみとれていた。 腰の曲がったおじいちゃんがおばあちゃんにポーズを取らせたり、とても微笑ましい光景であった。 もちろん花々の飾りは大きく、大胆、豪華で日本の生け花とは違ったオーストラリアの自然美をよく象徴していた。

そしてハイドパークを抜けセント・メアリーズ大伽藍へはいり瞑想する。

日本の神社仏閣が大好きであり、こういった聖域に赴くと心がとても落ち着く。 クリスチャンではないが教会も大好きである。

そしてロイヤル・ボタニック・ガーデンズ。 チューリップ、梅、藤、ポピー、もう、なんでもござれである。 ありとあらゆる花が咲き乱れ、その香りがたまらなく甘い! あのオズの魔法使いのドロシーが花畑で眠気に襲われるような! 思わずここは天国かしら?と思えるほど美しく甘い香りにつつまれた。

さらに歩いてNSWアート・ギャラリーを少し覘き、湾からの潮風が冷たくなってきた頃オペラハウスの前を通ると、6時に開催される屋外ダンスショーのリハーサルを若いダンサーが軽やかなJazzの音とともにはじめていた。 しばし休憩しつつ観客となる。

6時のショーを観たい気持ちをおさえ、夕日に照らされフェリーに乗りハーバーブリッジの真下をくぐり帰路についた。

歩きすぎて疲れたが、心にご褒美をあげたような、平和で落ち着く午後であった。 教会の寄付とフェリー代いがいはすべて無料。 

高級デパートでブランド品を買うことより、これがわたしのSydney流ストレス解消なのである。 音楽、美術、自然美が一番の心の栄養になるのだ。

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スポーツダイスキ派、Sydney通常観光にあきた人のために!

世界中でこんな贅沢な公営プールはきっとSydneyにしかないのでは?と思えるほどの素晴らしいプールを紹介したい。 

場所はCity側からハーバーブリッジを渡ったすぐ横にある。 橋の渡り方は電車、バス、歩き、またはサーキュラーキイからフェリーに乗りミルソン・ポイントで降りれば到着。

なにがすごいのか?というと、とにかくロケーション、景色、そして歴史ある建物。 

屋外の海水50mプールからはドカンと大きなハーバーブリッジをほとんど真上に見ることができる。 sun日光浴ができるサンデッキがあり、ここからのCity、ブリッジ、オペラハウス、シドニー湾の景色は絶品、高級ホテルに滞在する必要なし!!!

客席になっている階段をのぼった屋内温室25mプール、サウナ室、ジャクジからのお勧めはCityとブリッジのshine夜景である。 また大きなピエロの顔のゲートでお馴染み、ルナパーク(遊園地)の夜景と乗り物に興じる人々の悲鳴が聞こえてきて、それも楽しい。

1936年に建築されたアート・デコスタイルは美しく、86個の世界記録が出された水泳大国Australiaならではのプールである。

入場料は大人$6.10、小中学生$3、学生$4.90と公営だからお値打ちである。 

こんなシドニーの一等地に公営プールというのが庶民にとっては嬉しいのである。 東京やNYの一等地にまず公営プールはないであろう。

もう一つのボーナスは夏休み(12月末から1月末)になると、このあたりの地元民がゴールド・コースト、タスマニアなどの他州へ休暇に出かけ、またwaveマンリーやボンダイなどのビーチに行ってしまうので、このプールがすいているのである。 東京あたりの芋の子を洗うプール状態に比べたら、ここは天国のようである。

一度は泳いでもらいたいプールであるのだ。

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Sydneyの青空のもと、響いた和太鼓演奏

暦の上では春になったもの、相変わらず気温の差が激しく、数日前は25度と夏のような暑さだったのに、今日は最高20度で風が冷たい一日であった。 ここSydneyでは日本のように‘季節がかわればほぼ一定の温度’ということがない。 

大きなウオーキング・クロゼットでもあれば別だが、春だからと冬服をしまい夏物を早めにだしてしまうと、あとで大変なことになる。 11月でも急に気温がさがり長袖やジャケットが必要になる日もあるからだ。

今日は娘の所属する音楽グループが打楽器の大会(The Australian Percussion Eisteddfod)に出場した。 残念ながら娘の肺炎は思ったより長引き、練習はおろか演奏することもできなかったが応援にはなんとか駆けつけることができた。

高校78910年生(日本の中学から高校1)のジュニアの部には他州とNSW州から20校あまり参加していた。 

「打楽器といってもいろんな種類の楽器があるのだな、」とつくづく感心しすっかり聞き惚れてしまい、音楽に思う存分ひたれたHappyな日曜であった。

大きなティンパニからはじまり、ドラム、ボンゴス、木琴、鉄琴、シンバル、トライアングル、タンバリン、カスタネット、ベルなどなど、そして我がグループは和太鼓。

弦楽器や吹奏楽器とはちがった迫力があり味わいのある音楽である。

残念ながら我がチームは入賞にはいたらなかったが、他の打楽器とはまったく違った新鮮味、緊張感、また日本の伝統文化をここSydneyで演奏し、拍手喝さいを浴びたという充実感はあった。

他のグループの親達から「Great!(素晴らしい)と何度も声をかけられたから、やはりユニークさにおいては素晴らしいものであったのだ。

次回のSydneyの和太鼓の大会は12月に開催される。 それまでに娘が一日も早く元気になり、練習に励むことができる日々を待つばかりだ。

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Sydneyの寒空のもとで楽しむ即席デザート

我が家の玄関を開けると、ちょうど真上に南十字星がみえる。 この星の輝き具合により明日の天気を予想する。 「今夜は2個しか見えていないから明日はrain少し雨かな?」 

全部すっきり見えていれば翌日は快晴なのである。

相変わらず大忙しの日であった。 病気の娘を一人家に残し、午前仕事、2時に会議、2時半、3時と人と会うという予定だったが、朝から胃痙攣がはじまり微熱と体がだるい状態であった。 が、無理やり、予定をこなしていった。

夕方倒れる寸前に家に戻り、仮眠、食事の支度、シャワー、病人の世話、果てしなく用事がつづいた。

そして甘いものがむしょうに食べたくなったのだ。 胃痙攣の痛みより食い気が勝っていた。

前日、棚を片付けていたら日本の寒天パウダーが残っているのをみつけ、寒天を作って冷蔵庫に冷やしておいた。 「みつ豆、みつ豆、」と頭で唱えながら、「あれ、いったい何が入っていたのかしら?」と首をひねりつつ、冷蔵庫や棚をひっかきまわす。

日本から遊びに来ていた友達がおみやげに持ってきて食べずにおいてあった、

北海道産小豆100%使用、徳島産阿波和三盆糖入りのゆであずきの缶を見つけた。

なんの甘味もない寒天の上にあずきをかけ、さて???cherryフルーツ缶もアイスクリームも見当たらない。 ちょっと焦り気味になり探し出したのが、生クリーム。 まあああ、試してみるか、と勢いよくその上にかけてみた。 ホイップはしないのがコツ!

さて、お味は???? これがまた美味しい!!!!

きっと南十字星のもとだから美味しいのかしら? 

だって日本にいたら素晴らしいアンミツ屋さんはたくさんあるものね。

今度帰国したら、「お抹茶アイスの、のってるの食べよ!」とホクソエムわたしであった。

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Sydney

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